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with コロナの時代に生きる がん患者のこれからと ~終息すれば旅行に行ってみたい~ Vol.2

   どうも日本における「観光」という言葉が自らの身体にフィットしないのは何故なのか色々調べてみた.そもそも,観光という言葉の保つ意味,日本で使われた語源は何なのか調べてみました.

 郡上八幡市のwebサイトには,「『観光』という言葉は、中国の儒教の経典である四書五経の一つ『易経』にある『觀國之光利用賓于王』(國の光を觀る【みる】 もって王に賓たるに利し【よろし】)からきています。これは、その地の自然や文化、産物、風俗、政治、暮らしなどの『光』をよく『観』て、この『光』が優れている国の王に賓客(ブレイン)となって重用されるのが良いという意味です。 」とあります.

「そもそもブレインとなって重用されるのが良い」というのは,現在人が一般的にガイドブックや人の評価を持って同一視して安心して帰って来ると言うのが「観光」というのと甚だかけ離れているのではないかと思うのです.

    近所の寺社仏閣へのお参りも,行った土地での美味しい食べ物の偶然の出会いの楽しみや,例えばふらっと降りた街での散歩などなど,そこで見聞きし,人と出会うことを楽しむことを記憶し反芻したいし記録に残したい.その道程やアプローチを楽しむことは,昔から「旅」「旅行」というのではないのでしょうか.
 具体的には,どんな感じの「旅」がイメージなのかと言うとBS朝日が放送している「迷宮グルメ異郷の駅前食堂 」,NHK BSPの「世界ふれいあい街歩き」,NHK BSPの「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」でしょうか.
 これらの緩い感じの歩きや食事処探しと人との出会いが身体の振幅に合致します. これこそ,「旅」「旅行」ではないでしょうか. なんとか「観光」という言葉の気色悪さや違和感を自らの身体から遠ざけたいと思っています.

 安宅和人氏が「変質する世界 ウィズコロナの経済と社会 (PHP新書) 」で新型コロナウィルスの感染の集団免疫獲得までの必要期間の試算を,約2.3年後と例示しています.
 まず,この約2.3年の間に「旅」への妄想を膨らましてみます.

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