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手のひびきと、岩の神様。その1

むかし、むかしから。
手で触れること、手をかざすことによる癒し、というものが世界各地で、多くの人々により行われてきたのではないかと、ずっと考えていました。
そして手に限らず、ひとと、ひとが。お互いに触れあうことによって完成するエネルギーがあるのだろうと。

ひとりひとりが、そらと、大地と、自然とつながり。その気の循環を自分自身のなかに巡らせてゆく。そしてそのエネルギーを純化し、強化してゆく。
そしてその状態がほぼ完成に近くなったときに、
ひとと、ひとが、触れあい、お互いの陰陽のエネルギーを循環させていく訓練、さまざまな儀式があったのではないかと。
もちろん、パートナー同士で訓練する人々、ソロで道を極めていく人々。
色々な方法や道があったのでしょう。

まずは、自分自身のからだ、宇宙とつながり。
そしてお互いの宇宙と共鳴してより深く循環していくような感覚。

そして、からだ、というものを魂、神性の宿る、神殿として。
神聖なる器として大切に扱っていた時代が、かつてはあったのですよね。

私はその時の記憶がかすかに、あって。
神に仕える人々が、大切な儀式をする前に、薬草や香油を使い、そのからだとエネルギーを浄化する役割を担っていたようでした。

ですので、この、「ひとの身体に触れさせていただく」という仕事が。
遠い古代から続いている神聖な仕事であるという誇りを持っています。

でも、ここ何年もの間、ずっと考えていました。
なぜ人は、あたたかなひと同士の触れあい、自然界とのつながりを失いつつあるんだろう。
なぜ、このからだを単なる肉体として扱い、神聖なる魂の器と見なさなくなってしまったのだろう。
なぜ、すべてを忘れていってしまったんだろうって。

そんな時、ふとネットで。まるで廃墟のようなダークで寂れた雰囲気に撮影されている、石の鳥居と神社の写真を見かけました。

その2に続く*

(🌿2021年に投稿した記事を再投稿しています)

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