クローゼットから抜け出す

“come(coming) out of the closet”は「自分が同性愛者であることを認める」という意味で使われています。
自分も20歳になるときに“coming out of the closet”というタイトルで同様の詩を書いていたのだけど、43になった今に違うタイトルで改めて書くと、時代の背景が違ってくるものだなと思います(読みたい人はいますかね…?)

それは僕にとって必然だったのかもしれない
いつからか秘密として持ってしまったものを
墓場にまでは持って行けないことが分かったんだ

そうだね今じゃネットも幅を利かせているから
名前を入れて検索すれば分かってしまう可能性もあるからな
「これは隠せないな」

思春期の頃にそうかもしれないと勘づいた
故に身体の仕草も変だったから格好の餌食になったんだ
あの忌まわしい記憶がずーっと残っている

「もうバレていたのかもしれない」
あるときから開き直るしかないと思った
けれど僕が居る場所は噂の拡散が早い保守的な田舎町

もしこのまま動かずに過ごしていたら
世の人の言う「一般的」や「ふつう」に飲み込まれ従わされるという
拭えぬトラウマに支配されてしまう

「これはやばいぞ」
何か口実をつけてここから抜け出さないと
僕の一度きりの人生が壊されてしまう

現在の僕が置かれている境遇を無視して
自分に正直に生きるっていったいなんだろうって考えるよりも
いち早くここから抜け出したほうがいい

そしてやっとの思いで抜け出せた景色を目の前に
抜け出したと同時に失ったものも多くあったけれど
これから得られるものと人との出逢いに期待した

あれからどれくらい経つだろう
良いことも悪いことも幸も不幸も同じくらいあった
だけどあの頃より僕も社会も確実に変わってきている

クローゼットから抜け出し鍵をかけた僕は
新しい街で自らをさらして生きられるまでにはなったけれど
未だに多くの壁があることを毎日思い知らされている

理解の前に差別がありすぎて
同じように謳歌する人間が悩む人たちを背後から撃つんだ
そりゃ閉じ籠もっていたくもなるよな

そして平等を訴えれば「特別扱いだ」とか「特権か」とうるさくて
同じ人間や属性でも思考がクソだとこれだけ醜くなるんだな
ニュースや情報が流れていくたびに思う

メディアのステレオタイプと偏見に心がやられてしまい
何度も何度も同じ嘘を吐き続けなければいけないのかという苛立ちとともに
「僕は大丈夫」と「あんなふうにはなりたくない」という根拠の無い自信を繰り返す

未だに悩みの中にいる人たちが多く居て
大都市圏に住み群衆の中に紛れて安心することと同じくらいに
ひとりぼっちかもしれない田舎町で葛藤しながら生きる人たちもいる

四角い画面の中でなら安心できるけど
そこから離れて生活に戻りありのままでいられるかといえば
「そんなことはまったくないよ」

それでもクローゼットから抜け出せた
あの頃よりも好きな服やアンダーウェアを今は多く持てている
生まれ持ったものに悩むことは相変わらずあるけれど

人と同じにならなくていいとはいっても
ときどき目に見えるものが羨ましくてどうしようもない
いつか乗り越えて気にならなければいいだけの話だ

そしてもうひとりではなくなった
話ができる人たちも増えたし悩みは互いに多く尽きないけれど
確かにあの頃は言い合いしている今の僕を想像できなかったから

君がクローゼットから安心して抜け出せるために
既にクローゼットから出た僕もあらゆるものと闘って考えていかなくちゃ
安心して生きられる社会になるように

だってもう十二分に傷つき傷つけられ泣いてきたんだ
その想いを今でも忘れずに抱えて生きている
クローゼットから抜け出して

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