インド旅行
8月31日(日)
今回は、学生生活で最後の夏の旅行です。今しかいけないインドに行くことになりました。かなり旅慣れてきたので、調子にのらずやっていかないといけない。とりあえず飛行機の中は暇すぎる。日記でもかかなしゃーない。でも初日やから何もかくことがない。
途中香港を経由しました。空港に着陸するとき、ビルの間をすり抜けていかなければならないので「世界一着陸の難しい空港」だと言われているが、本当にその通りだったのでびっくりした。空港で飛行機から降りたかったけど、できなかったので、残念でした。
機内では無料なので、ビールを飲みまくった。やっぱり旅のビールはうまい。おつまみとか、機内食には、ほとんどカレーが関係していた。これから先、カレーばっかりだったらどうしようがと不安になった。←的中したぞ(9月6日)
約1日かかってやっとデリー空港に着いた。猿岩石の影響を受けてか、かなりの日本人の旅行者でした。ちょくちょく話しかけてみると、みんな宿を決めずに来ていた。飛行機を降りてimgration を終えると、いつものごとく客引きがたかってきた。現地の人は、この時間に、日本からの便が到着するということを知っていて、待ち伏せしていたというわけです。何人か連れられていく日本人もいたけど自分たちは無視し続けてデリー市内行きのバスに乗りつくことができた。すでに何組かの日本人が乗っていた。バスはどこに向かっているのかわからない。他の日本人も降りないので、デリー駅まで乗った。バスを降りるなり、タクシー・リクシャーなどの客引きに襲われた。宿を決めていなかったので、最初はどうしていいかわからなかった。時間はすでに、p.m.10:00をまわっている。客引きに襲われると危険なので、日本人みんなで動くことにした。みんなで、無視し続けていると、石を投げつけてきた。あまり人通りの少ないところへ行くと、ムスリム(イスラム過激派)といわれる人たちが襲ってくる。やばい。これは、今まで行った国とは、比べ物にならないくらい危険だ。とりあえずまた、駅に戻り、再スタート。
うろうろすること2時間、まったく方向がわからない。辺りは真っ暗。どこに宿があるかもわからない。まわりの人は、みんな怪しい人に見える。こんなに恐ろしい国に来たのは初めてだ。他の日本人たちは、リクシャーに乗って、ホテルを紹介してもらうと言ったので途中で分かれることにした。結構怪しいひとやったよな・・・。
自分たちは、Policeman だけを信じて何とかメインバザールのゲストハウスにたどりついた。時刻は、深夜12:40
本当に、ベッドしかない汚い部屋だけど、とりあえず身体を休めよう!!
明日は、明るくなったらコンノートプレイスで少しはまともなホテルを探して泊まろうと決心した。
9月1日(月)
夜はまったくといってよいほど眠れなかった。扇風機をつけるとうるさすぎる。消すと死ぬほど暑い。おまけにトカゲかヤモリか知らんけど、壁を走っている。静かになると「が」がうるさい。夕方から一滴も水を飲んでいないし、食事もとっていない。早く朝になって、明るくなってくれと、願うだけだった。苦しい一夜であった。
朝になって、気合を入れて、とりあえずくつろげるホテルでも探そうと動き始めた。夜よりはましだが、相変わらず寄ってくるインド人はうっとうしい。ひたすら無視し続けてやっとデリー駅。地図を買おうと思ったけど時間が早すぎて、どこも開いていない。食事もとっていないので、コンノートプレイスのホテルに向かってそこで、食事をとることにした。信号待ちをしていると横から話しかけられた。そんなに怪しそうでもなかった。いろいろ話しているうちに、昨日の出来事など・・・。少し、信用できそうな気がしてきた。彼も、インドの学生らしい。家族で「ファミリーホステル」をやっているらしい。中心地からは少し遠かったけど、とても親切にいろいろ教えてくれるので、今日は、彼らにお世話になることにした。家に着くと早速朝食を頂いた。彼は、写真を持っていた。今まで何人もの外国人が、日本人も含めて、ここで世話になっているみたいだった。昨日まで、別の日本人が、滞在していたらしい。本当に親切なのでしばらく世話になることにした。料金は、インドの料金にしては、高めだけど、相談の上、信用できそうだし、お世話になることにした。インドの生活もあじわえるし・・・。
昼食は「ポテトカレー」をつくってもらった。本当にじゃがいもだけだったけど味はあっさりしていておいしかった。ガイドブックには、「インドにないもの=それはカレー」と書いてあったが、その通りだった。カレーとは名前だけで、日本で言うカレーとはまったく違っていた。しばらく休憩したあと、ムバラクさんに散歩に連れて行ってもらった。街中はほこりっぽくて息苦しくなるときもあった。日中歩き回るのは暑くて地獄だ。家へ帰って、休むことにした。ムバラクさんは、TVゲームをだしてきた。まさかこんなとこへきて、ファミコンをするとは思わなかった。ベースボール・スーパーマリオ・テトリス・ゴルフ・サッカー・エキサイトバイクなど、1本のカセットに、いくつものゲームが入っている。日本のものとは違ってました。初期のファミコンだ!!
夜になってムバラクの兄が仕事から帰ってきた。夕食(チキンカレー)を食べてから一緒にこれからの予定を考えた。その後は、一緒にボードゲーム、ビリヤードみたいなものを楽しんで、寝ることにした。
9月2日(火)
翌日の飛行機しか手配できなかったため、今日はまた、デリーでゆっくりすることにした。朝食は、Half boiled egg / トースト / チャイ。午前中は家でゲームしたりぶらぶらしていた。朝食を食べた後ファミリーでインド映画を見に行った。言葉がわからないので、こまかなジョークなどは理解できなかったけど、単純なストーリーなので、大体は、理解できた。結局はハッピーエンドで終わる恋愛・コメディーものでした。
この街?では、毎週火曜日にバザールが開かれる。衣服・スカーフ・スーツなどなど生活に必要なものを中心にとても安い価格で売られている。夕方の4時から9時くらい。自分たちが世話になっている家のまわり、直ぐ前の道もにぎやかになる。おみやげになりそうなものはひとつもなかった。
今日の夕食はまたカレー。揚げ豆腐のようなものが入っていた。
ここまで3日間は、旅行というより、ホームステイのような感じでした。朝起きて、食事をして、昼まで、ぶらぶらして・・・。ムバラクさんの家族と一緒に普通の生活をしているという感じだった。今までの旅のスタイルとは、一味ちがってこれはまた良い経験ができたと思います。
9月3日(水)
朝起きて、食事をしたあと、シュリーナガルに向けて出発。飛行機が遅れたので、空港で3時間以上も待った。シュリーナガルから車で、House boat (船の形をした家また、宿泊施設)まで行った。朝出発して、着いたのは、昼過ぎだった。 軽く食事をしたあと、釣りをさせてもらった。小さな魚が一匹釣れただけで、ほとんどかからなかったので、飽きて、今度は、ボートに乗ってムバラクの友人たちの住むハウスボートへった。どこへ行っても、インド人たちは、歓迎してくれて、とても気分が良かった。
ここ、北インドは、デリーとはまったく違った土地だった。交通もゴミゴミしていないし、人も少ない。みんなアットホームな感じで、とても居心地が良い。気候も涼しくて、春みたい。ここは、インド人も含めて、いろんな国の人が、避暑のために、訪れるらしい。
インド人は貧富の差が大変激しく、貧乏な人は生きてゆけないくらい貧しい。裕福な人は、家にTVゲームをもっていたり、ステレオを持っていたり、携帯電話も持っている。今日、デリー空港へ車で向かっている途中、信号待ちをしていると、貧しい人たちが、自分たちのほうへ向かって何かを求めて、手を差し出してきた。ムバラクさんは、相手にするなといった。とても複雑な気持ちになった。同じ人間なのにどうしてこんなに、差ができてしまうんだろう。でも、自分にはどうしてやることもできなかった。
今回の旅行では、なぜか、直ぐに腹が減る。1日3食けっこう腹いっぱい食べているのになあ。環境の違うところへきて、神経が張り詰めて、カロリー消費してるのかな。食べてるものの消化がよすぎるのかな。
9月4日(木)
本日の予定、午前中ボートで、ダル湖、ムガル庭園。
ボートで1時間以上もかけてムガル庭園まで。日本でみた尾瀬のような雰囲気があった。この土地の人々の交通手段は、どうやらボートのようだ。買い物にいくのも、隣の街へ行くのも、みんなボートで行っている。行くときは、いろんな自然の風景が見えて、写真も撮りながらだったので、楽しかったけど、帰りはあまりにも暇すぎた。車社会に慣れている自分たちにとって、ここまでゆったりとしたペースでの生活は、逆にストレスになっているのかな。ある意味病気ですね。何で、ボートにエンジンつけないんだろうとか、考えてしまった。
湖の真ん中に、家があったり、真ん中のほうで、畑仕事をしていたり、もし、大雨とか強風に、おそわれたら、どうするんだろう。命も危ないような状態でした。
ハウスボートに戻り、昼食をとりました、今日は、昼もカレー。旅行が始まってカレーを食べなかった日は、一度もない。そのうち何日かは、1日2回カレーを食べている。
午後からは、ハンドクラフトの作品の Factory に行った。午前中のカーペットといい、午後ハンドクラフトといい、どうやら宿の爺さんとグルで物を買わせようとしているらしい。また、彼らの英語の発音が、現地の方言も混ざっており、よく理解できない。午後は、ムバラクも着いてきてくれたので、少し安心。彼に聞くと、just looking O.K. でもし、本当にほしいものがあったら、買えば良い。ということでした。インドにも、エジプトと同じく、買い物客には紅茶を出す習慣があるらしい。日本人たちは何か物をだされると、買わないと悪いと思ってしまうので、ぼったくりにあってしまうらしい。自分たちは、そのことも頭に入れ、工場見学のような感覚で、手作りの商品をゆっくり見せてもらい、作る過程も見せてもらい、良い勉強になりました。ゆっくり、紅茶をいただき、最後は、No thank you の作戦でいきました。今回、インドにきて、観光というより、インド人のさまざまな生活をみました。
湖や河の間や岸に、住民たちの家が立ち並んでいる。生活はすべて、そこの水に頼っている。洗濯も洗顔もいろいろ。過去訪れた国のなかで、一番原始的な、生活をしていると感じました。が、ここ、シュリナガールは、インドでは、整っているほうらしい。今回、行かなかったが、ガンジス川周辺など、行ってみたいが、少し怖い気がする。日本に生まれてきて、よかったと感じた瞬間でした。電信柱が水中に立っていて、電線が、水の近くを走っているのはびっくりしました。
今日は、3組の日本人に出会いました。とはいっても、ボートですれ違った程度で、あいさつしただけ。ホテルなどで出会って、いろんな話で盛り上がるということは、今回あまりなかった。少し寂しい。
自然が豊かでほんとにのどかな所だけど、生活のリズムがゆっくりすぎる。少し飽きてきた。自分たち日本人には、必要なことなのかな?生まれたときからいろんなものが与えられ、それが当たり前の状態なんでなくなると不安で生きていけない。ここ、シュリナガールには、ほんと何もない。自然と時間は、たっぷりある。子供たちは、空き地で楽しそうに「クリケット」をしている。ほんとに楽しそうです。大人は、何か話しながら、くつろいでいる。
この日の夜は、水道の水がでなくなって、歯もみがけない、もちろんシャワーもできない、おまけに停電。陽が暮れてからはろうそく本と自分がもっていった懐中電灯のみ、友人と話を寝ながら就寝。次の日、朝起きてもまだ水はでない。顔も洗えない。困った国だ。これはそんなにめずらしいことではないらしい。
9月5日(金)
朝、起きて朝食を食べた後、ヒマラヤ山脈にキャンプにでかけた。途中街の中は、砂ほこりと、自動車の排気ガスで、呼吸できないくらいでした。しかし、山脈に近づくにつれて空気も澄んできて、寒いくらいに気温が下がってきた。河の水もすんでいて冷たい。ほんとにひさしぶりの冷たい水だ。すぐそこに雲もある。ほとんど人はいない。いるのは牛や馬や羊などの動物だけ。何箇所か写真を撮ったあと、キャンプの場所を見つけた。周りは四方すべて、山、山、山。上のほうにはまだ雲が残っている。
こんなにすばらしい景色を見たのははじめて。2・3日苦しんでいた鼻炎も一気にふっとんだ。スケールがでかすぎる。こんなに感動したのも久しぶり。山で食べるカレーもうまい。毎日カレーにも慣れてきた。環境かえると、また違うおいしさがあった。
今自分は、山に囲まれた川岸に座って日記を書いています。
チラッと上の道をみると、銃をもった軍隊の車が何台も通っていた。もう少し北へ行くと、アフガニスタンとの国境紛争の地になる。今は休戦中なので、ここも、少し落ち着いている。今日は、あと夕食、またカレーだろう、を食べて寝るだけです。夜は、まったく明かりがないので何もできないだろう。
今日は、生まれて初めて、チキンを殺す瞬間を見た。日本ではすでに調理されたものをみているだけだが、現地の人は、生きた動物をそのまま殺して調理する。チキンの首から血が噴出したとき、身体が、ぞくっとふるえた。インド人は、手馴れた様子で目の前で調理してくれた。
山の天気は変わりやすい。今まで、すごく良い天気で心地よかったのに、急に雲行きが怪しくなり、突然大粒の雨が降り出した。しかも、雷も一緒に。小さなテントなので、飛ばされないか心配だった。「ピカッ!!」「バリバリ!!」直ぐ近くの雲が・・・。日本にいるときとは違い、雷も近い!!近すぎる。早く天気よもどってくれ・・・。
9月6日(土)
寒い、寒い、寒い。凍え死にそうだ。昨日の夜の雨のせいか?山は怖い。旅行中、環境が変わって、体調もすこし崩している。鼻炎もひどくなっているところ、追い討ちをかけるようにこの寒さ。おっさんに聞くと、やはり、雨の影響らしい。今日は太陽も出てきて、少しは、ましになるらしい。でも信用できん。一応まわりは明るくなってきたけど、外に出る気がしない。寝袋をかぶったままじっとしていたけど、トイレを我慢できず思い切って外へでた。A.M.7:00、すごい!!雨の後で、晴れあがった山は最高!! 昨日も感動したけど、もっと空が澄み渡ってきれいでした。でも、やっぱり寒いのでテントの中に入って日記でも書いておこう。
朝食を食べたあと、散策に出かけた。朝の山の景色を見ながら、羊の大群、牛の集団とすれ違ったりしました。最初は、調子よく歩いていたが、最近、日本では、不健康な生活ばかりしていたので、ちょっとした坂も息苦しくなってきた。大きな牧場など、初めて見る風景もありました。「夏の間だけ、テントを張って住んでいる移民」のところで、紅茶を頂いて残雪のあるところまで登っていった。こんな時期に雪、ほとんど凍りだが、見ることができるなんて思ってもみなかった。とりあえず目的の残雪のあるところまでたどりついて、写真を撮って少し休憩することにした。A.M.11:00前いつもは、そろそろお腹が空くころだが、今日は、歩きつかれて、食欲がわいてこなかった。これからまた、同じ道を下っていかなければならないと思うと、ぞっとした。こんなとき雪があって、スキーをはいていたら、一瞬のうちにすべりおりられるのになあ。同じ道をくだって、綺麗な小川のほとりで、昼食をとることにした。この辺は、冬は、一面雪が積もり、人は、入ってこれないらしい。歩いている途中動物の骨があちこちに落ちていた。それは、おそらく足を怪我するとか、群れについていけなかった羊や牛などがそこで、死んでしまったのだろう。運転手は、言っていた。
同じ道をそのまま、戻るのは、憂鬱だが、がんばって、戻りました。運動不足なんで、ひざは笑っているし、靴づれもできている。今日は、テント周辺でゆっくりしておこう。今晩は、大雨降りませんように!!
9月7日(日)
夜は、昨日より寒さはましでした。疲れも眠さも朝の山景色を見るとすっと吹っ飛ぶ。今日もいつもと同じ Half Boiled Egg とパンを食べて、ちょっとくつろいだあと、テントを片付けてハウスボートに向けて出発。ドライバーが、昨日から少しあつかましかったので、帰りは、ほとんど会話なく・・・。ふと、乗ってきた車のタイヤをみると、タイヤの溝がほとんどない、つるつるのタイヤだった。ぞくっとした。よくあの山道、事故おこさずここまできたな。そして、帰りは大丈夫なのかな???と不安がよぎりました。
山道を順調にくだっていっていると思いきや、アクシデント発生。急に道路ににわとりが、とびだしてきた。堂々と横切るにわとりを、ドライバーは、急ブレーキでよけた。ホット一安心するまもなく、ドライバーがアクセルを踏もうとしたその瞬間、今度は正面からバイクが衝突・・・!!バイクのドライバーは、怪我もなかったようで大事にならずよかった。バイクは、フロントのほうが、少し壊れただけだった。一方車は、ほとんど無傷だった。でも、もし相手が、車だったら、にわとりをよけるためにブレーキ踏んでいなかったらと考えると…。しばらくの間事故の当事者同士が、話し合いをしていた。まわりにはひともたくさん寄ってきてうっとうしかった。
こんなに迷惑をかけて、少しは落ち込んで、反省し、謝罪もあるのかと思いきや、そんな雰囲気はまったくなし。インドでは、こんなこと日常茶飯事なのかな?
無事、ハウスボートに到着。ドラーバーは、チップを要求してきた。考えられないですね。日本では。チップなんて渡すわけないでしょ。
部屋に帰って、シャワーを浴び、着替えていると、顔が、日焼けで真っ赤。肌もぽかぽかしていた。ふと、窓の外、ハウスボートの爺さんの小屋のほうをみると、ヒマラヤへ行く前に部屋のゴミ袋に捨てていった自分のトランクスが干してあった。自分たちが、必要なくなったものも、ここの人たちにすれば必要なものなんだな。日本人って、自分では気づいていないところで、ものを粗末にしているのか…。と少し思いました。
出会う人、みんな日本の物を珍しがって欲しがります。インドは、途上国で、日本に比べるとはるかに遅れているんだなあ。と感じました。自分も荷物を減らしたいし、必要ないものは、少しずつおいて帰ることにしました。
9月8日(月)
予定よりも1日早めて、デリーに戻ることにした。
バスのチケットがとれるかわからないので、朝は6:00ごろに食事をとり、直ぐに出発した。当初の予定は、ここ、シュリナガルから、ジャムールまでバスで行き、そこからデリーまでは、夜行列車で行くはずでした。これでも長旅になるなあと思っていた。
自分たちが乗る予定のバスには、すでに、2人の日本人が乗っていて、出発を待っていた。少し長い時間だけど別の日本人もいるので、いろいろ話せるなあと思うと、少し気分が楽になった。
今日はやけに軍隊の警備が厳しい。ムバラクに尋ねると今日は、シュリナガルに首相がやってくるらしい。ほんまかな?そんなニュースどっから入手したんだろう。私たちずっと一緒にいるのにそんな情報まったくしらなかった。まっいいか。
出発そうそう、ほとんどバスは、うごかなかった。軍隊の車が優先。それにここの国の車はほとんど、交通規則を守らず、どこでもとにかく、前の車を追い抜かして、すこしでも前へという意識で運転している。もう、道路はめちゃくちゃだった。朝8:00に出発したけどお昼を過ぎても街を抜け出せず同じところをとろとろ進んでいるだけだった。これからいくつもの山をこえなければならないのにいきなり、出発からつまずいた。
いったん、バスは、動き始め、順調に動いたと思ったら、山道に入って、また動かなくなった。後で、ムバラクに聞いた話によると、この道は、しばらくの間、閉鎖されていて、久しぶりに開通したので、一気に交通量が増えているらしいのだが、本当かウソかわからない。途中、何回も、Bag Chacking!! といって乗客が全員おろされたりもした。何かよくわからない。「外国人はそのままのっていてもオッケー」と言われるし。トラックは、特にこれが厳しいようだ。山道の先をみると気が遠くなるほど道が渋滞している。
山道は、考えられないほど道が狭く、日本だったらおそらく通行止めレベルであろう。そんな道のがけっぷちをトラックが、抜かして行ったり、また、対向車も来る。ガードレールなんて、あってないようなもの。すぐに壊れそうな岩が、置いてあるだけ。今まで、まちがいなく何台もの車が、崖をすべりおちて発見されていない車もあるだろう。おっと!予想通り、崖に転落したトラック発見。あーならないように、祈るだけだった。スムーズにバスが動きだしたら、崖に落ちないか心配で仕方なかった。ジェットコースターよりもリアルなスリルを感じました。
最初のうちは、景色をみるのも、ものめずらしく楽しみだったが、いったいいくつ山を越えたら到着するの?っていうくらい数え切れないくらい山を越えました。いい加減にしろといいたくなるくらい。バスは冷房もないし、汚い、誇りっぽい。乗り心地は決してよくない。いや、とんでもなく悪い。一体いつになったら、ジェムールに着くのだろう。だんだんと、いらいらもたまってきた。平原、山道、平原、山道、平原・・・・・。もうあたりは暗くなってきた。かれこれ12時間以上、途中昼食の休憩はあったとはいえ、ずっと乗りっぱなし。もう、限界。。。。。。
少し、睡眠をとろう。寝たり起きたり、繰り返して、時間は、夜中の0:00
バスが、止まった。やった、着いたと思ったら、何やらコンコン音が鳴り始めた。修理してんのか?そして、一旦動き始めてまたとまった。今度こそ着いたと思ったら、さっきと同じ場所。どうやらバスがいかれてしまったらしい。真っ暗なので、修理するのも無理だろう。乗客たちはみんなあつまってワイワイもめている様子。何を言っているのかわけがわからない。ムバラクに尋ねてみると、別のバスを呼ぶので、しばらくここで待っていてくれ、とのことだ。次のバスは何時に来るのかさっぱりわからない。ムバラクもわからない。たぶん朝になるだろう。今日はここで野宿か。海外初野宿!!ぜんぜんうれしくないぜ!!!
別の日本人2人組みもかなりお疲れのようだ。今、ここがどこかまったくわからない。昼から何も食べていない。とりあえず何か飲みたい。あんまりうろうろすると、このむし暑さで、倒れてしまう。すると、何やら他の客がぞろぞろ動き出した。夜中の2時くらい。1つだけあいているお店があった。そこで、コーラを買って一気飲み。少しは生き返った。あと、ミネラルウォーターを1本買って、道路の隅にすわり、一夜明かすことにした。
ふかふかのベッドで寝たい。ビールが飲みたい。おいしいものが食べたい。とりあえず早く次のバスが来てくれ。と願うだけだった。そのまま、4人で話をしたり、うとうと眠たりしながら朝を迎えた。この先、またまた、ハプニングが起きるのを知らずに。
9月9日(火)
朝、7:00くらい。来た!! やっと次のバスが来た。急いで荷物を積み替えた。そして、バスに乗り込んだけどなかなか発車しない。まわりは、もうみんな活動開始しているのに。何やかんやと、うっとうしい押し売りがやってくる。泣いた赤ちゃんを抱いて、お金を求めてくる女性もいる。子供は生んだけど、育てていく経済力がないんだろう。インドの町にはそんな人たちが、たくさんいる。骨と皮しかない老人も道端でうずくまっている。火と思えば、綺麗な服着て、家にはTVゲームをもっているひともいる。どうして、こんな差がでるのか、自分は何もできずにボーっとみているだけだった。日本に生まれてよかった。と思う瞬間でした。
午前8:00、バスは、やっと動きだしました。もう山は越えた。しかし、デリー行きの列車は夜しかないのかよくわからないが、バスで、デリーまでいくことになった。昨日とはうってかわって、バスは快調にとばしていく。このペースで行けば明るいうちにデリーに着くのでは??ムバラクもそういっていた。
しかし、窓の外の景色をみながら、気持ちよかったのも昼過ぎくらいまで、景色はまたまた、大きな畑、町、大きな畑、町・・・・・・・・・。どこも、まったく同じ風景にしかみえなかった。いや、おんなじところをくるくるまわってるのかな?とも思ったくらい。昨日とはちがって、どんどんスピードだして、進むのはよいが、ほんとに同じ景色のくりかえし。途中 Bag Checking とか給油で、何度も止まったりした。一度止まると、30分から1時間は、動かない。またしても、イライラが、たまってきた。途中、昼休憩で、またしても、カレー登場。昨日の昼から何も食べていないので何か口にいれとかなければと思い、がんばって、口にいれたが、これは、無理。人間の食べ物ではない。結局、コーラをたくさん飲んで、腹をまぎらわすだけになった。昼食を終えると、またひたすら走るのみ。いったいいつになったら着くのか。誰もわからない。バスの中は、昨日から、ずっと同じメンバー。変な刺青を入れた欧米人。まわりのインド人とうまくいかないのか、Facking の連発。インド人も怖そうな人ばっかり。決して居心地はよくない。夕方、5時すぎごろ、バスは止まった。どう考えてもここはデリーではない。5時といえばインド人のお祈りの時間、たぶん、イスラム教。みんな、協会のほうを向いて、礼拝している。最初は、休憩も兼ねての停車かなと、思ったら、乗務員たちは、一生懸命タイヤ交換している。またしても、タイヤパンク。他のインド人たちは、別にいらいらいている様子もなく。草むらでゴロゴロ。いつものことなのだろうか?イライラしているのは、自分たち日本人4人だけ。それに体力はもう限界に近づいている。昨日の昼くらいから、かれこれ1日半まともな食事をとっていない。コーラとミネラルウォーターを飲んでいるだけ。ここは、もう北インドではなく、山も、越えているので、蒸し暑い。途中買った水も、ぬるくておいしくない。早く治せ、出発してくれ。
タイヤの修理で、かれこれ1時間半以上のロス。やっと動き出したころには、もう夕暮れ。綺麗な Sun set だったけど、そんなこと思っている余裕はない。しんどい、苦しい。何か食べたい。のどもかわいた。もう限界をこえていた。日本人4人には、もうまったく会話はない。黙って、デリーへの到着を待つのみ。
夜の8時か9時ごろ。やっと街らしくなってきた。よし、もう直ぐだ。と思うとまた、バスが止まった。夕食の休憩らしい。2日近く何も食べていないので、なんでもいいから、まずいのをがまんして、口に押し込んだ。あとは、コーラでくちおしして、少しは、身体が、よみがえった。でも、ここで、食事の休憩をするということは、まだ、かなりの距離があるんだろう。本当に今日中に着くのか?すると、日本人の、ひとりが、「おいおい、デリーまで、270キロって書いてあるぞ!!」といってきた。がっくり。でも、とりあえず食事はとったので、もう少しがんばろうという気になった。
食事のあとなので、バスに乗ると、急に眠たくなり、とりあえず寝ることにした。爆睡しているあいだ、バスは、どんどん進み、深夜の1:00バスが、とまって、客たちは降りようとしている。やった!!ようやく、デリー駅に着いた。尻ははれあがるくらい痛い。歩くのもやっと。ふらふら状態。でも少し、元気が出てきた。リクシャーをひろって、ムバラクの家に向かった。普段は、乗り心地の悪いリクシャーが、やけに、心地よかった。家につくと、久しぶりに再開した家族とあいさつをかわし、着替えて、ばたんきゅー。
家族のみなさん、こんなに夜遅くに起こしてごめんなさい。
9月10日(水)
ムバラクの家は、自分の家のように落ち着く。夜も、久しぶりに熟睡できた。今日は、1日、長いバス旅行の疲れを癒すことにした。朝ごはんも、マイムナの作ったものを久しぶりに腹いっぱい食べることができた。1日、ゲームをしたり、昼寝をしたり、少し外へ出て買い物をしたり、雨季も終わりかけで、来たときよりも、かなり涼しくなっていて、湿気もなくすごしやすく感じた。昨日までとは、天国と地獄の差だ。お土産のたばこを買うとき、むこうの計算ミスで、10rsほど得した。日本円では、わずか30円強。今日は、特にこれといった出来事は、ないと思っていたら、ファミリーで、ティータイム中部屋に猿が入ってきた。近所では、一瞬パニックになった。嵐のように、どこかへ、去っていった。
9月11日(木)
朝9時ごろワゴン車を手配してもらい、アーグラーに向かって出発。自分たちの手持ちのインドルピーが、少なくなってきていたので、両替のため、ムバラクの兄の働いている旅行会社???へ寄った。アーグラー方面まで、案内してくれるのは、兄の知り合いみたいなので、信用して、運転手をお願いした。顔は、怪しそうで、あまり気に入るタイプではなかったが・・・。ガイドブックによると、デリーからアーグラーまでは、5時間くらいかかるとかいてあった。運転手は、左に見えるのは、インド門で・・・。それから・・・。いろいろガイドしてくれるが、旅の疲れで、相手するのもしんどかった。途中運転手の休憩のため、サービスエリアのようなところに止まった。このとき、はじめて、インドにきてまともな店に入ったような気がした。なんと、商品に、値段が書いてあった。今まで、こんなことありえなかった。でも、アーグラーに着いたら、いろいろ買い物もできるし、荷物も増えるので、帰りにまた、この店に寄ってもらえるように頼み、ここでは、何もかわないことにした。移動中、雨が降り出したが、どんどん進んでいるうちにまた、晴れてきた。ほんと、広い国だな、と思いました。
いよいよ、アーグラー市に入った。もうすぐ、タージマハルが見られると思ったら、途中、通行止めに会ってしまった。ムスリムとヒンディーたちが、やりあっているようだ。回り道をしたが、そっちは、大渋滞。朝、9:00に、デリーを出発して、アーグラーのホテルに着いたのは午後3:00でした。
今回の旅行は、本当に移動時間が多い。交通手段が、遅れているのもあるのか。ホテルで、いらないものを置いて早速タージマハルにいった。今回のインド旅行のメインの地にやっとたどり着いた。さすがに、観光地ということもあり日本人の旅行客をたくさん見かけました。大理石の建物はすごいですね。ほんときれいでした。
タージのあとアーグラー城も見に行こうと思っていたけどとにかくよってくるインド人がうっとうしく、少しゆっくりするため、ホテルタージケーマで食事をすることにした。たまたま、日本人の2人組みも泊まりに来ていた。彼らが、屋外へ出るととても綺麗だといってくれたので、外の丘のテーブルで、食事することにした。Extra20rs インドへ来てはじめてのビールも飲めた。丘の景色は、ガイドブックどおり、最高だった。これは、次インドを、訪れる日本人には、ぜひ、おすすめしたい。政府が経営しているので、安心もできる。値段もお手ごろ。チキンライス・カレー・スープで、1人100rs少々。帰りには、おみやげ店も紹介してくれた。2200rsで、たくさんの、大理石の商品を買うことが、できた。
9月12日(金)
ここのホテルのスタッフも自分たちの汚れたTシャツ、トランクス、靴下など、くれといってくる。いわなくても置いて帰るのに。しつこくいわれると・・・。フロントにミネラルウォーターを頼んでも、しつこくチップを要求してくる。しかも、少ない!とか、クレームをつけてくる。
朝食は、どっか違うところで探すことにした。が、朝8:00前で、どこも開いていない。リクシャーなど、いろいろ、声をかけられ、街を歩くのも一苦労。結局ホテルで、朝食をとることにした。チキンサンドイッチとペプシーコーラで、75rs まあまあの値段だ。が、ほんとまずい。
朝食を持ってきたスタッフ、またしてもチップの要求。特に、アーグラーにきて、このホテルにきてから、チップの要求が、半端なく激しい。写真のシャッターとか・・。日本人だから??そんな気もしてきた。
デリーに向かう前に、アーグラー城によってから帰ることにした。いつも、思うことだけど、行く国の歴史とか、勉強してくればよかったな。とほんと思います。アーグラー城から見える、タージとヤムナー河の組み合わせ。良い景色でした。
帰る途中、ドライバーは、カーペット工場へ行こう。とか、○○の店はいいぞ。とか、いろいろ勧誘してくる。No thank you. ですべて、切り抜けましたが、彼らもお金を稼がないといけなく、大変なんだろうなと思いました。
行くときに寄った店で昼食の休憩をとることにした。値段も手ごろだったので、スパゲティチーズを頼んだ。しかし、出てきたのは、スパに、チーズがのっているだけ、本当に単純な料理多いなと感じました。気分が悪くなり完食できませんでした。
今回のドライバーは、途中写真撮りたいから止まってっていっても、ここは無理。とか、明日行ってあげる。とか聞いてくれなかった。紹介した店に、一回もいかなかったから、気分を損ねてしまったのかな?
ムバラク家について、ドライバーはチップを要求してきたが、Your service is not good! といって、さっさと家に入っていった。家に帰るとファミリーは笑顔で迎えてくれて、早速、ティー、トーストを準備してくれた。やっぱりこの家は、居心地いい。
9月13日(土)
今日は、インド最終日。帰って、綺麗なシャワー、湯ぶねにつかれる。自分のベッドで寝られる。おいしい日本の食事ができる。確かにそれもうれしいけど、ムバラクファミリーと分かれるのは、すごく寂しい。自分の家のようにくつろいでいたし、遠慮もなくなってきていた。帰るとき、日本のサンダルがほしいといわれたけど、これをわたすと、自分のはいて帰る靴がなくなるんで、ごめんねって。
時間が近づくまで、家で、ゲームしたり、してました。
昼過ぎ、リクシャーを手配してもらい、最後のお別れのあいさつをした。ほんと、悲しい気分になりました。おかげさまで、安全で??楽しい旅行になりました。
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