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情けは誰のため?
聖人君子になりたい。
長年の夢だ。今もそう思っている。しかし実のところ聖人君子のフリは出来ても、聖人君子にはなれない。完全に相手のして欲しい事を理解するのは到底出来ないし、どう足掻いても人間の域を出ず、相手の為と考えながら自己満足でしか無い事も多くなりがちだ。
それでも困っていると思ったら自分なりに手を伸ばさずにいられない。何と言うか、ほとんどは考えるより先に動いている。時には鬱陶しいと思われるし、これもある程度自己満足なのかもしれない。だが、「何とかしたい」という自身の心に嘘をつけない。半分自分の為に動く、それでも良いかと最近は思っている。
一方で、どうしても静かに見守るしか無いと思う時もあり、無理やりにでもそのようにする事も増えている。動く事が迷惑になるのを恐れているのもあるし、その方が効果的だと思ってそうする時もある。私自身は極めて歯痒いが…でも、自身の助けたい気持ちに全力で蓋をする事で相手を助けられるなら、と複雑ながらそう考えるようにしている。
動くか、動かないか。どうにもこうにも、正解が分からない悩みだ。この手の事には模範解答が無い美しさもあろうに、どうしても答えを知りたくなる。
一人でも多く、一秒でも長く、人の笑顔が見たい。自身のスタンスはそのようにあり続けているが、それを叶えるには力不足が過ぎる。遠くで困っている人どころか、極めて身近なところで様々な事に心を悩ませる者にさえ、何をすべきか見い出せない。病のせいでも病のせいに出来ず自分を責めてしまうような、とても優しい、優し過ぎる者に対する言葉すら、出てこない。
難しいどころか不可能だと理解しつつも…相手を出来る限り笑顔にして、自分の為に笑顔を見られるような聖人君子になりたい。そんな夢をまだ捨てられない。
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