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あいさいの日

気づけばもう新年始まって一か月を過ぎようとしている。
2024という時空の敷居を跨いだあの時のドキドキワクワク感は今もまだ鮮明だが、もうあと数時間もすれば2月なのだ。早い…

ところで、愛妻の日らしい。

そこで社会的には妻であるが価値観がより昭和の旦那の様な自分が、細々と子をお世話し、また家族全体を俯瞰して物言う良妻賢母の様な夫に、ひっそりとお礼を述べたいと思う。

今日という日は振り返っても普通の日だった。可もなく不可もなく、天候は曇りのち雨。夫は普通に寝起きし、ごはんを食べて、会話し、笑い、そして仕事へ出掛けて行った。

少し違ったところといえばここ最近で少し喉が痛むことがあるらしく、本人は風邪を疑い自主的にマスクをして生活しているくらいだろうか…

特段語るようなこともない普通の日常。
それがただ、ありがたいということ。

昨年の年明け、私は夫が口にした言葉に業を煮やして息子を連れて家を出た。特に期限を決めずに実家に久しぶりに戻ってみて考えたことは沢山ある。でも最も心に重くのしかかったのは、自分ひとりの気まぐれで息子の人生を棒に振ってはならないということだった。(当時のことは以下の記事に綴ってある。)

暴力があるわけでも、荒んでいるわけでもない平凡な日常の中でちょっとしたすれ違い。何が自分にとって一番重要なのかと実家の布団の中で己に何度も問いかけた。優先順位を間違えるな、と温かい毛布に包まれながらヒヤリとしたのは記憶にそう古くない。

少し前のある日のこと。私が夜風呂上りに息子の髪にドライヤーを掛けてからいざ自分のをと洗面所に移動しようとしたとき、夫はおもむろに椅子を差し出しそこに座るよう促した。

頭にはてなを浮かべつつも言われた通りに腰掛けると、手に持っていたドライヤーを受け取り私の髪を乾かし始める。「お~ヘアサロンサービス~!」などと言って当時は喜んでもてなしを受けたわけだが、このサービスが毎日あるわけではない。急にどうしたのかと思いその日一日を一人頭の中で振り返ってみると、ヘアオイルを切らし櫛で格闘する時間を勿体無いとボサボサした頭を持て余しながら午前中家事育児に勤しんでいた自分が記憶に蘇った。

格闘する時間が勿体ないと思い他の事柄を優先させたのは事実だが、もっとも、その日は格闘する元気も無かった。自分の事は後回しになりがちだが、そうした姿から疲れを見て取ったのかもしれないなと後に思ったのだった。

日々同じようで微細に違う。同じを続けていく中で感じ取る違和感。
その違和感に働きかけることが彼にとっての優しさ、思い遣りなのだろう。

些細な事だが、その思い遣りが嬉しい。
また、そういったささやかな幸せで満たされる自分でありたいとも思った。


夫が女であれば「良妻賢母」そのものだったのかもしれないな、などと想像を膨らませながら、、

こんな自分に寄り添い歩いてくれて、ありがとう。

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