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違う自分

ミーニングノートコミュニティの読書会で「感情は、すぐに脳をジャックする」を読んでいます。

その中で「コミュニティの数だけ違う自分が存在する」というような話になりました。

ミーニングノートコミュニティの中でも、「コミュニティで話すような事をリアルで話せる人がいない」という話はよく聞くんですけど、私、どこにいても、全部同じ自分で生きている気がします…。

もちろんコミュニティによって、興味がある話題が違うので、ママ友と話すときは子供や地域の話をしますし、地元の友達と話すときは、近況報告や昔話をします。

でも、ミーニングノートコミュニティで話すような、内的な話が出来ないかと言うと、そんなことはなく、話の流れでそういう話になれば出来るのです。

子どもにも、「お母さんだからしっかりしている」風でいるのは随分前にあきらめて、くよくよ考えて落ち込んだ話とか、それを上司に話してもらったアドバイスなどを話します。

考えてみると、子供の頃は、家族の前と友達の前で見せる顔が違って、友達といる時に姉に会ったりすると、家族の前の自分の姿を暴露されるので嫌だった記憶があるのですが、今はその気まずさを感じることもなくなりました。

(「スロブ」としての自分は、リアルな自分と何にも変わらないけれど、「ネット上に文章あげてる」のが恥ずかしくて伝えていません。)

みんな、そんなにコミュニティによって仮面を付け替えているのかな?自然に?それとも意識的に?

それとも、その「話す話題が違う」っていうのを「違う自分」と表現しているだけで、本当は同じ自分で過ごしているのかな?

「コミュニティの数だけ自分がある」という概念がいまいちしっくり来ず、モヤモヤしています。

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