Blue Village について by ごうすけ

Blue Village という言葉が降ってきたのはもう何年も前の話で、ある真夜中に、僕がせっせと歌の歌詞を書いていると、ひとつのキーワードとして生まれてきたものだ。

ピンク色の象がじぶんを迎えにくるところから始まるその歌は、輪廻転生について描いていて、死のセカイで、現世の夢を見ながら蘇りを待つ人々の村を"Blue Village"と呼んでいた。

人々は毎晩火をおこし、踊り歌い、そして夢を見た。翌朝になるとその夢について語り合った。その夢は次にやってくる人、そして次に旅立つ人を示唆する重要な役割を果たしてたいた。

なぜかその村のイメージは鮮明に脳裏に刻まれていて、いつかこの言葉をちゃんと使いたいと思っていた。

それから数年経った2017年の初夏、僕と加奈は北海道の洞爺湖に小さな土地を買った。土地には電気もガスもなかったけれど、とても美味しい湧き水が湧いている。自然の循環の中でじぶんたちの理想の住処を創っていこうと二人で決めて、僕らはまだ何もないその土地を"Blue Village"と呼ぶことにした。

(洞爺湖月浦の土地・湧き水と池がある)

当時、僕らはパーマカルチャーデザインコースの沖縄合宿に参加したばかりで、合宿を主催していたシンカヌチャービレッジや、一緒に参加したワカゲノイタリ村の仲間にとてもインスパイアされていて、僕らもこの土地でゼロから理想の暮らしを創ってみようと考えていたのだ。

(シンカヌチャービレッジでのパーマカルチャー合宿)

そして2017年8月、Blue Villageを創り始めるにあたって、僕と加奈はじぶんたちの挙式を洞爺湖で挙げることにした。この美しい場所を仲間たちに見てもらい、"Blue Village" の構想を家族や仲間に体験してもらうために、3日間に渡り湖畔のコテージを貸し切ってウエディングキャンプを開催した。地元の野菜や海鮮をふんだんに使ったBBQや、オリジナルのライブ、星空の下でのDJがあり、結果として仲間や家族、何よりも地元の人たちに本当に助けられ、最高の時間を創ることができたと思う。この体験がすべての始まりで、じぶんたちが願う道を行けば期待以上の何かがやってくると信じさせてくれる原体験になった。

(湖畔近くのコテージでウエディングキャンプ)

結婚式のあとも東京と洞爺湖を行ったり来たりして準備を進め、2018年の雪解けとともに、僕たちは本格的に小屋作りを始めた。地元の方々に助けられながら、土地を整地し、穴を掘り、束石を埋めて、と作業を進めていった。

(雪解けあとの4月末。3日かけて斜面をシャベルで掘って平坦にした)

夏になると仲間たちも洞爺湖にやって来て、キャンプをしながら一緒に作業を進めてくれた。彼らのおかげで小屋作りの作業は順調に進んだし(僕と加奈だけでは到底無理な作業量だった。)夜には採れたての地元食材をつかったBBQや、焚き火をしたりして、共に過ごせることがとても幸せだった。

きっとあの歌詞を書いたときから、僕はこういう時間を夢見ていたんだと思う。

そんな風に過ごしていくうちに、"Blue Village"とは何なのだろう、とぼんやり考え始めた。

少なくともこの土地は、もう僕と加奈の住処、というものよりはもっと枠の広いものになりつつあった。なぜなら仲間ひとりひとりの人生がこの小屋作りに投影されている気がしたし、この土地はそうやって多くの人の手によって創られていくのだと感じたからだ。僕ら夫婦にはまだ子どもがいないけど、少しずつ大切な家族が増えていくような、そんな気持ちになった。

だけど、僕らはこの場所で、何を創りたくて集まっているのだろう?そんな問いがふと、頭をよぎる。

ゼロからじぶんたちの手で小屋を創ってみたい。それはワクワクする。でも情熱の源はそれだけじゃない。何もない空き地に小屋作りをする意味とは何なのだろう?

3.11の震災以降、天変地異や人災が立て続けに起こる中、「この社会は何かがおかしい」と、どこか漠然とした不安や無力感を感じながら、僕たちは生きていく場所を探していた。いろんな国を見たし、いろんな生き方に触れた。

暗澹とした気持ちになることもあったけれど、結果として僕らは希望を見つけたと思う。同じ想いをもつ仲間と出逢い、人と人の心が繋がることで生まれる安心感や自然の循環の中で生きる歓びを知ることができたから。

その"希望”は、あるいはじぶんたちの在り方を見つけた、と言えるかもしれない。「どこにいようと、何が起ころうと、何を言われようと、僕らは僕らの信じる生き方をしていくのだ」という、小さな僕らの大きな一歩だった。

そんな僕らにとってこの小屋作りは旧パラダイムからの卒業制作なのかもしれない。僕らが自然と共生しながら創りたいものは、人と自然、人と人の繋がりを感じたいと願う人たちにとっての"居場所"や、地球を愛する人々がサスティナブルな暮らしにシフトするための"架け橋"なのだ。

そしてその時間の先に、僕らの期待を越えた何かがやってくるんじゃないか。そんな予感に胸を膨らましている。

じぶんたちの軸が見えてくるにつれて「Blue Village」を土地の名称だけには収めたくないような気がした。

洞爺湖に限らず、東京だろうが、地球の裏側であろうが、あるいは火星だろうが、きっとこの世界には地球を愛するつくりてが沢山いて、そんな同じ意識を共有する人たちと繋がり、共同の創造をしていきたい。

どうすればいいかな、と考えていたけれど、しばらくして、地球を愛するつくりてたちの集合意識を『Blue Village』と呼んだらどうだろうか、と閃いた。

そう、僕らの土地は洞爺湖月浦の400坪の中に限定されるものじゃない。僕らの意識の中に無限の広がりがあるのだ。意識の中ではお金にも時間にも誰にも制限されない。ひとりひとりに大きな自由があり、それでいて願うなら、誰とでも共有できる。

言葉というのは不思議なもので、『Blue Village』の中にある物理的な制限を意図的に外した瞬間、フワッと世界が広がった感じがした。その感覚はゆるやかに、でも確実に、宇宙の果てまで広がっていく。

何をバカなことを、、、と笑われそうだけど(笑)このスケールのほうが僕らにはしっくりくる。

そういうわけで、僕らはその広がっていく意識の繋がりを「拡張家族」という言葉で表し、Blue Village を "地球を愛するつくりての拡張家族"と定義し直した。

さて、ここまでBlue Villageの由来を書いてきて、なぜ "Blue" なのか?については一切触れてこなかった。

なぜBlueなのかはよく聴かれて、その度に考えるのだけど、青色が好きだから、あとは歌詞の中で思い浮かんだそのときからBlue Village だったというのが正直なところだ。

あえて言えば、初めて洞爺湖の美しい青を見た時、その青がずっと探し求めていたものだった感覚になったし、冒頭で書いた歌詞のことを久々に思い出して、インスピレーションをもらったということはある。

それに青は地球の色でもある。地球全体の意識が繋がり、共同の創造をすることが、未来に繋がっていく。そんな願いも、「Blue」の中に込めていきたいと僕らは思っている。

ここまで、読んでくれてありがとう。次は#あおいろのかくめい について書きます。

by ごうすけ



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