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【マシュマロ返答】「自分の作品は誰でも真似できる」ことの恐怖感、コンプレックスに対するには


いつも応援いただきありがとうございます。びねつです。
今回はマシュマロの返答をしていきます。

「自分の作品は誰でも真似できる」ことの恐怖感、コンプレックスに対するには

「自分の作品なんて誰でも真似できる」←めっちゃわかる〜〜発想から描く手順から発表からいただいた感想までぜ〜〜〜んぶ自分はわかってるからこう思っちゃうんだろうなあと思います。

これ本当にめちゃめちゃわかります。創作だけに限らず「なにかを頑張りたいので先駆者や同業者を調べてみよう」といったときに必ずなるものではないかなと思います。
それで自分のやっていること(100%近く理解できてる)と他人のやっていること(10%も理解できてない)を本来比較できるものではないのに比較して落ち込んじゃうんだと思います。


原因はさておき
「あんま気にせんでええよ」ということを言いたいので何個か書きます。

・模倣の多くは手法の模倣に留まる
・その手法に至る動機は個人固有のものである
・本質を見られなくても良いと思われる作品をつくる
・来ることがわかっても受けきれない一撃を与えればいい

とツイートでは言ったのでもう少し詳しく、かつ噛み砕いて説明していきます。


「本質は真似されない」に対する同意とその理由

・模倣の多くは手法の模倣に留まる
・その手法に至る動機は個人固有のものである

この二点、「模倣の多くは手法の模倣に留まる&その手法に至る動機は個人固有のものである」に関しては質問者さんの発言にも含まれている「本質は真似されない」に対する同意とその理由になります。

例えば、私の絵の模倣をするとなったときに多くの方はピクセルアートという描画手法、二色に絞ることぐらいしか模倣できるポイントがないと思います。それは手法に留まり、手法に至った動機(≒本質)には到底届きません。

長く作者の創作を追って、制作物を通して作者の考えを知る等で限りなく本質に近づくことはできますが、それでも作者と同じ解像度で同じ景色を見ることは叶わないでしょう。

本質とは目に見えるところだけにあるわけではないですし、作者本人でも100%の管理下におけるものでもないのです。現に作者でも意図していなかったところに重要な形質が現れること、そしてそれが鑑賞者によって見いだされることはどんな世界でもいつの世の中でもあります。


手法が目的に寄って定められる、意図が透けて見えるものだとすれば、本質とはどんな場にも存在するのにその存在を疑われないものです。

例えば私がカレーを作るとして、カレー用の食材を用意して作ったとします。この場合は「カレーを作る」が目的で、「カレー用の食材」は材料で、調理の工程は手段です。問題なく出来上がったカレーには私が作ったことがわかるような痕跡が見つかります。

私は日本人なので本格的なインドカレーのような味付けはしないでしょうし、日本人が好んで使う調味料が隠し味として入ることもあるでしょう。見栄えを気にする意識から具材の切り方にもそれ相応の配慮がなされているでしょう。野菜の味が好きなので野菜が具材に占める割合が高くなるでしょう。

そんな「私が無意識に発している私固有の痕跡」が、目に見える範囲だと本質に最も近い部分なのだと考えています。無意識がゆえに当たり前にあって、当たり前にあるので存在を疑われません。


結論

話が散ってきたので結論をまとめると

・本質を見られなくても良いと思われる作品をつくる
・来ることがわかっても受けきれない一撃を与えればいい

この二点に集約するのかなと思います。

「本質を見られなくても良いと思われる作品をつくる」について、本質は出そうと思って出せるものでも、隠そうと思って隠せるものでもないので自他共に気にしても意味がないです。純粋に良い作品について考えればよくないですか?という話です。

以前に書いた記事で「こだわりは持ってはだめですか」といった旨の質問があったのですが、これも似た話です。

勝手に生じるものを制御下に置こうとしたり、はてはそれを他者の認識にハックする道具として扱うのが流行っているなあと感じる(私の主観です)のですが、もっと自然的な仕組みに身を投げだしてもいいと思ってます。
そもそも「自分はこんな人間なので、他人の目を気にして無理に自分の枠を越えなくていいような気がする〜」と思ってほしいです。


それはそうと自分の枠は越えなくとも、自分の枠は大きくしていかないと外界の枠に押しつぶされます。そのために「来ることがわかっても受けきれない一撃を与えればいい」という言葉が効いてきます。

正直、言葉選びが適当すぎて自分でもなにを言っているかわからんと思ったので解説します。
ざっくりいうと「自分の強みに気づいてそれに寄せた戦略や武器を磨いていきましょう」という話です。

そのためには「世の中はその分野で一番にならなきゃ生き残れないほど競争がすみずみに行き渡っているわけではないのだけど、それはそうと自分だけの最強の武器を持てるように日々努めていこう」といった意識でやっていくといいですね。

私で言ったら「最小限の要素や手数で最大限の効果を生むこと」で一番になるべくがんばってます。これが「来ることがわかっても受けきれない一撃」となる日がくれば今回の質問者さんの思ったような自分の代替性への不安からは開放されるのでしょうね。

お互いに気にしすぎず、のんびり上達していきましょう。


終わり


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