視聴率について思うこと

 ここ最近、ドラマだけでなく、地上波の番組では視聴率が獲りにくくなっているように思います。
 みなさん、新生活が始まって、リアタイが難しくなっていたり、思っていたのと違ったということで脱落する方もいらっしゃるでしょう。
 それ以上に今、視聴者は新旧に関係なく、自分が見たいと思う番組を自分が好むサブスクと契約して、好きな時間に好きな場所で見られるようになりました。

 私はもともと視聴率視聴率とあまり騒ぎたくない派です。
 それには理由があります。
 私には、脚本家を目指して、教本を読んだり、手に入る脚本を読んだり独学でいろいろと勉強していた時期があります。
 その当時、尊敬していた脚本家さんのお一人が野沢尚さん。
 かなり売れっ子の脚本家さんでしたので、ご存知の方が多いと思います。
 野沢さんの手掛けた作品は、ドラマや映像作品を見るだけでなく、シナリオ集や小説もほとんど購入して熟読していたのですが、ある時期から彼の作風が極端に変化を見せ始めました。
 その根本にあったと思われるのが視聴率です。
 番組に出資するスポンサーさんは当然、視聴率を求めます。
 「こんな内容では視聴率は獲れない、もっと視聴率の獲れるシナリオを書け」
 そういう要望に応えるべく、苦悩している様子が作品にも雑誌のエッセイにもありありと表れ始めました。
 野沢さんが書かれた作品の中に「破線のマリス」と「砦なき者」いう作品があります。
 まず、小説として発表され、映像化されることになり、ご自身で脚本も執筆されました。
 この作品の舞台は報道機関でしたが、他局より視聴率を獲るための情報操作や虚偽報道を扱っています。
 この小説を読んだとき、野沢さんが報道やドラマの在り方に抱いている疑問や怒りを感じました。
 小説「破線のマリス」から「砦なき者」の発表までは約5年。
 その間にもマスメディアの視聴率重視の動きはエスカレートを続け、野沢さんはドラマ版「砦なき者」の脚本を書き上げた後、自死という道を選ばれました。
 別の作品では「生きろ!なにがあっても生き延びろ!」という強いメッセージを打ち出していた方が、そういう道を選ばざるを得なかったことに、私は当時、激しいショックを受けました。怒りと悲しみです。

  まだまだ視聴率も注目されていますが、視聴率だけでは測ることの出来ない、作品そのものがきちんと評価される時代に少しずつ近付いて来ていると思っています。
 今、このタイミングにもし野沢さんが生きていらしたらどんな作品を描かれたかな?なんてことを思ったりします。
 そして今。活躍されている脚本家さんたちがもっと自由に自分の書きたい作品を執筆できる世の中になってくれたら、と願わずにいられません。

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