パンの尻

ニンジャスレイヤーが縁で結婚。2015年に男児を出産し、すっかり育児育児で日が暮れてい…

パンの尻

ニンジャスレイヤーが縁で結婚。2015年に男児を出産し、すっかり育児育児で日が暮れていく。

最近の記事

2021年振り返り(オタク活動の話)

 皆様一年お疲れ様でした。とうとう今年も残すところ一日、私は年賀状も作らずまだ原稿をやっていますが皆様はもう色々納まっているところでしょうか。  今年は丸一年なぜかずっと原稿をやっていた異常な年だったんですが、それもこれもSwitchのソフト『九龍妖魔學園紀』のせいでした。去年の10月頃始めて年末にクリア、年末にクリアしたせいで作中のクリスマスイブが刺さったまま抜けなくなり、青春の生傷がぜんぜん乾かない状態で一年が過ぎました。せっかくなので一年の振り返り記事でも残しておこう

    • 鮭と我が身

      さて、産褥期を義実家で過ごすこととなった。期間は回復度合いによるがまずは1ヶ月~2ヶ月となっている。 母子の居室を用意してもらい、ベビーベッドですやすや寝ている我が子を眺めながら、まずは自分の身体の様子を再確認だ。 まず、貧血は徐々に回復しているものの、依然として出血は続いておりフラッフラである。後産で胎盤を排出したことはご存じであろう。つまり、子宮に癒着していた胎盤をはがしたところは「生傷」のままなのだ。場所が場所だけに縫合はされず、子宮の収縮に任せて自然に傷が治るのを

      • 寝かしつけ夜話「桃太郎」

        むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。 おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんはおじいさんの退職金をFXですっかり溶かしてしまっていました。 おばあさんがなんとか一発大きく当てないと大変なことになるぞ、とパチンコ屋に向かっていると、通りの向こうから大きな桃が 「ブラックでも融資可~ ブラックでも融資可~」 と流れてきました。藁にもすがる思いで桃を担いで家に帰り、桃の差し出すまま数枚の書類に判子を押し、いくばくかの現金を手に入れたおばあさんは安

        • マザーズ・ブートキャンプ

          さて、なんとか母子ともに無事にこの世にとどまった出産が終わった。 が、出産の終わりは育児の始まりである。私が出産した病院は母子同室の病院で、出産翌日(元気さによっては当日の人もいたかと思う)にはバカの顔で我が子と病室のベッドに並んでいるといった次第だ。 なぜバカの顔をしているかというと、これから何をどうやるか全くわからないからだ。俺は今、未知のゾーンにバカ面で寝ている(貧血で起き上がれない) 看護師から都度、新人研修のごとく別室に呼び出され、沐浴、授乳、ミルク調乳、おむ

        2021年振り返り(オタク活動の話)

          出産、それから分娩台で

          分娩台で放心している間に、我が子は別室で体重を量ったり指の本数を数えられたりしていたらしい。我が子に対面したのは夫の方が先だったのだが、指の本数を看護師さんと数えたんだよ、と不思議そうに語っていた。 私と言えば、ああこれで終わりだ、汗を拭いてさっさと病室に移りたい、お腹すいた、眠い、疲れた、などといったIQ2くらいの思考を順番に手繰っていた。が、なんだか足元でまだガタガタやっている。そうだ忘れていた、「後産」だ。 赤子が出てきたからと言って、出産の終わりではない。胎児を子

          出産、それから分娩台で

          エックスワンと呼ばれた子

          妊娠中、私は割と平和で呑気な妊婦だったと思う。 つわりも安定期に入った頃には驚くほど軽くなった。つわりの時期はそれなりにつらく、毎朝出勤前の夫が枕元に剥いたミカンを一つと水をコップ一杯用意して行ってくれたものを、しなびた顔ですすっていたものだが。とは言え、つわりのときに食べられなくなったものはツナマヨ、それだけだ。あとは少しずつなら口に入れることができたし、飴やガムでごまかしながら仕事もできた。匂いや触覚過敏も出たが、日常生活にそれほど支障は出なかった。 妊娠中は特定のも

          エックスワンと呼ばれた子

          君は聞いたか、勝利のファンファーレを

          小鹿の方がよっぽど軽快に立ち上がるだろうぜ、というような速度で陣痛室のベッドから起き上がり、もはや手すりにすがらなければまっすぐ歩けない状況で、おそらく少し叫んだかと思う。「ひあ~~」みたいな腰の入らない声だったが。そらそうよ、もう腰抜けてんだもん。 分娩台に上がるも、ややパニックである。初めてのことが多すぎて脳の処理能力を超えた。超えた瞬間、情けない声をあげてしまった。 「これ、どうすればいいの~~?」 どうすればじゃねえ、産むんだよ! ここで助産師さんから呼吸のタイ

          君は聞いたか、勝利のファンファーレを

          子供については私について

          友人と久々に会うと、自制しているつもりなのだがつい子供の話ばかりになってしまう。私がああした、私がこうした、そういった「自分の話」はあまりできない。あなたがその話にあまり興味がないことも、知っている。 なるほど、はたから見ると「子供のことばかりで自分の中身がどこかに無くなってしまった、母という装置」に見えるかもしれない。 確かに、自分のことは二の次になる。なにしろ、私が産んで養育しているのは「うっかり」事故を起こして「あっさり」死んでしまう、非常に弱い生き物だ。乳児の頃は

          子供については私について

          【アンヴィルの上の鉄、あるいは妊婦:補足】 この陣痛で夕食が食べられなかったのは結構な痛手だった。こうなることが分かっていれば、あらかじめ高カロリードリンクやゼリー(メイバランスなどだ)を分娩前にガッっと摂取しておけばよかったと今でも思っている。カロリー大事。

          【アンヴィルの上の鉄、あるいは妊婦:補足】 この陣痛で夕食が食べられなかったのは結構な痛手だった。こうなることが分かっていれば、あらかじめ高カロリードリンクやゼリー(メイバランスなどだ)を分娩前にガッっと摂取しておけばよかったと今でも思っている。カロリー大事。

          アンヴィルの上の鉄、あるいは妊婦

          病院に到着後、陣痛室という部屋に通された。ここで子宮口が全開(約10センチ)になるまで待機することになるのだが、朝を迎えても2~3センチまでしか開いてない。夫も横で待機していてくれているのだが、この分だとお互いいたずらに体力を消耗するだけと判断し、彼には6時ごろいったん自宅に帰って寝てもらった。 陣痛の間隔は徐々に短くなり、その合間に訪れる「いきみ」も強くなってくる。この「いきみ」にホイホイ乗ってしまうと子宮口が開いていないのに赤子を押し出そうとしてしまうのでお互いのために

          アンヴィルの上の鉄、あるいは妊婦

          陣痛、それは山手線に似て

          陣痛が来たのは2015年5月14日未明の事だったと記憶している。私の誕生日だ。 その日は夫と義母と、出産前の最後の豪華ランチを極める予定があった。思えば臨月、出産予定日の前日に何考えてんだといった予定だが……。当然、ランチはキャンセルだ。出産したら当分ホテルでランチなどという王侯のような生活はできなくなる。いやー、食べたかった。 ちくちくと断続的に痛む腹を抱えて寝ながら、とうとう来たか、と義母に連絡し、午前のうちに自宅に来てもらった。義母はこの日のために我が家に近いところ

          陣痛、それは山手線に似て

          ヘッズもすなるnoteといふものを、パンの尻もしてみむとてするなり。

          最近周囲がこぞってnoteのアカウントを取得し、「ああこの人も物理肉体があって飯を食ったりしていたのだなあ」とそれぞれの日常を読む機会が増え、私も一介の経産婦としておよそ為にならない経験などを綴ったりなんかし、しょうもなさを開陳する欲が出た。あと出産以後衰えた記憶を揺り起こして、書き留めておくのはそう遠くない未来に今よりさらに記憶力が失われるであろう私のためになると思う。

          ヘッズもすなるnoteといふものを、パンの尻もしてみむとてするなり。