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[プロレス]The Night Before 『太陽にほえろ!』

デッデッデーレデーン!デッデッデーレデーン!
というわけで刑事ドラマの名作『太陽にほえろ!』がいかにして始まったのかという話です。
最初にお断りさせていただきますが、『太陽にほえろ!』そのものの話ではなく、このドラマが放送されていた放送枠に関する前日譚です。
例によってわたしが知ってる内容を書くだけなので、細かいところは正確でないかもしれません。

話は力道山の死去にさかのぼります。
※参考

人気沸騰!ジャイアント馬場

1963年当時におけるプロレスは、まさに国民的娯楽といえるほどの受容を見せていました。
2週間に一度の金曜日夜8時は力道山を観るための時間といっても過言ではないくらいの人気で、力道山がザ・デストロイヤーと戦った試合の中継は今でも歴代視聴率ベスト10に入るほど。まさに国民的人気でした。
それだけに力道山の死去は国民的娯楽たるプロレスの死去とイコールではないかと考える人も多かったと聞きます。

が、プロレスは死にませんでした。
それどころか日本テレビ金曜夜8時のプロレス中継は力道山がいたころ以上の人気を博すようになります。
力道山に代わるあらたな国民的スターが現れたのです。
それがジャイアント馬場です。

アメリカでプロレスの神髄を身に着けた元巨人軍選手のジャイアント馬場の人気はすさまじく、2週間に1回だった日本テレビのプロレス中継は毎週放送されるようになります。
これに目を付けたテレビ朝日(当時はNETという名前でした)がジャイアント馬場擁するプロレス団体「日本プロレス」に「うちにも放送させてほしい」と打診します。

日本プロレス首脳陣が日本テレビにこの申し出を伝えたところ、日本テレビは次のような内容を含む条件をつけました。

「ジャイアント馬場の試合は日本テレビ独占」

つまり、ジャイアント馬場の試合以外であればテレビ朝日で放送してよい、という条件です。

そこでテレビ朝日は当時馬場に次ぐスターだったアントニオ猪木の試合を中心としたプロレス番組『ワールドプロレスリング』を水曜日9時(のちに月曜日8時)に放送することになります。

日本プロレス激震

馬場、猪木という大スターの訴求力と日本テレビ、テレビ朝日という全国ネットの訴求力は相乗効果を生み、日本プロレスに莫大な利益をもたらしたといわれます。
しかし・・・そのお金が馬場や猪木を十分に潤したわけではなかったようです。
ふたりの先輩レスラーにあたる当時の幹部、芳の里、遠藤幸吉、吉村道明らは会社のお金を私的に流用し、馬場たちはその働きに見合わない額の報酬しか受け取っていなかったようです。

これに不満を持った猪木は馬場に呼び掛け、団体の健全化に乗り出します。
ふたりは選手会に呼び掛け、団体改革のための連判状を作ります。
ただし、幹部を追放したように見えるのはまずかろうという配慮から、社長の芳の里について、肩書はそのまま実権だけを奪い取り、馬場と猪木が新たに副社長に就任したうえで団体のかじ取りをする・・・そういう話だったようです。

大枠はこのように決まり、細かいプランは猪木が練ることになりました。
猪木はこのとき、自らの後援会の会長を務めていた税理士の木村昭政なる人物に実務を担わせます。
・・・・がこれが混乱を呼んでしまいます。
社長・芳の里、副社長・馬場および猪木、ということで進められていたはずの計画がいつのまにか社長・猪木、副社長・木村昭政、と書き換わっていたといわれています。

これに馬場および選手会が反発します。「猪木はもう信用ならん!」
結果として、猪木は日本プロレスを追放されてしまうのでした。

日本テレビ金曜夜8時は・・・

こうして猪木がいなくなった日本プロレスですが、たまったものではないのがテレビ朝日。自社番組の主役がいなくなってしまったわけですから、当然日本プロレスにこのような申し入れをします。
「馬場をうちの番組にも出してほしい」

たまったものではないのは一方の日本テレビも一緒です。力道山時代から二人三脚でプロレスを盛り上げてきたのに、ずうずうしい要求だ、てなわけです。日本テレビの意思はNOでした。
「馬場がテレ朝に出るのであればウチは撤退する!!!!」

板挟みになった日本プロレスは、なんと日本テレビとの約束を反故にし、テレビ朝日に馬場を出すという決断をしてしまいます。

この決断に対し、日本テレビと番組スポンサーの三菱電機に恩義を感じている馬場本人は強硬に反対したのですが、テレ朝への馬場登場は実現してしまいます。

日本プロレス幹部は「とはいえプロレス中継は人気番組。まさか撤退はありえないだろう」と甘く見ていたようです。

が、この駆け引きは日本テレビのほうが一枚上手でした。
「視聴者が見たいのは日本プロレスではなく馬場」であることを見抜いていた日本テレビは馬場に働きかけ、独立を促します。
そのうえでほんとうに力道山以来の金曜夜8時の中継を打ち切ってしまったのです。

後番組は『太陽にほえろ!』

こうして日本テレビにおけるプロレス中継はいったんなくなりますが、金曜日夜8時の放送枠がなくなったわけではありません。
日本テレビはここにかねて温められていた「人間ドラマとしての刑事もの」を投入します。
これまでになかった萩原健一扮する今風の若者刑事を主役に据え、昭和の大映画スター・石原裕次郎も出演(テレビドラマが映画より格下だと考えられていた当時は斬新な出来事だったようです)するなど、豪華キャストが話題を呼び、また犯人側のストーリーにも焦点を当てた脚本はその後の刑事ドラマのフォーマットになったといわれています。

『太陽にほえろ!』はその後キャストを次々と変えながら14年の長きにわたって愛され続けることになるのです。

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