個人が幸せになる方法と、国がどうあるべきかは違う。
日本で生きるのは辛い。
この文に共感できる人は多いと思う。辛さを作り出している原因は人それぞれで、その責任を国に求めるかどうかは別としてなんとなく分かり合えるはず。みんながみんな、なんとなく辛さを抱えながら生きている。
では、この辛さを取り除くにはどうするか?答えはふたつある。日本という大きな国を動かして社会を変えて、最終的に自分の身の周りまで改善する方法。
もうひとつは、国や社会は変わらないのだから、大きな枠組み、自分の周りの環境から逃げ出すか諦めて受け入れて、その中で自分の幸福感を最大限にすることだ。いわゆる小確幸と言われる価値観だ。
どちらの方法も正しいし、正解はない。
自分はどちらの考えを持っている。日本に与えられた課題、その中でどうすればみんな幸せになるかという考えがある。その一方で、ミクロな環境で見ると、自分の環境は変わらないからその中で幸せを見つけて暮らそうという価値観もある。
そう、この考え方は矛盾するのだ。当然、社会を良くしたければ、ひとりの力では無理だからみんなを巻き込む必要がある。全員の参加は必須で自分の幸せを見つけている場合ではない。公に尽くすべきだ。一方で、自分視点で見ると、自分には何もできないと思い込んでしまう。むしろ、憧れた人たちが話す人生の成功体験を真似してみても、簡単には上手くいかず世間の厳しさを知った。自分の無力さは骨身に染みるし、自分ひとりを豊かにできない人間に社会は変えられるのか?とさえ思う。
このふたつの考えを同時に主張すると矛盾した人間になるから、ブレブレの人に思われる。だからどちらかにポジションを張って発言する必要がある。でも矛盾するふたつの思いを抱えるのも、自分であり立派な主張なのだ。
最後に言おう。矛盾を言う人間だと誤解されたくない。ありきたりな結論だが、国レベルで見るとAだが、個人レベルで見るとBだよね、という風に両面を提示して話すべきなのではないか。逆にふたつの観点を人様に提供できるようになりたい。