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恵比寿と夜のあんこ(よなよな/佐賀大学のそば)

角を曲がると、大抵ひょっこり恵比寿さまが座っておられる。愉快そうにふくふく笑って、まるで一切合切それでよいのだと仰っているようだ。

佐賀市内には820体以上もの恵比寿像があるらしい。どおりで、いつも誰かの視線を感じるわけである。

御多分に洩れず、自堕落な大学生活を送っている私であったが、こういう神様的なものはちゃんと信じるタイプであったので、いつも見られている感じがするというのは大変居心地が悪かった。


*   *   *


金曜日の夜のアルバイトを終え、賄いを平らげ、帰りに恵比寿像が密集している道を通った。白山商店街のあたりの飲み屋街のざわざわ感とはうってかわり、一歩入ると静寂があたりを包む。しん、とした空気を感じると同時に、後方から葉が擦れ合うような微かな囁き声が聞こえた。嫌な感じだな、そう思い自転車のスピードを上げるが、視線が張り巡らされていて、引っかかるような感覚がある。

いかん、信号に引っ掛かった。

車なんて1台も通らないのだから、無視すれば良いのだけど、昔から信号無視は踏ん切りがつかずできない。

囁き声はより一層大きくなり、これはもう囁きではないなというくらい空間を満たす。信号はなかなか変わらない。

私はもう観念して、囁き声の内容を聞き取り始めた。

「やはり、のなかのの刺盛は絶品であるな。」

「たらふく食ったものだ。」

「お前は鍋島をかぶかぶ飲み過ぎだよ、大事に飲めよ。」

「いやあ、飲みやすいものだから、ついね。」

振り返ると、3体の恵比寿像が笑っていた。

うわーと思った。しゃべるし、酒も飲むようだ、石像なのに。私は疲れているのか、(この辺りにいるか知らないけど)きつねに化かされているのか。

固まっていると、恵比寿像の1人がおや、という顔をした。こりゃまずいと思って慌てて目を逸らしたものの、手遅れだったようで、

「お嬢さん、ちょっといいかな。」

右手でちょいちょいと呼ばれる。なんてったって恵比寿様なので無視もできない。おそるおそる近寄り、何でしょうかと答えた。喉はカラカラである。

「今から入れるいい感じの喫茶店を知らないかね。」

いやいやこの時間に開いている喫茶店なんてあまりないだろう、と思ったが、答えられなかったらしめられるんじゃないだろうか。もう一度考え直すが、やっぱり浮かばない。早朝喫茶ならまだしも、佐賀に深夜喫茶はないだろう。

すぐに答えられない私を見て、3人の恵比寿像はしょんぼりした顔をした。

3人顔を見合わせては、もぞもぞ話し合い始める。やはり時間帯がどうのこうの、いやいやあるいはこのお嬢さんがどうのこうの。

これはしめられる、恐ろしい、と焦ったついでに1店舗思い出す。喫茶店ではないけれど、

「喫茶ではないけど、あんことかどうですか?」

「あんこ?好き好き!」

営業状況をTwitterで確認する。今日の開店は23時半か。一段と遅いけど、好都合だ。

少し遠いのですが、と前置きをして店の場所を伝える。

佐賀大学近くのあんこ屋さん、よなよな。元々ちゃんぽんの池田屋があった場所にお店を構えている。昼間は会社員の店主が、終業後にあんこの仕込み等々を行い、夜に営業をしているというタフネスなお店である。

提案すると、嬉しそうにそこに行くと言う。たらふく食った、とのことだったが、恵比寿様も甘いものは別腹ということらしい。

よなよなの場所は帰り道なので、入店まで見守ることとした。恵比寿像が店に入っていく、という不思議な瞬間を見てみたかった、というのもあるが。

大学正門前の全く栄えていない信号を渡り、さるさを横目に少し小さな道に入ると、真っ暗な道に天使みたいに暖かい灯りが漏れている。その明かりに向かって恵比寿像はよちよち歩き、見送る私に手を振った。その途端ちかちかと入口が光って、店の灯りがより一層明るくなり、どっと笑うような声が路地に満ちた。とても不思議な感じだった。

気付くと恵比寿像の姿は見えなくなっており、この目で見ることはできなかったが、おそらく入店したのだろうなと感じた。


*   *   *


再びしんと静まり返った路地にぽつねんと佇んでいると、コンビニ帰りの友人が通りかかった。レジ袋にはアイスらしきものが入っている。

「ちゃおー。バイト終わり?」

「やほー。終わり終わり。」

「道路に突っ立ってどうしたん?」

うまく説明できなかった私は手をひらひら振って、誤魔化した。


*   *   *


よなよなは店内が狭めなため、相席が必須。あんこは、表面張力により器のふちぎりぎりである。甘くておいしい、甘すぎるなあと思った時は付け合わせのお漬物を齧る。しょっぱい、美味しい、またあんこに戻りたい。

そうこうしているうちに、器は空っぽになる。

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