見出し画像

コトバを深掘りする Day 25. 「違い」 VII


今日は「違い」にフォーカスして考えるworkの7回目です。

今回は、

「違い」 と 「差別」 についてお話ししていきます。


この二つの単語の意味を辞書で調べると、

「違い」とは、
 違っていること、合っていないこと。
(これに、私が付加えたいのは「同じでないこと」)

「差別」とは、
・あるものと別のあるものとの間に認められる違い。それに従って区別すること。
 例文:「両者の―を明らかにする」
・取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。
 例文:「性別によって―しない」「人種―」 




私はアメリカに引越す前から、アメリカでは、アフリカンアメリカンやアジアンアメリカンなどに対して、人種差別が存在するという話を聞いていました。
そして、アメリカに引越した後に、日本人の友達から「先日○○に行った時に人種差別を受けた」というエピソードも聞き、その友達が自分のエピソードを話してくれた後に、「あなたは差別を受けたことがあるか?」と聞かれました。

それを聞いた私はなかなか思い出せず、その様子を見た彼女から、以前、彼女と一緒に出かけた時のことを言われたのです。

ある日、彼女と街を歩いていたら、男性がニヤニヤしながら「ニーハオ!」や、「コンニチハ!」と言われたことがありました。

私はそれに対して、中国人の夫仕込みの発音で「你好」と、そして、日本語ネイティブの発音で「こんにちは」と、その人の顔を見て微笑みながら答えました。それを聞いた相手は、予想していた返しと違ったのか「なぁんだ」といった表情で、肩をすくめて去っていきました。

ただ、これを「差別」と受け取るのかどうか?

今思えば、彼女はその時に「これは差別!」と言っていたことを思い出しました。まぁ、確かに、それを言って来た人はニヤニヤしていたので、そうだったのかもしれませんが、私はそのことを「差別」とは取らず、「変な人〜」と思っただけなのでした。そして私は、変な人〜と思ったから、きっと、それをすぐに忘れたのでしょう。

アメリカには、あらゆる国から人が集まり、生活しています。数年住んでいる私には、まだAmerican Standardが何なのか、存在するのかも判りません。ですが実態としては、アメリカには色々な国から色々な言葉を母国語とする人々が集まって、英語という一つの言語でコミュニケーションを取っている。人の数だけ文化や宗教が混在して、お互いにそれぞれをリスペクトして生きていると感じるのです。
(もちろん、そうでない人達もいるのでしょうが)

そして、こんなことも。
近所に住む、中東から来た友人と話した時に、彼女は「この地域の人達は、知識とマナーがあって、我慢強さもある。そして相手の違いを受け入れる度量がある。アメリカの中でもこんな場所、他にどれだけあるのかしら。私達はとてもラッキーよ」と言っていました。

なるほど、それも一理あるのかもしれませんが、それと同じように、私達も生まれた国ではないアメリカで生活をして「違い」を受け入れ、なんとか調整してきたのです。この場合の「なんとか調整する」というのは、その場所をよしとして、その場所での、自分の心地よいやり方を見つけていく。ということだと思っています。
そして「どういった心持ちで生きていけるのか」は、自分の周りの人達の自分に対する言葉や態度が影響するのかもしれませんが、結局のところ、自分自身の考え方次第なのではないか?「受け入れられている」も「受け入れられていない」も自分の考え方次第なのではないか?と思うのです。

あなたは「差別」と感じたり、
逆にどこかの国や誰かを「差別」したことはありますか?

ということで、今日は、また違う角度からの「違い」についてお話ししていきたいと思います!「誰か」に対するリスペクトを、どうぞお忘れなく。


それでは、今日も良い一日になりますように ( ◠‿◠ )

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?