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気付いたら、私も自分に許可を与えてた

自己啓発系のキラキラ女子(女子だけではないと思うけど)界隈では、「自分の設定を変える」とか「自分に許可を与える」とか言う言葉をよく聞きます。

なんとなく、意味は分かるんだけど、ちょっとよくわからないなぁと思っていたのですが、よくよく考えてみたら、私も自分に許可を与えていました。

数年前、急遽夫との別居が始まった時、自然と平日は私の家(学校に近い)、週末は夫の家と子供達が移動する事が決まりました。

土曜日の午前中に部活や習い事があるので、子ども達を送迎して、すべてが終わった後に夫の家へ送っていくようになりました。

でも、子ども達がもっと夫の家に長居したがったのをきっかけに、土曜日の習い事の送迎も夫に任せるようになりました(許可①)。

普段仕事している夫に、送迎を頼んで良いものかとモヤモヤしましたが、平日の習い事の送迎は私がやっているし、問題はないと何度も自分に言い聞かせました。

それから、美術館やコンサートなど、子ども抜きで自分のために遠出ができるようになりました(許可②)。

職場の同僚は子供が学校に行っている間に都会まで出て、ランチをして帰ってくるのを昔は月1でしてたと言っていて、私はなんで1人で楽しい時間を過ごすことに抵抗があるんだろう?と思ったんですよね(理由は多分、普段の生活で妻として母として「ちゃんと」出来ていると自信が持てないからだと思います。)

自分の仕事を優先させて夫に子守りを任せることも、相変わらず罪悪感と背徳感がありますが、出来るようになりました(許可③)(ちなみに夫は自営業で休みが予定がなければ休みが取りやすいのです。)

許可しても、それらは「当たり前の権利」のようにはなりませんが、自分の自由度が増した気がします。

「母親が家事や子供の送迎を全部やって、夫を休ませてあげなくてはいけない」とか「母親は自分の事は最小限に、子どもを満たしてあげなくてはいけない」とか、こんな設定が自分の中にある気がします。

自分の母がそうしてくれていて、私は幸せだったからでしょうね。

設定変更までは時間がかかりそうですが、自分への「許可」は今後も適宜出していってあげようと思います。

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