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やる気を出せば暑苦しいと言われ、冷静になれば冷めてると言われる

みんなが熱狂しているときに自分が冷静で、
自分が熱狂しているとき周りが冷静だとなんか釈然としないですよね。

常に考え事をしていて目の前にあること以外にも頭を使っている私みたいなタイプの方は冷めてると言われる頻度の方が高いかもしれません。

こっちとしては

「そんなことにいちいち熱くなっちゃって。」

と思う気持ちがある反面

「いやあ楽しそうでいいなあ。」

と思う心もあります。

熱くなる
というのは本能的な動きであって深く考えた末に熱い気持ちが湧くってのはあんまりないですよね。

勝つ負けるであったり、欲しいものが手に入るであったり
明確な目的があるときに人間は熱くなりそれに向かって突っ走ります。

例えば演説などを聞いて聴衆が熱狂するのは
話し手が明確な目標を提示してそれを実現するためのイメージをうまく伝えられているからですね。

ギャンブルなどでも、そもそも勝てなければ興奮しませんが
勝てそうだと熱くなってしまいます。

衝動買などは熱くなることの典型的な例かもしれません。

逆に冷静でいることは頭を使うことであり

「本当にこの目的に意味はあるのか。」

であったり

「これで本当に目的が実現できるのか。」

という点に意識が向けて考える事です。

熱くなっているときは目的その物にたいして疑いをもっていないのに対して
冷静な時というのはそもそも行動を起こすべきかどうかを考えているわけですね。

私が今回サンプルとして考えたいのは演説を聞いている大衆の心理ですね。

民衆の期待、つまり目的は自分たちの生活が向上することであり、
それに関してポジティブな発言をする政治家がいれば熱狂し、支持します。

ポジティブな発言をする政治家にたいして疑いを向けたり、
計画の実現性にたいして批判をしたりすると支持者に袋叩き似合います。

政治家は「できそう。」と民衆に思わせるだけで、熱狂的な支持者が
突っ走って冷静な人を攻撃し排除する。
これってすごい危険で怖い事じゃないですか?

熱狂的な人間の圧はすごく強いうえに伝染するわけですから、
冷静な人間には打つ手がありません。

国民が熱狂的になった時というのは今目の前にいる人間、つまり政治家が今ある問題を解決するためのアイデアをもたらしてくれる唯一の人間だ。
と考えているときなわけですから相手を説得するにも
議論は冷静な人間の間でしか成立しないためうまくいきません。

熱くなるという本能は人間を活気づけますが同時に盲目にもします。
そこで冷静に目を見開いて大局的に自分たちが今やっていることに意味があるかを考えることは重要ですが。冷静になるためには理性が必要であり、
理性というのは教育によって使い方を教わらなければなりません。

つまり熱狂したとき、それが致命的な結末に至らないように一旦冷静になるという訓練が必要なのです。

もちろん常に冷静でいろというわけで張りません、それだと何かと行動力に欠けますから。

ですがある瞬間に自分たちが今危険なことをしているかどうか気づくための機会がないと人間は本能の赴くままに行動し誤ったゴールに向かって全力疾走する可能性があります。

自分一人が熱ければ割合すぐに冷静になれますが、集団の中で自分だけ冷静になっても自分の声が周りに届くことはありません。だからこそ集団の中でより多くの人間が自分の行動を評価できるように哲学的な訓練を受けるべきだと私は思います。

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