人の弱さと煩悩
人間は弱い生き物だという主張はよく聞くが、具体的に人の弱さとは一体何であろうか。
精神的な弱さか、立場的な弱さか、身体的な弱さか。
強い弱いというのは何かと比較して初めて言えることだ。
では何と比べて人は弱いのか。
考えてみれば比較できる対象などそう多くもない、まず自分以外の生き物や他人ぐらいしかないだろう。確かに人間は野生の生き物に比べれば弱く脆弱かもしれない。日光を浴びているだけで生きていける植物などは最強と言えるだろう。
そこが人間の本質なのだろう。人間は弱い欠陥存在であるとかのドイツの哲学者アルノルド・ゲーレン氏も言っている。
人間には植物ほどの生命力も、肉食動物程の殺傷能力もない。人間は肉体的な進化を放棄し、つまり弱い事を受け入れた上でそれを補う形で文化を発達させてきた。人間は自然界で生きていくには身体的にまず弱すぎるのである。
だから人間であるということは弱い事を一旦棚上げにしてから別の手段を通じて生き残ることから始まっているともいえる。
何故人間が弱いか、それは人の始まりが弱さを克服することを放棄したことにあるからだ。弱い者であっても、その弱さを保持したまま生き残ることができるほど賢しいからである。
知能が発達したからと言って体は動物のままなので、動物的な本能ももっている。しかし本能のままに行動したところで大抵の欲求を叶えられないことが弱者であるということを自覚させる。もし欲求のままに動いて何不自由なければ人はそうするだろう。しかしできない。弱いからだ。つまり人間の精神的な弱さの本質はやりたいことができないという思考にあると言える。
常に回り道をして欲求を叶えている人間はその過程で考えたくもないのに考えしたくない仕事をする。この直接的に欲しいものが入らないというフラストレーションこそが人間性を作り出しているのかもしれない。
弱さを自覚する、強くなりたいと思う、しかし強くなれないのでまた弱さを感じフラストレーションが生まれる、自分が強いように感じられるようになるために回り道をする。欲求不満を解消するうえで更なる欲求不満が生まれこれが永遠に続いてく。
これの欲望の連鎖から抜け出すための手段は一つしかない。欲求を手放すことである。人間は弱い。だから動物的な欲求を満たそうとすれば必ず失敗する。であれば叶えるべき欲求を三大欲求のように最小限にとどめ他の煩悩を手放さない限り人間は自ら新たな苦しみを生み出し続けるしかないのである。
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