テルちゃんがするべきこと、わかった気がした
今更ながら、「愛がなんだ」をGW最終日に観た。
一時期流行ったあの頃は確か、2年前か1年前か、それくらいだった。
あの雰囲気ありげなポスターやテルちゃんの素のような笑顔、マモちゃんの絶妙なダメ男(クソ男?)感、一度見たら気になる感じ。
アマゾンプライムに追加されたので、すぐにウォッチリストに入れた。
その流行った頃、会社の先輩が、「あなたのような映画だったよ」と言ってきたのをすごく覚えている。そのセリフでどんな映画か大体見当がついた。なるほど、ああいう系ね?って。
ウォッチリストに入れたものの、見るのがずっと億劫だった。理由は2つある。1つは映画って長いから、それを見たらその日が終わってしまうあの感覚が苦手。(でも映画は好き)ハズレ映画を見た日なんてはもう終わった、、、って思ってしまう。2つ目は、私のような映画と言われて検討のついた内容、そういう内容を見た私は、見た後の感情に押しつぶされるのでは、、と思っていた。
見たい理由も1つ大きなものがあった。「愛がなんだ」が持つ感性に刺激を受けたかった。何か見た後から自分に違う選択肢が出てくるのではとも思った。
見た感想を言おう。
テルちゃんは重めの女が誰でもなり得る女の姿だなと。私も今の彼氏じゃなかったらああなっていたな、と。でも結局依存を選んだテルちゃん、あの子のやるべきこと、私はわかるよ。「幸せになる選択をするべき」だった。テルちゃんからしたら幸せはマモちゃんのそばにいること、友達としてでもいること、わかる、わかりすぎて途中から観れなかった(観たけど)。でも、依存していると疲れるよね、中原くんみたいに。だから辛くてもそれが幸せの道だから、依存から抜け出さないと本当に何も残らない時間をずーっと過ごしてしまうんだよねぇ、、、、こわい。あの頃の、そう1年、2年、3年前かな、あの頃の私はそうなりそうだった。好きすぎて辛くて、5周くらい先回りするような女だった。あのまま今の彼氏と出会わなければ、テルちゃんみたいになっていたのかと安易に想像できて、こわかった。
「幸せになる選択をするべき」とは、テルちゃんでいう、お風呂上がりにご飯まだだからとか言って都合よく出ていかないのはもちろんのこと、ビール買い出しに行くことだって、全部全部なのよ。でもそれよりも大きな選択があって、「離れることを選択」することだったと思う。好きになるところなんて1つもない大好きなクソ男を「自分から」捨てなきゃいけない。
そして気づいたらもうどこが好きだったかも忘れてしまうんだよね〜お風呂のおばちゃんが言っていたね、時間がどうにかしてくれる。まさに!
でも会社の先輩に言われた、「あなたのような映画だったよ」という「あなた」である「私」はもういません。
しっかり依存を脱出し、今の彼氏と出会いました。本当にありがとうと思ったよ。笑
彼氏も自称元メンヘラで、「マモちゃんも一種のメンヘラ」といっていました。ああいうのは2人とも拗らせてることが多いよね。
ここで終わっていた、「愛がなんだ」の感想note。
1年前の記事。日々わたしは成長している。
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