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嫌われる勇気【後編】

④課題の分離

アドラー心理学では承認欲求を明確に否定する。

なぜなら、承認を欲することは「あの人」の期待に答えるために日々の行動を起こすというまったく不自由な状態だからである。

人の期待に答えるために行動し、生きることは健全な状態ではない。

その人が認めてくれなければ適切な行動はしない、その人が認めてくれるならば不適切な行動をしようといった歪んだ発想に至りかねない。

人は皆、たった一人の「自分」のために生きているのだ。

他に誰があなたのためにあなたの人生を生きてくれるだろうか。

このように他人のために人生を生きないためには私たちは、「課題の分離」をしなければならない。

課題の分離のコンセプトはシンプルである。

他者の課題には踏み込まない、自分の課題には踏み込ませない。

それ以上もそれ以下もない。

もっと具体的な話をしよう。

たとえば勉強をしない子どもがいたとする。

その子どもに対して、「〇〇、いつまで遊んでるの!早く勉強しなさい!!」と親が叱る。

これは現実でもよく見る光景である。

果たして、この親の対応は正解なのか。

正解か間違いであるか、明確な答えは出すことはできないが、アドラー心理学的なアプローチは多少異なってくる。

勉強しない子どもに対して、介入はしないのである。

なぜなら勉強するかどうか、その結果最終的にその責任をとるのは子どもであるからだ。

勉強をするか否かというのは子どもの課題なのである。

ここで勘違いしないで欲しいのは、ほったらかしにしていいと言っているわけではないということだ。

親は介入はしないけれど、精一杯の援助をする必要がある。

援助とはつまり子どもが勉強するための精一杯の情報と資源を与える、ということだ。

例えば、

○勉強しないと将来どのようなデメリットがあるのかということを伝える
○望むならば塾に通わせたり、教材を買う用意はいつでもできていることを伝える
○勉強するための環境を整える
○勉強に対する不安や悩みなどを真摯にきいてあげる
○たとえ成績が悪くても、自分の子どもとしてわたしはあなたを愛しているということを伝える

などが挙げられる。

こういったことを子どもに伝えたあとは勉強するかどうかは子どもに委ねるのである。

あなたは勉強するための資源や環境を整えるというあなたの課題を済ませた。

実際に子どもが勉強するかどうかはもはやあなたの課題ではないのである。

⑤嫌われる勇気

こういった対応は一見冷たく感じるかもしれない。

わたしの課題は、わたしの課題である。あなたの課題は、あなたの課題。

と完全に自分と人の課題を分離した状態である。

しかし、複雑な人間関係を構築する上で、課題を分離しない生き方のほうが卑怯でずるい生き方なのだ。

人とは、もうそれは本当にいろいろな種類の方がいる。

10人いれば全く同じ考えを持つ方など一人もいない。

その10人と交友関係を結ぶとき、その10人全員に好かれようとする行為は果たして誠実と言えるだろうか。

それこそ全員に好かれるためにこっちにはこういったウソをつき、あっちにああいったウソをつき、と他人に好かれるためにウソを重ねていく、まさに他人に支配された人生ではないだろうか。

そんな複雑な人間関係を構築する際、それを解きほぐし、自分の意思を持って自由に交友関係を築くための手段が課題の分離なのだ。

無論あなたは他者との関係構築の際、できる限りのことをやり、その上で拒絶されることもあるだろう。

それはそれでいいのだ。

あなたは自分の課題を全てこなした。

その上であなたと関係を構築を拒否するか否かはもはや他人の課題になる。

他人に媚びを売ることなく、自らの自由をもとに人間関係を構築していくとき、必ず相いれない他人はいるだろう。

そんな時はあなたはその他人にできるだけのことをやり、あとは他者の決定を見守るだけなのだ。

これこそが自由な人間関係を営むためのもっとも有用な方法である。

つまり自由とは嫌われることと表裏一体なのだ。

「嫌われる勇気」とは、自由になるための勇気である。

⑥共同体感覚

アドラー心理学の最終目標は共同体感覚にある。

共同体感覚とは、「他者を自分の仲間だとみなし、共同体の中の自分の居場所を見出す」ことである。

簡単にいうとボクはここにいてもいいんだ!という感覚を身につけることである

共同体感覚を身につけるには「自己受容」、「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つの要素が必要と言われている。

「自己受容」とは自分のことをあるがままに認めること、「他者信頼」とは他者を条件なしに愛すること、「他者貢献」とは、自分の価値を実感するために、わたしが他者になにができるかを考え、実行することだ。

自己受容し自分を認め受け入れることで、裏切られることの恐怖が薄れ、他者信頼をすることができる。

他者信頼をすることで他者を仲間と認めることができ、下心なく他者貢献を行うことができる。

そして他者貢献により、貢献感を得て、さらに自己受容ができる。

この3つはそれぞれスパイラルを構成する要素にもなっている。

そうやって共同体の中での貢献感を高めていく。

つまりアドラー心理学の最終到達地点は幸せになるために「貢献感」を得ることなのだ。

それがアドラー心理学の最終的な幸福の定義である。

⑦ただこの瞬間を、踊り続ける

過去や未来に干渉することは私たちには不可能である。

過去を変えることはできないし、未来を予測することも非常に難しい。

つまりあなたの人生とは、今あなたが生きている今この瞬間なのだ。

今この瞬間を、後悔のないように一生懸命に生きよう。

この瞬間、一生懸命ピアノを引いた方はもしかしたら今後プロのピアニストになっているかもしれない。

一生懸命ブログを書いている人は将来プロブロガーになっているかもしれない。

こんなことは予測できないのだ。

夢を叶えた人は今その瞬間を楽しみ、踊り続けた結果、プロという道に行き着いた。

その時その時の記事を必死で頑張ったおかげでブログがバズった。

そんな人たちばかりだったはずだ。

今この瞬間を精一杯、全力で頑張りながら進んでいこう。

たとえそれが道半ばだったとしても、あなたの旅が否定されることは無い。

そしてそこから見る景色はふもとから見えた景色より遥かに綺麗な景色になっているはずだ。

以下、本書より抜粋

○「大切なのはなにが与えられているのかではなく、与えられたものをどう使うかである」
○健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。
○関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方です。
○「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」
○他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。
○すなわち、幸福とは「貢献感」のことなのだ
○人生とは連続する刹那なのです
○あなたがどうな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、
「他者に貢献するのだ」
という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにもしてもいい。
○世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。

サポート非常にありがたい。あなたのサポートを胸に、これからも邁進していこうと思う。