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葬式にはコールドプレイをかけてほしい、という話。

「結婚式にかけたいBGM」というお題は見かけるけど、
「葬式にかけたいBGM」というお題はあまり見かけない気がする。

ちなみに、「結婚式にかけたいBGM」を妄想していた時代もあったけど、会場予約済みだった自分の結婚式をキャンセルしてから、もうすぐ20年になる。自分には縁のないお題だった。

閑話休題。
葬式にはコールドプレイをかけてほしい、という話をしよう。

これは、今に思った話ではなくて、少なくとももう10年くらい同じことを考えているから、たぶんしばらくは変わらないと思うけど、パートナーに言ったところで多分覚えていないので、ここに記しておく。

もし私の葬式的なイベントがあるなら、コールドプレイ「Viva La Vida」を流してほしいと思う。飽きるほどリピート再生で。

なんで改めてこんなことを書こうと思ったかというと、単純な話だけど、今週の月曜日、伊藤羊一さんに「生き様がロックだ」と言われたからだ。

ああ、そうか、私はロックだ。イェイ。
じゃ、前々から思っていたけど、葬式はやっぱり「Viva La Vida」だな。
よし、メモしておこう。

と思い立って今に至る。

■なぜロックなのか。

月曜日に、ある、アントレプレナー育成プロジェクトについて、キックオフとなるMTGを行った。核となるメンバーが集まって、「そもそも、なぜ自分はアントレプレナーシップ教育をやりたいのか」という話をメンバー一人ひとりが共有していった(この共有だけで、3時間の会議の半分以上の時間を使った。)

ご存知の方も多いと思うけど、私は元々教育畑ではない。むしろ、教育という分野は苦手だった。
本気で学びたい人、伸びたい人、機会をもぎ取りたい人は、どんな環境だって泥水を啜ったってもがき成長していく。自分は少なくともそうしてきたと思う。だから、やる人はやる、やらない人はならない、そこに自分の時間と腕力を投下したくない、というのが、以前の自分の考え方だった。

ところが、最初のきっかけは東日本大震災で、復興支援に本気で取り組む学生主体の団体に関わるうちに、若い世代の可能性と教育の重要さを感じるようになった。

復興支援活動が一段落した頃、独立して、ほぼ同時期に母親になった。

そして、今度は武蔵野大学アントレプレナーシップ学部(武蔵野EMC)の活動に関わるようになって、いよいよ教育の凄さを感じた。

■自由に自分の人生を生きる人を増やしたい。

前の記事でも書いたけど、私の人生のテーマは「自由」です。
これは24歳のときに離婚して以来、変わりません。ちなみに、自分の思想を一言でいうと「自由」だ、と気づく機会をくれたのは、世界一カッコいい生き様をしている経営者の1人だと信じているLMIグループ株式会社の永井俊輔社長でした(多分本人は覚えていないと思うけど感謝を込めて記す)。

私は、自営業者しかいないような、田舎の農村で育ちました。農業を中心に、みんな何かしら手に職があって、定年なんて当然なくて、仕事が人生であり生きがいであり、当然苦労も多いけど、自分のことは自分で決めて生きていける人しか見ないで育ちました。親は、レガシーな環境の割にリベラルな考え方をする人で、私は子どもの頃から何でも自分で判断し、親は何でも挑戦させてくれました。

でも、そんな私では乗り越えられない壁がありました。それが「女だから」という壁でした。

私が最初に望んだ職業は、実家の跡継ぎでした。小学校低学年くらいだったと思います。でも、私は長女だけど弟がいました。

「農家になりたかったら、農家の家に嫁ぎなさい。」
「やりたいことがあったら、それをやっている男の人に嫁ぎなさい。」

というのが、悪気も何も無い親の回答、というか彼らの現実でした。
ちなみに、今の私のファッションを知っている人は信じられないと思うけど、ここから数年間、私はズボンしか履かなくなります。腰まであった髪も短髪にして、わざと声を低く喋るようになりました。男になりたかったんです。高校は男子校に入りたかったんですが、入れてもらえませんでした(当然)

そんなこんなで、おそらく比較的アントレプレナーシップの素養はあったと思うのですが、「女性という性」「家制度」というものも同時にインストールされていて、自分の中でアイデンティティの整合性がなかなか取れずに苦労しました。

そんなこんなで、社会に出てすぐに結婚して離婚して、そこから「自由」こそが最も個人のパフォーマンスが良くなる状態で、個人のパフォーマンスが良ければ他者に対しても優しくできるし、社会に対しても貢献できるから、「自由だ!」と感じる人材を増やしたい!
で、それにはアントレプレナーシップが必要なんだ!
と思って現在に至ります。

このあたりは、ご興味あったら以下のnoteをご覧ください。

なお、一応補足しておくと、私はフェミニストではないと思います。
というか、フェミニストとかなんとか以前に、人は老若男女すべて平等であって、すべてがリスペクトされるべき存在であって、それ以下でも以上でもありません。
たまたま私の出自的に「女性性」のカラーが濃くなりがちですが、訴えたいのは、全てにおける平等と自由です。

とまあ、そんな話をメンバーの前でお話ししたら、羊一さんに「生き様がロックだ」と言われて、すっかり気を良くして今に至るわけです。

■「Viva la Vida」=美しき生命

コールドプレイのこの曲が世に生み出されて、瞬く間にヒットチャートを駆け上ったのは2008年。世界中が熱狂した。タイトルを知らなくても、あの「ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ」というイントロを聞くと知っている人も多いと思う。

この曲、歌詞を真面目に聞くと、実はすごくシリアスな歌だ。
かつて世界の支配者だった英雄たちの、栄枯盛衰が歌われている。
でも、勇ましく美しいのだ。たとえ革命に失敗していま目前に人生の終わりが迫っていても、人生はどこまでも自分が主人公で、強く美しい。

2017年秋に独立を決意した時、私はポルトガルのポルトからリスボンまで、1人で電車で移動していた。過ぎ去る町並みを見ながら、ずっと聞いていたのが「Viva La Vida」だった。この旅行の最中、空路でも、海路でも、陸路でも、移動中はずっと事業計画書を書いていたけど、「うん、帰ったら会社に辞表を出そう」と本気で決めたのは、この電車の中だった。

2020年初夏、するんと無痛分娩で産むはずだった息子の心臓に異常が見つかって緊急帝王切開になった時も、術中に手術室で歌っていたのが「Viva La Vida」だった。開腹されているのに歌っている私を見て、医者は「この母親は気が狂った」と思ったかもしれない。でも、むしろ筆舌しがたい痛みと不安で、歌っていないと気が狂いそうだった。

ちなみに、「Viva La Vida」の和名タイトルは「美しき生命」です。
お気づきでしょうか。短縮すると、息子の名前になるのです。


そんなわけで、私の人生には、いつも「Viva La Vida」があった。
なので、そもそも葬式的なものをしてほしい気持ちはあまりないし、遺灰は海に投げてほしい主義なんですが、もし万が一、私の葬式的なものがあるときは「Viva La Vida」を流してほしい。

とまあ、そういうお話。


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