仕事を辞めた話
自分の為に来年まで!とか、数年後の自分のために3年は!
とか、今までの記事で散々書いてきましたが。
まさかのこのタイミングで仕事を辞めることとなりました。
(転職は済んでいます)(7月中頃のお話し)
なぜこんなスピード退社になったか、というお話。
実は心療内科を受診し、「適応障害」と診断されました。
診断書には「休職・退職を見込んだ処置を」と書かれていた。
その診断書を上司に見せたところ、次の日から有休消化でそのまま退職という運びになりました。
忙しい時期、帰り道にトラックがこっちに突っ込んでこないかな、とかを無意識に考えている時点でおかしかったのだが、それさえも異常に感じられなかったくらい異常だったみたい。
適応障害は、職場を離れることで大体は治るらしい。
仕事をしているときは、毎晩家族とご飯なんて作れなかったし、毎日絵や文字などかけなかったし、アクセサリーや服などを作れなかったし。
そんな毎日から一気に解放された、私は自由になった。
目の下のクマが消えた。肌つやがよくなった。体のむくみが取れて、体重が減った。体調不良が続いていたが、それもこの数ヶ月ない。口内炎もしょっちゅうできていたが、なくなった。
なにより、私は毎日笑っている。辞める直前、病院行く前の数週間は、本当に毎日毎日泣いていた。テレワークにも関わらず、会社の人とメールしては泣き、zoomして切っては泣き、業務連絡のラインを返しては泣き、仕事が終われば彼氏に電話して泣き、友だちに愚痴っては泣き、家族に話を聞いてもらっては泣き、本当に本当に、毎日ずっと泣いていた。
泣く理由が些細なことでも、泣くと体力が奪われていく。心も次第に保てなくなっていった。これが限界だったのだね、私。
数年後のために、来年は!なんて言っていた、私の願いを私は果たせず退職した。あっさりしたものだった。あんなに毎日毎日、ここで負けたらだめだ私、耐えろ私、と自分のケツを叩いていた日々は、一体何にとらわれていた日々だったのだろう。
辞めると決まり、明日から有休消化となった日の帰りは、病気のこともあり、何も言わずに退社した。明日も来るかのようにごく自然に。そのあとは会社の人に諸々任せた。私はサーバーにデータをあげただけ。そして有給最終日に携帯から会社の人たちにメールをした。今まで大変お世話になりましたと。
するとね、半数以下ぐらいの人から返信が帰ってきた。
さんちゃんは、仕事振ると理解してくれるのが早かったからスムーズでした、とか。さんちゃんがいう可愛いものとか素敵だった、仕事も無駄なくこなしているところがよかった、とか。1人は、今まで私のせいでストレスかけてごめんねと言っていたが、返事を返してはいない。
私は、この会社の何が嫌だったんだろうと改めてじっくり考えた。
残業を強制してくることも嫌だった。考えをまず否定してくるとこも嫌だった。マイナスなことしか言ってこないことも嫌だった。でもやっぱり大きくは、気づかい、思いやりができない自分のことばっかりな社員が嫌だった。
初めから返事のようなことを案件中に言ってもらってたら、きっと何か変わっていた。
仕事を理解してくれるのが早かったなんて、1番一緒に仕事していたのに褒められたことなんて1度もなかった人から言われたのだ。
仕事を無駄なくこなしている、は、この人に言われたわけじゃないけど、社員全員の前で注意を受けたことがある。「死ぬ気でやってないよね」と。死んだら困るからね。誰か止めてくれてもよかったんじゃない?
さんちゃんの「可愛い」素敵、というのも、誰にもあなたのセンスには勝てなかった。だからあなたの前で案だしするときはいつも手汗いっぱいかいて、言い訳たくさん用意して挑んでいた。それだけコテンパンにされていたからだ。
そういうところが嫌だったの、私。
そう呟いてしまうほど、みんな白々しく、また悲しくなってしまった。
でももう、その日が今の所、泣いた最後の日になっている。
毎日毎日、自分のために、とここで辞めたら後悔する!と、この世から消えて(消えて、がポイント。死にたいわけではない)しまいたいと思ってしまうような働き方をしていたのに、あっさり辞めてしまい、周囲の人は驚いたが、私の身内は全員喜んだ。それはそれで少し複雑だけど、今は生きることが楽しい。
そして、最後に。絶対あの2年間は忘れない。辛く憎いと念じた2年と少しだが、1日たりとも忘れたくない。忘れてしまったら、私は誰のために頑張っていたのだと思うから。
でも安心して、もう今は最高に幸せなのです。
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