インターネット病

三日目にしてもう愚痴のような投稿になります。

私は自惚れていた。

インターネットの発展に伴って一人の人間がアクセスできる情報の量はこれまでの時代とは比べられない程多くなり、その結果としてこんな現象が起こる。「いやーいい事思いついたと思ったんだけどなー、もう書いてる人いるわ」現象である。

これが哲学者の意見とかならまだいい。あ、昔の人もこういうこと考えてたんだなーぐらいで済む。寧ろ

「あれ?俺偉人レベルの発想してんの?すごくね?」

みたいに自画自賛が出来る。ただ普通にその辺のブログとかに自分と同じ意見が書いてあると。

「あ、やっぱこういうこと考える人いるんだ。ふ~ん。」

となり、自分の考えを深めることが億劫になる。自分の考えの希少価値が失われるからだ。

抽象的なテーマであればあるほどこの傾向は強くなる。言ってしまえばだれでもソースなしで発信できるからである。なんとなくふわふわした中身も無ければ科学的な根拠もない事ならだれでも言える。そして哲学的なことは大大抵ふわふわしている。響かない、そう響かない。インパクトが足りない。

具体的な意見であれば唯一無二だし、日記などであればその人のありのままを表せばいい。しかし哲学的なものを扱ってそこで得られる答えがあいまいなものだとやっぱりパッとしないというか。記憶に残らない。最初の投稿にも書いたように、哲学をした末に答えを示したいなら行動をもって示すべきである。そうしないと実用性が証明されない。人間と議論をすることが大事だと主張するなら、動画配信などを用いてやってみるしかない、でなければ説得力に欠けるである。

というか、まず自分の発信する情報に価値を見出せないと何も始まらない。自分がやっていることに本当意味があるのかと疑い始めてしまう。前の投稿でも言った通り結局は自分を信じるという点に尽きるのかもしれない。

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