日記 2/25

今日はなんとか早めに起きて、朝イチの映画を観に行った。『月』という映画。凄惨な障害者殺人事件である津久井やまゆり園事件をモチーフにした作品だった。この作品は、なんというか、自分の中にある軸を揺り動かすような、重たい作品だった。上映中、ずっと口の中が乾いていたことを覚えている。そのくらい、俺を内部から動揺させる内容だった。

社会は障害者の人たちとどのように向き合えば良いのか? 我々は、彼ら彼女らと何が同じで、何が違うのだろうか? 彼ら彼女らとはどのような倫理を構築できるのだろうか? そもそも倫理の対象とはどこまでなのだろうか?(そもそもそのような問いじたい正しいのか?)

帰途、そのようなことをずっと考えていた。なかなか簡単に答えの出るようなものではない。あの事件が、あの犯人が我々に突き付けた問題にはなかなか満足な返答を与えることはできない。しかし、出さなければならないと強く感じた。俺は今まで漠然と、そういった問題に踏み込むことを避けていたように思う。男性で五体満足で異性愛者である俺はどうしようもなくマジョリティなのであり、そんな人間が何を語ろうと綺麗事にしかならないのではないかと。でも、たぶんそういうことを言っていられる時間はない。障害者差別の問題は進行形で現に起こっており、その被害者が今まさに生まれている。苟も倫理学を学ぶ人間ならば、その問題に何か応答をしなければならない。俺はあの映画を通じて、意識の面でひとつ転換を迎えたと思う。

それでもお腹は空くもので、帰路にあったパン屋で昼食を買った。苦さ控えめのコーヒーがよく合う。食べ終わったあとはしばらく、津久井やまゆり園事件について調べていた。

夕前に、日用品を買いに出かけた。疏水に沿った緑道を歩きながら、先ほどの問題について考えていた。すると視界の先、氷雨に打たれた寒椿の花が散っているのが見えた。落ちた花弁は鮮やかな薄紅の血飛沫になり、うららかな甘い香りが死臭となって辺りに漂っていた。花は散るからこそ良いのだとかいう月並み文句は、単に花の死体が美しいからだよなと思う。いつかに新宿で見た、カラスにつつかれた鳩の死体は、「鳩は死ぬから良い」だなんて感想を人々に抱かせないだろう。

小さなモールで1時間ほど買い物をした。俺、買い物下手なんだよな。目当ての物を探すのにやけに時間がかかる。そもそも目当ての物がないこともしばしば。今回もブックストッパーをロフトで探したけど、終ぞ見つからなかった(店員さんに聞くに売り切れたらしい)。変に諦めが悪いのは悪い癖かもしれない。

あとは夜にバンドの練習があって、今日は終わり。なんだか心身ともに疲れたので、さっさと寝ることにする。




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