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[NFL]ガロポロとランスとパーディーの物語

ジョー・クール伝説の終わり

日本でもっとも有名なNFLチームはサンフランシスコ・フォーティーナイナーズかもしれません。
ナイナーズの黄金時代を築いたクォーターバックであるジョー・モンタナはNFLの歴史上もっともすぐれたQBのひとりであり、日本の家電メーカーのCMキャラクターにも起用されるなど、その知名度はアメリカンフットボール自体の人気に乏しい地域にも広がりました。

ジョー・モンタナの全盛期は1980年代後半とされています。この間に彼はチームを3度のスーパーボウル制覇に導きました。
第4クォーターにリードされていても決して冷静さを失わない彼は「ジョー・クール」の二つ名でも知られています。
90年代に入ると、彼はケガに悩まされるようになります。91年は全休、92年は最終週まで試合に出ることができませんでした。

この間、フォーティーナイナーズの攻撃をけん引したのはバックアップQBのスティーブ・ヤングでした。
モンタナと持ち味を異にしたこのモルモン教徒は、モンタナ不在のナイナーズにおいてもはやバックアップではなく、不動のエースと呼べるほどの実力を見せていました。

悩ましい出来事は92年シーズンののちにやってきました。
93年シーズンの先発QBについて、ヤングが良いのか、モンタナが良いのか、世論を二分する論争になったのです。
この論争はモンタナがチームを去るという形で決着がつきます。
ビハインドでむかえた第4クォーターのときと同様、冷静な判断をした「ジョー・クール」はナイナーズにおけるモンタナ伝説を静かに終わらせ、その続きの舞台としてカンザスシティ・チーフスを選びました。

愛された男の去り際

モンタナが去り、唯一無二のエースとなったヤングでしたが、スーパーボウルに勝つには1年待たねばなりませんでした。
当時はライバルのダラス・カウボーイズがリーグの王者であり、トロイ・エイクマン率いる効率的なオフェンスの前にナイナーズは何度も苦渋を飲まされていたのです。

エイクマンはスーパーボウル2連覇を飾るなどの活躍を見せ、カウボーイズの黄金時代を築きました。
そんなエイクマンが持つフランチャイズQB記録が塗り替えられるのは時が下って2010年代のことです。

トニー・ロモは入団時にはまったく期待されておらず、エースが何度入れ替わってもバックアップの座に甘んじ続けるQBでしたが、2006年に先発の座をつかむと隠れた才能が爆発します。
以後2014年まで長くカウボーイズのエースを務め、とうとうエイクマンが持ついくつかの記録を抜くまでになります。

ロモはとにかく愛されたQBでした。
全米一の人気を誇るチームのエースQBでありながら、偉そうにするところが全くない人柄、たまにやらかしてしまうミス、そして手堅く勝利を収める勝負根性、すべてが彼の魅力でした。

そんな愛されたロモもケガには勝てませんでした。
2016年にケガをしてしまった彼はその年を全休。
その間にエースQBの座は新人のダック・プレスコットに奪われます。
とにかく必死のプレスコットのプレーは、ロモとは違う形で評価され、人気を得ていました。
2017年にロモのケガが完治したとき、今度はダラスの地で論争が起こります。
エースはプレスコットか?それともロモか?

この論争も、ロモがチームを去る決断をすることによって終息します。
「クール」でない男、太陽のような笑顔で愛された男の最後の決断はクールでした。

ジミー・ガロポロ

ジミー・ガロポロのキャリアもまたバックアップとして始まりました。
ドラフト2巡目指名でのNFL入りでしたので、決して期待されていなかったわけではありません。
しかし彼がエースとなるとしたら、そのときは長い時間を経た後のことだろうと誰もが予想していました。
ガロポロが入団したニューイングランド・ペイトリオッツの当時のエースはトム・ブレイディ。当時すでに「ジョー・クール」モンタナと並び称される偉大なQBだったのです。

しかしガロポロの先発デビューは意外な形でやってきます。
ブレイディがルール違反により出場停止になってしまったことで、デビュー3年目の2016年、彼は開幕戦の先発QBになったのです。
もちろん、ブレイディが帰ってくるまでという期限付きでしたが、彼は確かに当時最強軍団だったペイトリオッツの開幕スターターだったのです。

ただ彼はブレイディが帰ってくるまで「持ちません」でした。
わずか2試合で彼はケガを負ってしまい、以後彼がペイトリオッツで先発になることはありませんでした。
そしてこれは長く続くガロポロとケガとのたたかいの始まりでした。

一瞬のゴールドラッシュ

ニューイングランドでの活躍はわずか2試合でしたが、翌年彼は遠くサンフランシスコの地で機会を得ます。
かつて「ジョー・クール」とともにその名の通り黄金時代を築いたフォーティーナイナーズは低迷の真っただ中にありました。
悩めるナイナーズ首脳陣はエースQBとしてガロポロに白羽の矢を立てます。

2017年途中、大型契約によるトレードでナイナーズに移ったガロポロは、当初「そこまでの価値がある選手なのか?」「低迷するチームの救世主となるには実績がなさすぎるのではないか」と一部のファンから疑いの目を向けられました。
が、ガロポロは確かな活躍を見せます。サンフランシスコのファンは「これでQB問題は解決した」「2018年は期待できる」そう思ったことでしょう。しかし2018年、ガロポロは再びケガによって活躍の場を失います。開幕からわずか3戦で戦線離脱。ナイナーズを救うことはできませんでした。

ガロポロの最良の年は翌年にやってきます。
初めての全試合先発出場を果たしたガロポロはチームをスーパーボウルにまで導きます。
才能を認められながらケガなどによりそれを発揮することができなかった男が、自身の価値を証明した瞬間がやってきたのです。
スーパーボウルではパトリック・マホームズ率いるカンザスシティ・チーフスに敗れはしたものの、ガロポロの実力を疑う人はもはやいなくなっていました。

翌年もガロポロは開幕戦のフィールドに立ち、チームを勝利に導きます。
しかし2戦目・・・やはりケガが彼を襲います。
結局この年は休んで出てはケガ、休んで出てはケガの繰り返しで、チームも最下位に沈んでしまいます。

やってきたゴールデンルーキー

この年のオフ、ナイナーズは大きな決断をします。
再びスーパーボウルに行くため、そして今度こそ勝利を得るために、新たな先導役をチームに加えることにしたのです。

ノースダコタ州立大学で高いQBレイティングを記録した才能あふれるトレイ・ランスを獲得するために、ナイナーズは大きな代償を払います。
トレイ・ランスが獲得可能な全体3位の指名権を得るために、ナイナーズは翌年、翌々年のドラフト指名権を他のチームに渡しました。
近い未来を犠牲にして、長い繁栄を選んだのです。

チームはトレイ・ランスを長い目で育てようとしました。
2021年はガロポロで行く。ランスはガロポロの控えとして1年間勉強する。
これは2019年にスーパーボウルでナイナーズを下したカンザスシティ・チーフスのパトリック・マホームズと同じ育成方法でした。

ガロポロは自分の未来の不確かさを感じながらも2021年を戦い抜きます。やはり途中ケガで欠場もしましたが、スーパーボウルまで進んだ2年前と変わらぬ精度のパスを投げ続け、チームをカンファレンスチャンピオンシップまで導きます。最下位だったチームをスーパーボウルまであと一歩のところまで復活させたのです。

その年のオフ、どこかで聞いたような論争が始まりかけました。
2022年のエースはゴールデンルーキーのランスなのか?それとも実績十分のガロポロのままなのか?

しかしこの論争もまた長くは続きませんでした。
チームが明確に決断を下したのです。

2022年はランス。

ランスを獲得するために行った投資をチームは回収せねばなりません。いくらガロポロが活躍しようと、これは決定事項だったのです。

思わぬ復活劇

ガロポロはトレードの道を模索します。
実績は十分。能力も証明済み。QBを探しているチームはたくさんある・・・しかし、ガロポロの3番目のチームは見つかりませんでした。
ナイナーズとの高額契約を引き継いでまでケガがちなガロポロを獲得するリスクを取れるチームはなかったのです。

2022年シーズン、ガロポロは控えとしてナイナーズにとどまることになりました。
エースはトレイ・ランスです。
ランスとともに順調な滑り出しを見せたナイナーズでしたが・・・なんと、今度はランスをケガが襲います。
2試合目にランスが負った大ケガは、彼をそのシーズンの間フィールドから遠ざけるに十分な深刻なものでした。

急遽ガロポロの出番がやってきました。
終わったと思っていたサンフランシスコでのプレーを、ガロポロは必死にこなし、見事な成績を収めます。
残り6試合、ここまでわずか4敗、このペースでいけばプレーオフ進出は確実。このガロポロの復活劇は・・・・

ミスター・イレレバント

やはりケガによって終焉を迎えます。
ガロポロは残りシーズン絶望となってしまいました。

困ったのはナイナーズ首脳陣です。
今シーズンを戦い抜くはずだったランスはおろか、まさかの時のために控えさせておいたガロポロまでいなくなったのです。
彼らに残された持ち札はつかみかけたプレーオフ進出を逃してしまう恐れがあるのではないかと思われるほど貧弱なものでした。

ミスター・イレレバント。
ナイナーズはこの年のドラフト262位でブロック・パーディーという青年を指名していました。ブロックのあとに指名された選手はいません。つまり彼はその年ドラフトされた新人の中でいちばん期待されていなかった人物ということになります。
そういう人物のことを、ファンは「ミスター・イレレバント」と呼びます。日本語では「お呼びじゃないやつ」くらいの意味でしょうか。

262番目の選手、最下位の選手に、全体3番目の選手の代わりの代わりなんて務まるのか?

しかし「お呼びじゃない」ブロックは見事なプレーを見せます。ガロポロがいなくなったその試合で、歴史上初となるミスター・イレレバントによるタッチダウンパスを決めると、残り5試合で5連勝。プレーオフでもチャンピオンシップまで勝ち進みます。
不運なことにチャンピオンシップではケガにより満足なプレーができませんでしたが、その快進撃は全フットボールファンの目をくぎ付けにするのでした。

QBたちのその後

ナイナーズのQBルームに変化の季節がやってきました。
ルームにはゴールデンルーキーとお呼びじゃない奴がおり、さらに他チームでエースを務めた経験のあるベテランも入ってきていました。

結局チームが選んだのは・・・ブロック・パーディー。
2番手にはベテランの男。
未来を犠牲にして獲得したトレイ・ランスはお呼びじゃない男の次の次の椅子に座らされることになったのです。

ナイナーズでの未来が閉ざされてしまったトレイ・ランスは、ライバルチームにトレードされることになります。
行き先はダラス。
そこには今や不動のエースとして君臨するかつての必死な若者・・・ダック・プレスコットがいます。
ランスはリーグ屈指の大物QB・プレスコットの次の次の椅子に座ることになりました。
このトレードによってナイナーズが手に入れたのはドラフト4巡指名権。
未来の1巡指名権ふたつを売って手に入れた3番目の指名権は、97番目以降の指名権に化けたことになります。

ではガロポロはどうなったのか?
契約が満了し、移籍の障壁が低くなった彼ははラスベガス・レイダーズという新天地を見つけ、黄金の街を後にしました。
そこでエースの座を得ることになったのです。

そしてお呼びじゃない男ブロック・パーディー。
彼に賭けたナイナーズの戦略は見事に当たりました。
2023年シーズン、彼はリーグの先発QBの中で一番のレイティング(評価点)を残し、チームをスーパーボウルに導きました。
スーパーボウルではまたしてもカンザスシティ・チーフス―モンタナ、ブレイディに続いて伝説を作る男と呼ばれているパトリック・マホームズに勝利を奪われてしまいましたが、いまやブロックのことを「お呼びじゃない」と思う人はいません。

つづく!!

ブロックが出場したスーパーボウル、会場にはジョー・モンタナの姿がありました。彼にとってはブロックも、マホームズも後輩にあたります。
実況席にいたのはトニー・ロモ。彼は解説者に転身したのです。現役時代からおしゃべり上手で有名だった彼の語り口はやはり多くのファンに愛されています。

ダック・プレスコットとトレイ・ランス、そしてガロポロは来年こそ自分が、と思いながらスーパーボウルを見ていたでしょう。

こうしてQBたちの物語はつづいてゆくのです。


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