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バナナは最高のデザイン。アフォーダンスとプロダクトデザイン

バナナは理想的なデザインで、シンプルで軽量、生分解性もありエコロジカル。世界中に熱狂的なファンも存在し最高のデザインといえます。今日はなぜバナナが最高のデザインか話したいと思います。

まず、最高のデザインであるということは、最低なデザインではないと言うことなので逆説的にダメなデザインについて考えていきたいと思います。

よくデザインで言われるダメなデザイン例として、分かりにくい使いにくいデザインが意見に挙がります。その際に言われるのがD.A.ノーマン氏のアフォーダンスやシグニファイアの考えです。

そもそもD.A.ノーマンって誰なの?

D.A.ノーマン氏は認知科学者であり、アップル役員としてユーザインターフェイスグループを創設し、最初のヒューマン・インターフェイス・ガイドラインを作った人です。またヒューレットパッカードなどの役員も歴任し、UXデザイナーなら必ずと言っていいほど聞いたことがあるニールセン・ノーマン・グループの創設者でもあります。デザインを学ぶ人が、最初に知る認知科学者はだいたいD.A.ノーマン氏だと思います。(それぐらい有名な人)


そんな彼がある日言いました。世界はアフォーダンスで満ちていると。
そこからはもう大変です。今まで何となく使いにくい、使いやすいを感覚的に理解し、実行してきたデザイナー達の頭の中が整理され、使いやすいとはこういうことかと瞬く間にデザイナー達に広まりました。

アフォーダンスとは?

アフォーダンスとは、アメリカの知覚心理学者ジェームズ・ギブソン(James Gibson)氏が提唱した。「与える、提供する」を意味する英単語 affordアフォードに由来する造語です。
ギブソン氏は生態心理学の研究で「知覚を可能にしているものは何か」をテーマとしており、そこから新しい光についての考え方である生態光学(エコロジカル・オプティックス)を経て、アフォーダンスと言う概念が誕生しました。

アフォーダンスとは,環境が動物に対して提供する意味や価値である。アフォーダンスの定義は,Gibson(1977)と Gibson(1986)では,少し異なっている。Gibson(1977)では,アフォーダンスとは,動物と関連づけられが何に対して何を提供するのであろうか。アフォーダンスとは,環境が動物に対して提供する意味や価値である。アフォーダンスの定義は,Gibson(1977)と Gibson(1986)では,少し異なっていGibson(1977)では,アフォーダンスとは,動物と関連づけられた物質や表面の特性のある特定の組合せであるとなっているが,Gibson(1986)では,環境が動物に提供するものであり,良いものも悪いものも含まれ,用意したり備えたりするものであるとなっている。アフォーダンスという新たな語を作ることによって,Gibson は,動物と環境の相補性を含む,既存の概念では表現できないものを表現しようとしたのである。

「アフォーダンスとエコロジカル・リアリズム」 廣瀬 直哉

ただ、これから話すアフォーダンスはギブソン氏の提唱した本来のアフォーダンスではなく、ノーマン氏が使い始めたアフォーダンスです。(デザイナーの中ではアフォーダンスといえばノーマン氏が提唱していることを指している場合が多いです。)

注意して欲しいのは、ノーマン氏が最初に書いた「誰のためのデザイン?」という本で、広くデザイナー達の間に普及したアフォーダンスという概念は、本来の意味と異なった意味で広がり、改訂版の「誰のためのデザイン?」では今までアフォーダンスだったものがシグニファイアとなり、アフォーダンスとシグニファイアという概念に分かれました

改訂版の「誰のためのデザイン?」にアフォーダンスとシグニファイアについて、アフォーダンスを創った人(ギブソン氏)の意図とは少し異なる意味合いでデザイン世界に流用したように、シグニファイアも記号論で使われている方法とは少し違った方法で使っており、私にとってシグニファイアとは、人々に適切な行動を伝える、マークや音、知覚可能な標識の全てを示すものである。とノーマン氏は言っています。

ここから本題のバナナとアフォーダンスです。

バナナとアフォーダンス

大事なことなのでもう一度、アフォーダンスとは物理的なモノと人との関係を指しています。モノの属性と、それをどのように使うことができるかを決定する主体の能力との間の関係のことです。

環境のすべてに存在しているが、対象によって現れたり消えたりしているわけではない。アフォーダンスは常に潜在し、発見されることを環境の中で待っている。誰でも利用できる可能性として環境の中に潜在しているが、アフォーダンスの種類によっては知覚するために経験が必要な場合がある。

椅子の例で考えた場合、アフォーダンスは「人と椅子の間の関係性」であり、椅子の座り方が分からなくとも、人が椅子を認識し、その際に座ること促され、座るができるのであれば「人と椅子の間にアフォーダンスが存在する」ことになります。
つまり、人と物の間に、ある行為が「できるかできないか」という物理的な関係性が存在するかどうかです。

アフォーダンス
人と椅子の間の関係性が存在しており、椅子を見て何を知覚し促されたかは人により異なります。
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シグニファイア
潜在しているアフォーダンスから、知覚した情報がシグニファイアになります。(対象物を見て、〇〇をしてよいという手がかりがシグニファイア)
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シグニファイアから、行為までに障害があると使いづらいデザインになります。画像3

シグニファイアから行為がスムーズに行われると使いやすいデザインになります。

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ノーマン氏は、
行為のどこに問題があるかを、「行為の7段階モデル」を利用して突き止めようとし、
行為をどのようにスムーズにするかは「制約」を考えると良いと言っています。制約は4つに分類でき物理的な制約、意味的な制約、文化的な制約、論理的な制約それぞれをうまく組み合わせれば、全く新しい場面でも人は適切な行為を行えるようになるとしています。

制約の事例として、最近知ったフェンスの話を紹介します。

フェンスといえば上記のような物を想像するかと思いますが、
現在のようなフェンスが利用させるようになったのは、1951年にフランスのサミア社が木製バリケードの不足に対応するため、スチール製バリケードの製造を開始したのがはじまりです。
特徴として、まず見た目が垂直で乗り越えずらそうと言うことが分かりますが、注目して欲しいのは、連結部分の突起です。

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連結部分にある、下向きフックを受け口に通すことにより、簡単に分離できないようになります。さらに上部のフックに少し角度をつけることで、連結する際に正しい角度でつなげないといけなくなります。
こうすることにより、フェンスを切り離すためには正しい角度に戻して持ち上げなければなりません。
つまり、人が密集していなければ問題ないですが、密集している状態で切り離そうと思ってもほぼ不可能になります。

少し角度をつけるという、ちょっとした工夫でフェンスの持つ効果(境界、制御)を大幅に向上させています。
フェンスがどう使われるかを想像しないと出来ない解決法なので、知った際はすごく感銘を受けました。

フェンスの話は下記に詳しく掲載されています。

アフォーダンスとシグニファイアのまとめ

・アフォーダンスは人と環境の間で起りうるインタラクションであり、知覚できるものとできないものもある。
・知覚されたアフォーダンスはシグニファイアとして働くことが多い。
・シグニファイアはどんな行為が可能かなど、ものごとを示唆する。
・シグニファイアと行為がうまく繋がっていないと使いづらくなる。
                  

バナナがシグニファイアしているモノは何なのか?

結論から言うと、「人によるので分からない」になります。
上で説明したようにアフォーダンスは知覚できるモノできないモノが含まれます。持つ、投げる、食べる、踏む、皮を剥く、匂いを嗅ぐ、重ねる、吊るす、引っ張るなど何でもOKです。
アフォーダンスの中から受け取った情報がシグニファイアになります。
そのため、見る人によって変わり、少なくとも私の場合は、持つ、食べるをシグファイアされています。

バナナは使いやすいのか?

これも何に使うかによって異なるので「分からない」になります。
バナナをリレーのバトンに使おうと思ったら、握った瞬間に握り潰してしまい、バトンとしては使いづらいモノになると思います。
ただ、「私」が「寝起き」に「食べる」と限定してみると、皮は剥きやすい、すぐ食べれる、硬すぎない、携帯しやすい、程よい水分があるので、食べやすいになります。

ここで大事なことは、使いやすいは万能ではないということです。使いやすいは特定の状況に絞らないといけません。絞る情報は3つ、利用ユーザー、利用状況、利用目的です。
ユーザービリティの定義にもこう記載してあります。

ある製品が、指定された利用者によって、指定された利用の状況下で、指定された目的を達成するために用いられる際の、有効さ、効率及び利用者の満足度の度合い。

アフォーダンスの根底にあるのは共通認識という名の教育と文化

例えば神社で注連縄や紙垂で区切られていればそこから先に行ってはいけないということを、大体の教養がある日本人なら理解しています。つまりここでは注連縄が「立入禁止」をシグニファイアしていることになります。

しかしこの理解は、注連縄より先に行ってはいけないということを学習していなければ成り立ちません。つまりシグニファイアとデザインの自然な対応づけは文化によって異なります。

ヨーロッパ(どの国かは忘れた)で、移民問題が深刻になり、入ってきた移民の子供にはまず、その国の常識・文化を教える教育をするんだということを紹介している映像をむかし見たことがあります。この教育の目的は国の文化や常識を教え込み価値観を共通化させることにあります。

同じモノ・コトでも、教育や文化が異なると真逆に受け取られることがありそれが問題に繋がることがあります。受け取り方が真逆な例として、中国では食事を少し残すのがマナーですが、日本だと残さず食べることが美徳になっています。

「郷に入れば郷に従え」とはよく言ったものです。
ちなみに、共通認識をカッコよくいうと、メンタルモデルということができます。

プロダクトデザインとバナナ

今度はプロダクトデザインの観点からバナナを見ていきたいと思います。
そこで「良いプロダクトとは何か?」の基準にディーター・ラムス氏の考えを参考にします。

ディーター・ラムス氏を一言でいうと、プロダクトデザイン界の神です。物づくりだけでなく、物づくりの倫理感や社会をよくするためにデザインを大事にしていた人です。エルヴィン・ブラウンとティーダー・ラムスの関係はいま日本で話題になっているデザイン経営そのモノです。聞いたことがない人は是非下記の記事を読んでみてください。


ディーター・ラムスの良いデザインの10の法則
https://www.vitsoe.com/jp/about/good-design

それでは10の指標とバナナの関係をみていきましょう。

1.革新的
ものごとを革新していくための可能性が尽きることはない。技術の進化がつねに、革新的なデザインへの新たなチャンスを与えてくれる。しかし、革新的なデザインとは、つねに技術の革新とともに生み出されるものであり、デザインだけで完結することはない。

→バナナの革新性
栽培方法、運輸技術、パーケージング、保存技術などバナナは常に技術革新が支えています。


2.実用的
人は製品を使うために買う。その製品は機能面だけでなく、心理的、美的な面においても、一定の基準を満たしていなければならない。グッド・デザインとは、不要なものを可能な限り削ぎ落とし、実用性を最も重視したものだ。

バナナの実用性
バナナの造形は進化の結晶です。栽培は完新世前期から行われ長い時間をかけて造形されたその形に無駄はありません。機能面でも、おやつとしてのバナナ、ダイエットとバナナ、エネルギー摂取としてのバナナそれぞれの利用シーンに最適なパフォーマンスを発揮しています。バナナの実用性に疑いようもありません。

3.美しい
製品は、日々それを使う人の個性、健康や暮らしの質にまで影響をおよぼすのだから、製品の実用性に美しさが加わることが欠かせない。しかしながら、ていねいに仕上げられたものだけが美しい。

→バナナの美しさ
バナナの美しさはバナナグッズの多様性を見れば語る必要はないと思います。美しくないものがここまで普及するとは思えません。衣服の柄やネイルアート、バナナクリップという名称までバナナは普及しています。バナナの見た目が汚かったらわざわざ髪を束ねるものに「バナナ」と言う名称を使うでしょうか?

4.分かりやすい
グッド・デザインは、製品の構造を際立たせる。さらに、製品が語りかけてくる。そして、最も優れたデザインは、それ自身ですべてを語る。

→バナナは食用において直観的
バナナは言葉の比喩ではなく、実際にサルでもバナナの食べ方分かるので分かりづらいと言うには無理があります。また皮の剥きやすさも含めてバナナは分かりやすいと言えるでしょう。

5.主張しない
ものは道具としての役割をしっかりと果たす必要がある。装飾的なオブジェでも美術品でもない。使う人の個性を発揮する余白を残すためにも、デザインはニュートラルで控えめであるべきだ。

→バナナは主張しない
バナナは生食だけでなく加熱しても利用でき、主食だけでなく、デザートにも食べます。調理方法も多種多様で、使う人の個性を発揮する余白が残っていると言えます。さらにバナナ(食物)の役割を考える際にエネルギー摂取の観点からもバナナは優れているといえます。

6.誠実である
グッド・デザインは、製品を実際以上に革新的だったり、強力だったり、有用に見せたりしない。見せかけだけで、消費者を操るものではない。

→バナナは誠実
自然界の恵であるバナナは、良くも悪くも故意に印象操作を行いません。バナの色付けは人によるの作業ですが、色自体は染料などを使うのではなく、バナナを熟成させた自然の色のため消費者を操るものではないと思います。

7.ながもちする
グッド・デザインは、流行から距離を置く。そのため、古くなることもない。ファッショナブルな流行のデザインとは異なり、今日のような使い捨て社会にあっても、長く使われつづける。

→長く使われるバナナ

バナナの歴史は古く栽培は完新世前期にはパプア・ニューギニアで栽培されていました。今なお世界中で栽培され、食されているのでながもちしていると言えます。

8.細部まで完璧
あいまいさや予測不能な要素をいっさい残してはならない。デザインをするうえでの細心さ、正確さは、消費者への誠意を示すものだ。

→完璧なバナナ

自然の造形美の結晶であるバナナは完璧です。植物として光合成を行い、葉は容器にも調理器具にも使用し、実は動物の糧となります。そして、最終的には自然に分解されるのでバナナは完璧です。

9.環境にやさしい
デザインとは、環境保全に大きな役割を担うものだ。製品がつくられ、その役割を全うするまでの間、資源を節約し、物理的に環境を汚染せず、そして見苦しいという視覚的な汚染もしてはならない。

→環境に優しいバナナ
バナナは全て自然からできたものであり、有機物の塊です。そのため自然環境により分解され汚染することはありません。

10.純粋で簡素
「Less, but better」— より少なく、しかもより良く。それは、本質的な部分に集中するということ。それによって製品は、不要で過剰なデザインから開放される。

→本質的なバナナ
利用する側からみた、バナナの本質は食用です。生食、加熱食ともにOk・携帯しやすい・皮を向きやすいなど、バナナは本質的です。

どうでしょうか、バナナと同じくらい10の原則に該当するデザインを私は知りません。つまりバナナは良いデザインといっても問題ないでしょう。

良いデザインはビジネスを生み出す

最後はビジネスの観点からみていきます。これもよく言われることですが、「良いデザインはビジネスを生み出す」、バナナがビジネスを生み出しているのか見ていきましょう。

日本人にとってバナナはとても身近な果物でです。
輸入している果物の中で1番多いのはバナナです。バナナは684億円でダントツの1位の価額を誇っています。
つまりそれだけバナナ産業に関わっている人がおり、ビジネスを生み出しているといえます。バナナは良いデザインと言えるでしょう!

本当は詳しく書こうと思いましたが、疲れたの諦めました。気になる人は下記を見てください。

日本バナナ輸入組合:第15回バナナ・果物消費動向調査 2019年7月
https://www.banana.co.jp/database/trend-survey/docs/trend15.pdf
見えないバナナのサプライチェーン
https://fairfinance.jp/media/494311/banana_casestudy_0731.pdf
日本バナナ輸入組合 バナナとともに65年
https://www.jftc.or.jp/shoshaeye/interview/top_200902.pdf
国産バナナの食文化における可能性
「バナナと日本人」から「日本人のバナナ」へ
https://www.syokubunka.or.jp/research/pdf/17006.pdf


バナナは最高のデザインか?

バナナは最高のデザインかを確認するためにアフォーダンス、プロダクトデザイン、ビジネスの側面から見ていきました。アフォーダンスの観点では、利用ユーザー、利用状況、利用目的を決めないと使いやすいデザインか分からないとなりましたが、食べるに関していえば十分使いやすいデザインの条件を満たしています。
プロダクトデザインではディーター・ラムスの良いデザインの10の法則を参考にバナナが条件を満たしていることを確認しました。
ビジネスの観点からは、バナナがビジネスを生み出しているのかを確認し、ビジネスを生み出しいてることが分かりました。
以上のことから、バナナは上であげた3つの条件を満たしているので最高のデザインであるといえます。

最後に

最後まで見ていただきありがとうございます。途中まで書いていて気付いたのですが、題材がバナナである必要はなかったなと今でも思います。
長くなりましたが、「バナナと人間のDNAは約60%同じ。」今日はこれだけ持ち帰っていただければ幸いです。


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