【幸せになる勇気】
こんばんは。
本日は岸見一郎さん、古賀史健さんの著書である【幸せになる勇気】の書評、考察を書かせて頂きたい。
前作、嫌われる勇気に続き、こちらの本も強力な魔力を秘めていると言わざるを得ない。
アドラー心理学が重きを置く、「教育」をベースに前作より深く個人心理学について語られている。
アドラー心理学の本質とは、その実践の困難さであるということを的確に表した一冊だ。
アドラーを知り、この本を読み終わったとき、きっとあなたは思う。
「人生とは一瞬一瞬が劇的で、困難と選択の連続だ。そしてそれこそが人生の素晴らしさである。」と。
①本当の尊敬
アドラー心理学では教育の最終目標は「自立」であると宣言する。
そして自立のためには、親や教師からの「介入」ではなく「援助」が必要と解いている。
では、この「自立」に向けた教育の入り口はどこなのか。
それは「尊敬」だ。
言い換えるならば「ありのままのその人を認める」ことだ。
つまり、
この人はこんなことができるからすごいんだ!とか
この人はこんなにファンがいるんだ!尊敬する!
といった発言は本当の尊敬とは言えない。
本当の尊敬とはその人が存在していること、そのものに敬意を表し、感謝する、そしてその人らしく成長発展していけるように気遣う、ということである。
②「尊敬」への入り口
ではその人のありのままを尊敬するためにはどうしていけばいいのか。
それは「その人の関心事に関心を寄せること」である。
そして関心を寄せた上で、他者が物事をどう見ているのか、どう感じているかを考えることだ。
これをアドラー心理学は「共感」と呼ぶ。
生徒であろうと、後輩であろうと立場は関係なく、人は対等な関係で他者に対し関心と共感を向けることが尊敬への入り口なのだ。
③叱ってはいけない
人間には5つの問題行動があると言われている。
それぞれ「称賛の欲求」「注意喚起」「権力争い」「復讐」「無能の証明」と位置付けられている。
どれも方法は違いますが、全て「かけがえのない私」に注目してもらうための手段である。
つまり人は注目されるため、具体的に言うならば叱られると言う不健全な目的があるために問題行動を起こす生き物と言うことだ。
それに対して叱ると言うことは、言うなれば相手の土俵に乗ってしまうということ。
これが叱ることがいけない理由の1。
また、叱るという行為は安易で暴力的なコミュニケーション方法である。
相手を屈服させんとするコミュニケーションは明らかに介入であり、また未熟な人間であるという証明に過ぎない。
このようなコミュニケーション方法に頼る人間を果たして人は尊敬できるだろうか。
あるいは叱られている最中に尊敬されていると実感することができるだろうか。
④褒めてもいけない
褒めるという行動について振り返って見よう。
褒めること一見ポジティブな行動に見えますが、本質的を見ていくと
「能力のある人が、能力のない人を評価する。」
という性質があることに気づくだろう。
ただの友だちに
「お前偉いじゃないか!」
と褒められるのになんとなく違和感は感じないだろうか。
アドラーはこのような上下関係の一切を否定する。
それは私たちが一人一人存在しているだけで尊敬されるべき存在であるからである。
また社会的な側面から見ていこう。
もし褒められる、評価されることが是とされる共同体があった場合。
具体的にいうならば上司に評価されることがよしとされる会社。
先生に褒められることがいいとされる学校など。
社員や生徒は上司や先生に褒められるために様々な行動を起こすだろう。
そしてその共同体には必然的に競争が起こる。
なぜならその共同体ではより多く褒められたほうが偉いのだから。
こうなると競争社会は止まらない。
なんとかしてあいつより上に立とう。なんとかしてあいつを蹴落そうといった負の側面がだんだん垣間みえてくるのだ。
そして競争社会にいる人たちはやがて「他者は全て敵なのだ。」というライフスタイルを身につけていくことになる。
これがアドラーが褒めることを否定する大きな要因である。
⑤先に信じること
アドラー心理学では私たちには「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」の3つの人間関係のタスクに立ち向かう必要があると説いている。
「仕事のタスク」とはビジネスにより繋がる条件付きの「信用」の関係。
「交友のタスク」とは無条件にその人を「信頼」する関係。
そして「愛のタスク」とは愛する人との関係に関するタスクである。
「仕事のタスク」では利己的な行動が結果として全体の利益になるのに対して、「交友のタスク」は無条件に相手を信頼することが必要となる。
これはつまり、私たちは他者を先に、無条件に信じることが「交友のタスク」の成功の条件であるということを示している。
たとえその人が嘘をついていたとしても、嘘をついているその人ごと信頼する。
そうすることでしか「交友のタスク」は達成しえない。
なぜならば、私たちは自分のことを信じてくれている人の言葉しか信じようとしないからだ。
相手が信頼してくれるかどうかは考えることはせず、相手も信じてくれると信じて他者を信頼するしかないのだ。
⑥「愛する」ということ
最後に「愛のタスク」について。
「愛のタスク」に立ち向かうために重要なのは愛される技術ではなく愛する技術と言う。
つまり信頼するときと同じく、「相手が自分のことをどう思っているかは関係なく、無条件の愛を注ぐこと」が必要になる。
相手がどう思っているかなど、私たちはコントロールできないのだから。
「仕事のタスク」を利己的な「わたしの幸せ」とするならば
「交友のタスク」は「あなたの幸せ」の幸せを願うことである。
では、愛のタスクとは?
愛のタスクはひとえに「わたしたちの幸せ」を実現することにあるとアドラーは説く。
自己中心的なわたしのライフスタイルから私たちのライフスタイルにシフトチェンジし、完全なる自立を果たす。
そうした私たちの幸せは二人から始まり、やがて社会全体へと広がっていく。
これがすなわち「わたしはこの社会の一員である」といった共同体感覚に繋がる。
すなわち、幸福なる生の最終目標とは、人を愛することで自己中心性からの脱却、すなわち自立し、自分が消えてなくなることであるのだ。
⑦まとめ
アドラー心理学のもっとも難しいところは理解ではなく、実践である。
あなたがこういった考えを受け入れるか受け入れないかは筆者にはどうしようもないが
アドラーの考え方、生き方を受け入れた場合
日々の一日一日が試練であり、それゆえに人生とは素晴らしいものである。
ということに気づくだろう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
以下、本書より抜粋
○われわれは、いつでも自己を決定できる存在である。あたらしい自分を選択できる存在である。
○子どもから「友達のところに行っていい?」と聞かれる。(中略)
「それは自分で決めていいんだよ」と教えること。自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料ーたとえば知識や経験ーがあれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。
○われわれは自由であらねばならない。
○「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます。
○「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」という幸福の定義が隠されているのです。
○ただ隣人を愛するだけではなく、自分自身を愛するのと同じように愛せよ、と言っているのです。自分を愛することができなければ、他者を愛することができない。
○われわれ人間は、わかり合えない存在だからこそ、信じるしかないのです。
○「与えよ、さらば与えられん」
○「愛し、自立し、人生を選べ」
サポート非常にありがたい。あなたのサポートを胸に、これからも邁進していこうと思う。