お笑いコラム① 根暗がお笑いを生む
私はお笑いが大好きだ。かつ、芸人さんが大好きだ。
「話で」笑わせることが出来る人に、非常に魅力を感じる。そして、お笑い芸人さんを尊敬している。
理由を突き詰めていくと、単純に面白いから、なのかもしれない(笑)。
それだけでなく、どんなに辛くても人を笑わせるということってとても心が強いと思いますし素晴らしいことだと思っている。
あいだみつを風に言うならば、
だとすら私は思っている。さらに言うと、
と思っている。
私が「漫才」が好きな理由
話が飛躍してしまったが、私はそもそも、「言葉」というものが好き。
漫才はまさに「言葉」だけで人を笑わせる行為だと思う。
つまり、言葉を聞いてるだけで楽しいと感じるわけで、その言葉を駆使している漫才はやっぱり好き。
私の好きな芸人さんがよく言っていた言葉だ。でも、絶対そうなんだと思う。
少なくとも私は言語的な知性を感じると惹かれる。男女問わず。
またまた話が飛躍したが、漫才は言葉の勝負でもあるが、加えて、話の間合い、テンポ、タイミング、声のボリューム、声の高さ、表情など、その時々によって漫才の出来は変わる。
その前提に作り込まれたネタがあり、その魅力が前提だと思う。
根暗が面白さを生む。
意外に思う方もいるかもしれないが、芸人さんというのは自分一人の世界を持っており、実はネクラな方が多い。
夜中に一人でクレージーなことを考えていたりする。おもしろい人は、”どこか冷めている人”なのだ。逆に、明るい人というのは楽しい人で社交的だが、笑いの内容は薄く、あきられやすかったりもする。
これが私の方程式であったりする。
私にとっては、面白い人が、自分にとって楽しい人である。
だが、楽しい人が面白い人とは限らない。
意外と売れている芸人さんのエピソードを聞くと、学生時代クラスの中心にいる人気者ではなく、教室の隅にいて目立たない地味な人の方が、多かったりもするので、あながち間違っていないと思う。
自分一人の世界を持っていること、言い換えると
を面白さの重要な要素でもあると思う。
根暗の人の方が、一人でいる時間が長く、世の中に対してあれこれ思考を巡らしている人間の方が自分の世界観を確立しやすい。
かつ、私は根暗な部分があるので、同じ部分を持っている芸人さんに惹かれるのかもしれない。
かまいたちの山内さんとか、ブラマヨの吉田さんとか、ボケがひねくれているようにも感じるが、割と正論をぶつけている。
どこか彼らの言い分を常に応援したくなってしまう時点で、私はやや根暗なのかもしれない(笑)いや、根暗だ。
力は入れるより、抜く方が難しい
ある芸人さん同士のラジオの会話でこんな言葉を言っているシーンがあった。
当時この言葉を聞いた私は、M-1優勝歴のあるノンスタに対して、こんなことを言っている意味が分からなかった。
ただのひがみや妬み嫉みだと思っていたが、今なら少し言ってる意味が分かる気もしてきた。
芸人さんはフリートークや大喜利、ひな壇など様々な力が必要である。力が入りすぎると面白くなかったりもする。
あのМ1優勝歴のあるノンスタでさえ、力の抜き方には苦戦していた。
私はなんだか私生活にも同じことが言えるような気もして、もちろん全力もカッコイイのだが、力の抜き方を知っている人に魅力を感じたりもする。
意外と力を抜くことって難しいのでは?と思っている。
お笑いにはロジックがある
話術で人を笑わせるには、”どんな順序で話を展開してカードを切っていくか”。”どこまでその重要なカードを止めておくか”。そして”どこでその重要なカードを出すのか”。と、展開や構成にも重要要素がある。
1つの話には、様々な「カード」があり、その「順番」と、意図して切り出さないカードと、そのカードをどこで出すかのタイミングが重要だと、思う。
つまりお笑いは、常に”戦略”があるのだ。
重要なカードをあえて最初に出してしまう事もあったり、とんでもなく意外なタイミングで切り出す事もある。
そんなロジカルさにも、私がお笑いを、お笑い芸人さんを好きになる理由が含まれているのかもしれない。
そんなところで今回のお笑いコラムは終わりにしようと思う。今後は、M-1グランプリの分析もしていこうと思う。
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