中国旅行
8月1日(木)
高校の友人と自分を含めて、3人で、中国を旅することにしました。当日の朝は、気合が入りすぎて、関空に早く着きすぎて、暇をもてあましてしまった。すると、大学のゼミの友人とばったり会った。結局北京の6日間は、4人で行動することになった。去年初めての海外旅行で利用したのが、シンガポール航空だったので、今回の中国国際航空は、とても質素に思えた。機内食も・・・。
北京空港に着いて、市内の地図を購入し、北京駅行きのバス12元に乗った。しかし、英語がまったくといってよいほど通じなくて、どこで降りたら良いかわからなかった。How much? も通じないのには、びっくりしました。適当な場所で降りて、残りは、歩いてホテルを探すことにした。天安門の南のほうを2時間以上歩きまわり、やっとのことで、ホテルに到着した。そのとき、すでに10時をすぎていた。天気も、小雨が降り、肌が、べとべとになっていた。部屋に入ると早速冷えたビールを、一気飲み。元気全快になりました。ホテルで一息ついたあと、近くの大衆食堂で晩御飯を食べることにした。ここでも英語が通じないのには苦労しました。ガイドブックを頼りに、酢豚、チンジャオロース、餃子、チャーハンなどの、時の雰囲気でわかるものを、適当に注文した。この先も、このパターンが多かった。あとは、20元くらいだして、適当に、出してきてもらうという方法もとりました。この日は、いろいろ頼みましたが、一人、18元くらいで、腹一杯食べることができました。しかも、ビールつきで。中国の料理は、辛くて、ビールのおつまみには、最高でした。ただ、チンタオビールが多く、味が、うすくビール自体は、やはり、日本のスーパードライが一番うまい。
8月2日(金)
昨日の、2時間のホテル探しが、懐かしく思えた。この日は、天安門周辺で、ぶらぶら過ごした。北京には、6日間いましたが、1日しか晴れの日がなかったのは、残念でした。この日の夕方、今回の自分たちの旅行に大きな影響を与える出来事が起きた。今日は、どこに泊まろうかと宿を探し始めると、後ろから日本語で話しかけられた。最初は、「これは詐欺のパターンだ。気をつけよう。」と思って、警戒しながら話ていたが、その人は、本当に日本人。関東出身の人だった。彼は中国に来て2週間ほど、あるレストランにお世話になっているそうだ。そのレストランの店員には、去年まで日本に留学していて、日本語を話せる人がいた。名前は「ハイ」さん。この日の夜は、ハイさんのレストランで、食事をご馳走になった。みんなでビールを飲みながら、話しました。その中で、旅行のスタイルについての話もでてきた。自分たちがめざす旅は、できる限り節約する、いわゆる「貧乏旅行」。交通手段は、バスや地下鉄を使い、タクシーは、よほど困ったときしか使わない。その反面、その関東出身の人は、お金は、まったくけちらず、現地の人と親しくなり、より深く現地のことを知ろうとしていた。食事のあと、私たちが、割り勘で、お代を払おうとすると、ハイさんは、受け取ってくれなかった。「私たち中国人は、割り勘はしない。私たちからすると、すごくけちくさい。もちろん個人差はあるが。貧富の差もあるし。」「今日は、自分の懐があたたかいと思うと、食事などは、ご馳走します。」貸し借りだとかは、思わないそうだ。「海外からの旅行客なんて、特別なお客様であり、ご馳走するのは当然だ。」といっていました。
その夕食後、マージャンをしました。中国と日本では少しルール、役に違いがありました。パイはほぼおなじでした。深夜12時ごろまでつづきました。
8月3日(土)
今日は、早起きし、金さんたちと一緒に、中国でもっとも行きたかった観光地のうちのひとつである「万里の長城」へ行きました。ハイさんのレストランにいる、子供たちも一緒に連れて。途中高速道路が、工事中で閉鎖されていたので、北京から3時間以上もかかった。朝は、早起きしていったが、着いたら昼前だった。万里の長城は、想像していたとおり延々と続いていた。最初日本を出発する前は、人のいないところまで歩いていってやろうと思っていた。しかしそんなことは不可能でした。垂直に近い階段もある。それにとても急な坂もあった。いくら歩いていっても特に景色は変わることはないので、適当なところで引き返して帰った。
8月4日(日)
朝4時半ごろに起きて天安門広場まで、走っていった。もちろんこんな早くバスなんか走っていない。毎朝、天安門広場で、日の出とともに国旗掲揚が行なわれる。金さんは、こんな経験普通の観光客じゃできないよ。貴重な体験だよって、言っていました。確かにそうだ。この行事は、他の中国の地域から北京を訪れる人も、また、北京にすんでいる人もみにくるらしい。まだ、薄暗いのに、天安門はものすごい人ごみになってしまっていた。国旗掲揚のためにこんなに早く大勢の人が集まるなんて・・・。中国・・・。
8月5日(月)
また雨でした。カメラを持たず行動・・・。大失敗。
イワエン・景山公園・テンダン公園観光。これらは、一部のお金持ちが、くつろぐため、景色を眺めるためにつくったもの。
移動中には、河が氾濫したような洪水にもあってしまった。写真とっておきたかった。昼過ぎには、天安門に戻り下町見学。庶民の家がどんなものか見てみたかった。レコード店・スーパー?・服屋・・・。小学校の教科書にのっていた、戦後の日本を見ているようでした。中国の女性は、綺麗なひとも多いが、化粧、使い慣れていないのだろうか???あまり女性として意識していないのだろうか街中で平気で鼻くそほじる。脚を開いて座っている。バス停で、とうもろこしを豪快にかじっている。
夕方、マクドナルドへいって、ホテルへ帰った。シャワーを浴びたあと、前門まで、北京ダックを食べに行った。ひとつ68元と表示してあったので、安すぎるとは思ったが、まさか、一皿で、数切れだけとは・・。丸焼きを期待していたが、甘かった。ビール・チャーハン・北京ダック・スープで、108元、1人あたり27元。結構高級そうなレストランだったが、これまた、安い晩御飯だ。
8月6日(火)
今度は、7時すぎに天安門までいそぎ、すごい行列にならびました。今日は、毛沢東の遺体を見学できる。晴れた日の朝しか公開されない。北京についてはじめての快晴である今日、逃さずに行った。今日の夜から夜行列車で、上海に出発する予定だったので、ほんとにラッキーで、貴重な体験ができました。日本では、遺体をさらすなんて考えられないことですから・・。毛沢東記念館のまわりには、たくさんの店をだしていたので、いくつかここで、買い物もしました。
今日は、イワエンで、ゆっくりしようと思いましたが、パンダを見ようと、動物園に入ったり、していると、1日がすぐに終わってしまった。
ハイさんのレストランに戻り、一服。最後に、チケットの手配まで、お世話になりました。チケット待っている間、冷麺いただきました。自分も、こんなお店やりたいな…。とこのとき思いました。
大学の友人は、自分たちよりあとの出発だったので、先にみんなとおわかれをしました。まだ、一週間足らずなのに、悲しくなりました。3人だけの旅が、始まりました。午後9:55北京発。列車の運賃は、一人当たり366元。冷房も効いていて快適な列車でした。逆に効きすぎで寒いくらいでした。寝台は、中段→下段→上段という順で安くなっていく。自分は中段で寝ました。
自分たちの向かいのベッドに年配夫婦と、そのお孫さんがいた。13歳の子供で、彼はすこし英語を話すことができました。上海の親戚の家に行くところらしい。
自分たちは大学で、中国語を少し習っている。プラス筆談アンド英語で、何とかコミュニケーションをとることができました。しばらくのあいだ、中国のカードゲーム、トランプを教えてもらい、トークしながら過ごしました。消灯時間になると、電気が消えてしまったので寝ることにしました。がしかし、向かいの中国人3人のいびきが、うるさく何回もおこされました。
8月7日(水)
午後3時、上海駅に到着。せっかく知り合ったのに、もうお別れ。
もたもたしているとすぐに日が暮れてしまうので、とりあえず宿を探すことにしました。地下鉄で、上海の中心、人民広場まで行った。いくつかホテルをあたってみたが、上海の中心地には、安いホテルがなさそうなんで、少し、郊外へでることにしました。その前に腹ごしらえ。昨日の晩から、カップラーメンしか食べていなかった。お腹は空いているが、旅行はじまり、1週間目で、腹の調子がみんなそろってよろしくない。ちょうどいいところにマクドナルドがあったので、そこで軽くすました。食べながら三人で作戦会議をした結果、大学の学生寮が50元くらいで泊まれるので、そこにしようということになりました。何とかたどりついたものの、言葉が通じない。英語を使っても相手はまったくわかってくれない。中国語のガイドブックを見せながら一生懸命頼んでみたが、相手も、だんだんあきれてきて、相手にしてくれなくなった。これは、無理だなということで、別の宿を探すことにした。そのころ、あたりはもう真っ暗だった。さらに郊外へ歩いていくと、豪華なホテルがあった。ここにしよう。3人とも疲れはピークに達していたので、すぐに誘惑に負けてしまった。綺麗なホテルにこぎたない服をきて入っていくのは、少し恥ずかしかったが。フロントの人には英語が通じた。食事はついていないが、トリプルルームで、一人当たり1泊100元(日本円で1200円くらい)。ホテルの従業員の人たちは、とても親切で心地よい。それに美人ぞろい。7階の担当の女性も、気さくなひとで、ベリーグッド。とりあえず今日は、ここに泊まることに決めました。部屋に帰ると、まずは、北京の金さんに、電話をかけて、無事に着いたことを伝えた。そのあとは、風呂も入らず爆睡zzz…。
8月8日(木)
朝起きて、近くの店でパンとスプライトを買って朝メシ。バス、55路で、ヨエンへ。上海について、一番感じたこと、「ここって本当に中国??」。北京とは、まったく雰囲気が違っていた。自分がイメージしていた、ヨーロッパっていう感じでした。百貨店が立ち並び、北京とは比べ物にならないくらい女性はおしゃれでした。
3人とも疲れがたまってきているので、ヨエンで、ゆっくりお茶をのんで、くつろぎ、南浦大橋でゆっくり昼寝をしたりして、ボーっと過ごした。ホテルに帰って、マージャン。ヨエンで買ってきたミニマージャン。
8月9日(金)
みんな疲れているので、今日は、各自別々に行動することにした。自分は、まずワイタンに行ってヨーロッパ風の景色の写真を撮り、南京東通りに行って買い物をすることに決めた。地球の歩き方には、南京東通りは日本でいう銀座のようなもの。とかいてあった。自分は、銀座には行ったことないのでわからないが、大阪の南を歩いている気がした。北京では見られなかった、西洋人の観光者が、上海ではちらほら見かけた。大きな百貨店、専門店が立ち並んでいた。歩いていてびっくりしたのが、当て字???。CD(激光唱片)、ケンタッキー(肯徳基)、マクドナルド(麦当旁)・・・・・。
昼食は、街の食堂で、鳥のからあげ、ピラフ、スプライト。夕方6時ごろ1人帰ってきたが、もう一人の友人が、夜9時を過ぎても帰ってこない・・・・・。
最悪の事態になってなければよいが。9時半を過ぎてやっと帰ってきた。詐欺にあっていたようだ。お茶を買うために、ワイタンの向こうに連れて行かれていたようだ。まあ、日本円にすると、5千円くらいだし、身体は、元気だったのでなによりだ。
8月10日(土)
リュウモンヒンカンで、ケイリン行きのチケットを購入。最初は、駅で買うつもりだったが、ごちゃごちゃしていて、何がなんだかわからないので、600~700元は、覚悟していたが、321元で、リュウモン旅行社で買うことができた。ここで、また、日本人2人組みと、別に1人旅をしている人に会った。少し話して、情報交換したあと、またヨエンへ行った。晩御飯は、ホテルの近くのレストランで、1人30元くらい払い、ビールを飲みながら久しぶりに腹一杯食べた。
8月11日(日)
ケイリンゆきの列車は、午後7:15発。それまで、喫茶店や、マクドナルド、ハーゲンダッツ・・・。冷房の効いたところで、ゆっくり過ごしました。自分も、このとき風邪をひいてしまい、列車にのると、バファリン飲んで、睡眠をとることに。ちょうど良い休息に。電車は、これから2泊3日かけて、ケイリンヘ。
8月12日(月)
本日、一日中列車の中。一晩ぐっすり眠り、体調はよくなりました。今日も、一日ゆっくり休んで、万全の状態でケイリンへ!!
しかし、駅弁は、まずい。人間の食べ物ではない!!。ケイリンで買ったパンとジャムは、すぐなくなり、結局、列車の中で食べたのは、カップラーメンのみ。栄養とりてー。
8月13日(火)
ほぼ予定通り、朝7時過ぎごろ、ケイリン駅に着いた、まず、市内の地図を購入したあと、宿を探した。ちょうど駅の近くに、1人50元で、トリプルルームがあったので、そこに決めて荷物を置き、活動開始。ここは、北京・上海とは違って、とても自然が豊かで気持ちよかった。今日は、自然がすばらしい公園を回ることにした。長旅の疲れが、これで一気にすっ飛んだ。昼ごはんは、少しお金を出して、レストランでリッチにいこう。とはいっても、1人30元(日本円で300円強)。久しぶりにまともな食事をした。チャーハン、マントウ、スブタ、マーボー。なんせ列車の3日間はカップラーメンしか食べてなかった。
着いたときは、雨が降っていたみたいだが、活動開始と同時に晴れてきて良かった。七星公園、独秀峰へ行きました。
独秀峰に登る途中、日本語を話せる中国人カップルに、出会いました。最初は、なんかちょっとあやしげだったので、警戒してましたが、彼らは、純粋に日本語を勉強している学生でした。一緒に写真撮ったり、散歩したりしました。河くだりの切符についてなど、いろいろ聞けてよかったけど、なんか、だんだん相手のペースに巻き込まれていっている感じがして、面倒くさくなってきた。晩飯は、彼の友人のポーランド人まで連れてきて・・・。食事が終わり、ホテルに帰ると、3人組の日本人が、たまたま泊まりにきていた。
8月14日(水)
朝、ゆっくり寝すぎてしまい、活動開始は昼からになってしまいました。朝食は、ホテルの横の路地を入っていったところのラーメン屋さんで。田舎やな。店員さんほんとに愛想が良い。おいしく食べられました。味もグッドでした。そのあと、今日は、個人行動をとることにした。
自分は、西山公園→足笛公園→しない中心の湖心亭・・・。象山公園→南渓公園。一日ハードでしたが、公園すべて制覇しようと、動き回りました。よく似た景色でしたが、足笛公園の山を登ってみた景色は絶景でした。
夕方、ホテルの戻ると、3人組の日本人が、ホテルをチェックアウトするところに、出くわした。明日、400元払って、河くだりをしようと思っていたけど、彼らの話によると、さきに、下流までバスで行き、そこから、河のぼりをすると、50元くらいですむという、とりあえず良い情報を入手した。
晩飯は、いつものように、みんなで、中華料理を囲んで、13元ほど。満足満足。
8月15日(木)
今日は、一生忘れられない1日のうちのひとつになりました。ずっと前から夢見ていたケイリンの河くだり(実際に自分たちがやったのは河のぼりだが)。テレビや雑誌、カレンダーでもよく写っているところである。昨日、同じホテルに泊まっていた日本人三人組が言っていたように400元払って河くだりするよりも、先に下流のヤンシャオまでバスで行って川をのぼってくるほうが安いので(50元)その方法をとることにした。なぜこんなに値段に差があるのか不思議に思っていた。それにケイリン駅で運転手や乗務員の行動を見ているとなにかおかしいなとは、思ったが、気にせず、ミニバスに乗ってヤンシャオまで行った。約1時間半で、ヤンシャオに着いた。ケイリンについたとき、ここは、すごく田舎だなあと感じたが、ヤンシャオは、もっとど田舎。近代的なものは何もない。すると、ハードロックカフェ、マクドナルド、日本料理屋・・・などの看板があったので近くによっていったが、それらは全て偽物。旅行客の客寄せのためにつくっているのだろうか??昼前で、ちょうどお腹がすいていて、「牛丼」の看板が見えたので、そこの、日本料理店に思わず飛び込んで、朝昼兼用の飯にすることにしました。出てきた料理、どう考えても牛丼なんかではない。犬のえさ?見栄えは・・・。ここの店員さんは、とても親切で、愛想がよかったので、残したくはなかったが、いくらがんばってものどを通らない。そそくさと店をでていった。田舎の町をぶらぶら散歩しながら、お土産店をのぞきながら、河のぼりのボート乗り場を探した。すると、案の定客引きがいた。最初は250元だといわれて、これは、話が違う。言葉がわからないからなめられている。良くあることだが。いくら値切っても、相手はすごく頑固なひとで、とても時間がかかった。結局は、180元、一人当たり60元で、話がまとまった。普通の観光客とは、逆向きに船が進んでいるのだが、景色は同じ。船に乗って1時間が過ぎたころ、メインの山々が見え始めてきた。船は、自分たち3人の貸切だったので、先端まで出ていき、上半身は裸になり、ボーっとできた。とても優雅な気分だった。しかしその気分も少しの間だけで、少しずつ飽き始めてきた。約2時間くらいの遊覧だと思っていたが、なかなか目的地に着かない。すると、急に前方に大きな船が止まっていて、自分たちの船はそれに近づいていった。そしてその船に、固定されてしまった。最初は、何のことだかさっぱりわからなかった。しかし、船の運転手が免許証をその船の人にみせていて、それからしばらく話をしたあと、お金を払っていた。おそらく罰金だろう。
朝のバスも、闇バスだったように、この船も闇だった。本来は、河くだりで、商売をするのだが、彼らは、下った船を上流にもどすとき、空ではもどさず、何人か客を乗せて二重に儲けようとしていた。このような行為は禁止されているらしい。船が、止まっている間、また、下流にもどされたらどうしようかと思ったが、手続きがすんだあと、また、上流に向かって出発した。
しかし、そのあと、せっかく仲良くなっていた男の船員の態度が急に変わった。中国語で話しているので何といっているかよくわからなかったが、おそらく「お前らのせいで、罰金取られた!!」のようなことだろう。自分たちはよくわからない振りをして、黙っていた。いつになったら、到着するんだろう。ホテルまで帰ることができるかも、不安になってきた。陽提についたとしても、そこからバスがないと、帰れない。地球の歩き方をみると、17:10が、ケイリン行きの最終のバスと書いてある。それを見たのが、16:40頃。何時に陽提に着くのかをたずねると。あと、1時間以上はかかるらしい。大ピンチ!!こっちはあせっているのに、いきなり、船員夫婦のけんかが、始まった。中国語だからよく理解できず、最初は大声出して、じゃれているのだと、思っていた。ところが、じゃれているどころか、本気でけんかしているらしい。原因はおそらくさっきの、罰金事件だろう。内容を想像すると、夫「お前が、こいつら呼び込んだおかげで、罰金払わされた!!」妻「あなたは、お金儲けしたくないの??」こんな感じの内容でしょう。そうこうしているうちに、男は船の運転をやめて、前へ出て行って、寝込んでしまった。仕方なさそうに女が運転を始めた。18:30ごろ、船はようやく陽提についた。かれこれ、6時間くらい船に乗っていた。最初の半分くらいは、本当に感動の連続でしたが、後半は、疲労と、不安。公安につかまったり、自分たちもどっか連れて行かれるのかなあとか。乗務員たち、俺たちを殺したりしないだろうなあ。とかいろいろなことが、頭の中をよぎりました。
陽提についても男は、寝転んで、何もしない。女性ひとりで、岸に寄せるのは大変そうだ。男は、本気で怒っているんだな。何回か、河の流れに負けて、下へ流されたりしながら10分以上かけて、ようやく降りられる状態になった。男はすっと降りていって、川の岸のほうで座っていた。自分たちは180元払って「謝謝!!」といって、そそくさと、降りていった。男には、何度も「ありがとう!!」といったが、まったく無視された。この街は、ケイリン、ヤンシャオよりももっと田舎で、ぼろぼろの、何もない街、村??だった。
さてどうしよう、帰りのバスなんて、来る気配まったくなし。今日は、ここで野宿か?それとも、バスの拾える大きな道まで、歩こうか。と考えていると、仕組まれたかのように、軽トラックのような車が、自分たちの横に止まった。「仕方がない。この人に助けてもらおう」とケイリンまで送ってもらえるよう頼んでみた。あっさりオッケー。そして、「多少銭?」とたずねると、夕方で、あたりも暗くなってきているので、多少、ぼったくられても良いと思っていました。最初、200元ふっかけてきたが、100元で、交渉成立。すぐに車に乗って、出発。これは、おそらく、ヤンシャオの人たちのグルになっているにちがいない。そう思いました。
まあ、とりあえず、今日中にホテルに帰ることができるので、オッケーとしよう。車の中では、3人ともテンションがあがり、バシバシ記念撮影。正式な河くだりツアーに参加すると、一人400元かかる。自分たちが今日1日で使ったお金は、100元少々。安くついたうえに、波乱万丈も、味わえました。ほんとに、記憶に残る1日でした。
ちなみに、帰りの軽トラの運転手も、公安の車を発見すると、田んぼ?畑?のようながたがた道にはいっていき、迂回していった。これも、闇トラか?
8月16日(金)
今回の旅行もそろそろ終盤にさしかかってきた。今日までは、大きなトラブルもなく、最高に楽しくやってこれた。3人で、知恵をだしあうと、良いのかな?というより、ラッキー続きでしたね。北京の金さんといい。
ところが…。ケイリンについた当日13日に、ホテルのフロントで、広州行きの列車のチケットを手配してもらっていた。そのときは、あっさりオッケーしてくれて、完全に信用しきっていました。3日間安心して思いっきり楽しんでいました。それがまちがいでした。今朝、フロントから電話がかかってきて、向こう側で、何か意味のわからないことを行っている。フロントまでいくと、先日払った、600元を返された。どうやら、切符を手配できなかったらしい。3日前から予約の受付が始まるはずで、ちゃんと3日前に頼んだものが、取れないというのはどういうこと?はじめから、そんな気がなかった?わすれてた?まあ、お金が返ってきただけ、ラッキーと思いましょう。
文句を言っている暇なんがない。明日、香港につかなければ…。飛行機も心配だし、日本に帰れなくなる。CITSまで行って、直接並んでチケットを手に入れることにした。このとき、たまたま、日本人の三人組に出会った。そして、そのうちの一人が、中国語を話すことができた。情報もらって、チケット入手を急ぐ。掲示板を見ると、残りの切符がまだ少々ある。購入する窓口もわかった。でも窓口が開いていない。中国人は、ほんとにはたらかないぞ。結局15時までずっと並んで待っていると、やっと開けてくれた。予め書いておいた紙。まずは硬臥に挑戦。しかし「没有(メイヨウ)」。仕方なく、硬座にした。1人68元。軟座は、1人400元と高すぎた。とりあえず広州行きのチケットがとれた。約4時間の死闘だった。しかし、このままゆっくりしてはいられない。このとき、すでに、発車の1時間前。急いでホテルに荷物をとりにいき、また駅へ。待合室で、一息ついた。これで一安心。しかし、列車が、なかなか来ない。1時間遅れ。これは、よくあることらしい。いよいよ、列車が到着。乗り込んだのはよいが、いままで、乗ってきた車両とは天と地の差だ。通路に人は寝転んでいる。人の席に平気な顔で座ってくる。今日は何も食べてないので、カップラーメンでもたべようと、お湯を入れても、ぬるすぎで調理できない。でも、何も食べないよりましなので、がんばって食べた。席は、3人掛けだったが、2人掛けよりちょっと広いくらいのところに、3人無理やりって感じでした。こんな状態で寝るとか、考えられない。まあ、文句ばっかり言わずに、楽しもう。無理無理。苦痛以外の何者でもなかった。その中でも唯一の救いが、隣の女性との中国語会話練習でした。会話集を見ながら、発音をレッスンしてくれました。
8月17日(土)
夜は、まったく眠れなかった。隣に座っていた女性が親切で、会話集と、筆談で、楽しく会話できました。また、正しい発音ができるように、何回も自分の発音を聞いてもらった。朝、5時くらいにどこの駅かはわからないが、その人たちの集団が、降りていった。これで、ゆっくり、足をのばして、すこしは、眠れると思った瞬間、今度は、感じの悪そうな中国人が、その席にすわって、朝っぱらからビールを飲みながら駅弁を食べ始めた。寝たいのに、前で、くちゃくちゃ食べる音はするし、大声でしゃべったり、また、平気でたばこを吸い、足元に捨てる、また、火を消さずに窓から捨てる。足元に痰を吐いたりする。中国語が話せないので、文句も言えない。しかし、これが、中国の一般庶民の姿なのかもしれない。硬座は、68元で安くすんだかわりに、すばらしい苦痛を味わいました。移動時間約15時間、すごく長く感じました。朝8:30ごろ、広州駅に到着、列車を降りると、向かいにシンセン行きの列車が止まっていたので、すぐに、それに乗った。軟座だった。さっきまでの列車に比べると天国だ。ここの移動時間約2時間は、とても快適。
シンセン駅の近くで、久々のまともな食事をとりました。そのあとすぐ、羅湖駅ないで、イミグレーションを済ませて、香港に入国。九龍まで行き、チョンキンマンションのドミトリー1人60HK$に宿を確保。3人ばらばらの部屋で、他の外国人も一緒だけど、安いのでオッケー。
8月18日(日)
香港は、ゆっくり、ショッピングしたり、食べ歩きをするつもりだったので、今日は朝から、目的もなくぶらつきはじめた。行き当たりばったりで、いろんな店に入るのも、結構楽しいものだった。朝食は、ピザ屋さんがあったのでそこですませた。香港は思った以上に物価が高かった。日本と同じくらいかな?たばこは日本よりたかく、1ケース300円くらいした。いままで、中国で、物価が、約10分の一ほどだったのもあり、びっくりでした。そんな中で、マクドナルドなど、ファストフードは、比較的安い価格でした。ハードロックカフェも見つけました。何も買うつもりはなかったが、バスタオルを買ってしまった。上海でぼうし、九龍でタオルを買ったので最後は香港店で、何か買おうと思い、探しに香港島へ向かった。そこでは、デニムシャツを購入。
香港をうろうろしていると、ほしいものがどんどんでてきて、お金がいくらあっても足りない。ちなみに、中国滞在2週間ちょっとの旅費よりも、香港2日間のほうが、たくさんお金使ったかも。
旅行メンバーのうちのひとりの友人で、大学に留学生としてきている「ドラゴン」が、休みなので、香港に帰ってきているらしい。早速電話して、スペースミュージアムで待ち合わせ。ドラゴンが、メンバーに加わり、香港を紹介してくれることになった。紹介してくれるはずなんだけど、ドラゴン、いまいち香港のことよくわかってないみたい。故郷のはずなのに。まあまあ、あまり気にせず、楽しむことにした。
スペースミュージアムに入ったり、上海料理を食べたり、100万ドルの夜景といわれるところも見学に。感動!!しばらくは、夜景を堪能し、夜も12時過ぎなので、チョンキンマンションに戻りました。
あとは、寝るだけだと思い、部屋に帰ると、部屋には、イギリス人の女性が2人いた。そのうちの一人がギターを練習していた。自分もギターが好きなので、会話もはずみ、彼女が、1曲披露してくれたので、自分も、もちねたを披露した。彼女らは、インドへ行ってきたらしい。そして、これからいつになるかわからないが、オーストラリアをめざしている。ここで、バイトして、お金をためているらしい。今晩は、片方の女性が、疲れているみたいだったので、しばらくして、ねることにしました。彼女らは、下着(パンツ)1枚だけで、上は何もつけず寝ていた。本人たちは、まったく平気な顔。普通に話しかけてくるので、目のやり場に困った。
8月19日(月)
今日は、実質旅の最終日だ。香港は、ドラゴンのおかげで楽しませてもらいました。自分たちだけでは、行かなかったようなところに連れて行ってもらえました。香港の食べ物も食べさせてもらえた。
今日の朝は、8:00起き。昨晩遅かったから少しつらかったけど、ドラゴンの姉さんも呼んで、一緒に飲茶にでかけた。姉さんは23歳で、警察。ドラゴンより美人だ。
飲茶のあとは、お寺へ行ったり・・・。ショッピング。航空券も無事ゲット。帰りはリッチにJAL利用。もう安心かな??
夜は、ドラゴンとお別れのとき少し悲しかった。まだ、会って2日しかたっていないのに昔からの友達のような感じがする。彼女は、日本の大学で、汚い関西弁ばかり覚えてきてとても、女性とは思えないが、本当に愛嬌があっていいやつでした。また会える日があるといいのに。20日間の旅も、今日で終わりかと思うとなんだか寂しくなってきました。いろんな人に、であったな。好き勝手にいきたいとこいったなあ。と思い出しました。パックのツアーじゃ味わえない個人旅行の長所です。
8月20日(火)
今日は、飛行機で日本に帰る日です。今年の自分にとっての、メインにイベントでした。ホント、今回の旅行はたくさんの出会いがありました。英語は、コミュニケーションをとる上で必要だなと、心から感じました。もっと勉強しておけばよかった。香港のチョンキンマンションのように、いろんな国の旅行者が集まるところでは特に英語が、共通のことばになる。自分の部屋のひとは、イギリス人だったので、本場の英語が聞けてよかった。
最後は、マクドナルドで時間をつぶし、帰りました。どこの国へ行ってもありますよ。マクドナルドは。そして、食べ物に苦しんだとき助けられます。世界中どこへ行っても同じ味ですから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?