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見ろ、猪木がやったぞ!

1989年(平成元年)、アントニオ猪木は現役プロレスラーのまま参議院議員選挙に出馬し、世界初の「プロレスラー議員」となりました。
さすがに議員となってからはリングに上がる機会は激減し、当時、プロレス専門誌等には「リング上の猪木を見ることができるのは10回程度かもしれない」と預言していたと記憶しています。

翌1990年2月10日、久しぶりに東京ドームのリングに上がったものの明らかにトレーニング不足と思われるコンディションを露呈してしまう。
何とか試合には勝ったものの、試合終了後、マイクを手にすると「演説」を始めてしまう。(メインエベントに勝利したレスラーが試合後にマイクパフォーマンスを行う習慣は、この時がスタートのような気がします。)

「今日の試合は若い二人(橋本真也、蝶野正洋)に苦戦してしまった」と吐露した後、「これからは私の悲願である世界平和を実現するために・・・」と発言。
思わず会場からは「何もプロレスのリング上で議員としての演説をしなくてもいいのに」というような失笑が漏れていました。
かくいうオイラもそう思ってしまった一人です。

それから約1年半後、湾岸戦争が勃発。
クウェートに居住していた外国人はイラクからの出国を制限され、事実上の人質となる事態となりました。
日本政府がイラク政府に働きかけ、日本人の解放に尽力するも一向に事態は改善せず。
そんな中、アントニオ猪木が「平和の祭典」と銘打ったプロレス興行をイラクで開催することを発表。実績を作って人質解放に繋げるとのこと。

はあ? 人質解放とイラクでプロレスの試合を行うことがどう繋がるのか?
だいいち、イラクに行って無事に帰って来れると思っているのか? 
いや、猪木も含めて人質が増えるだけじゃないのか?
もしそのようなことになったら今までのファンの支持や信用をいっぺんに失ってしまうのではないか?

プロレスヲタクのオイラですらワケがわからないのだから、この時点での世間一般の人の認識は、「この目立ちたがり屋が勝手なことをやって! 政府のやることを邪魔するな!」でありました。

しかし、私財を投じてチャーター便を押さえ、実際にイラクに赴き、イラク国会で演説を行い、滞在期間を延長して、粘り強くイラクのウダイ副大統領と交渉を進めた結果、ついに人質解放の了解を得る。

まさか、日本の4大新聞の一面にアントニオ猪木が掲載される日が来ようとは。
生きて帰れる保証はまったくなかった、正真正銘の「真剣勝負」

活字プロレスの元祖である、週刊ファイトの名物編集長の井上義啓氏は、同紙のコラムに書きました。

「見ろ、猪木がやったぞ!」

世間の偏見と闘い続けた猪木がついに「結果」を出した。
冷静な視点で見れば、この時点で祝うべきは、当然「人質が無事解放されたこと」であるべきですが、プロレスファンはすべて井上編集長と同じ気持ちでありました。

ここでやっとオイラは気付きました。
ああ、約2年前にあの東京ドームで発した言葉、「世界平和実現のために」は「本気」だったんだと。
あのとき、猪木の「本気」を、うかつにも失笑してしまった自分自身を情けないと思ったものです。

猪木に売名欲や、あわよくばビジネスチャンスを狙う金銭欲がなかったとは言わない。
そんな「下心」を読まれて、ビジネスパートナーに裏切られたことも数知れず。

しかし、他人に迷惑を掛けてまで「やりたいこと」を貫いた生き様は、
まさに豪傑と呼ぶに相応しい、不世出の英雄です。

総合格闘技よりも過酷な真剣勝負に勝利したのは
世界でただ一人、アントニオ猪木だけだ!

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▼IMFORMATION
● 月イチ定例やまぼうしライブ
  ※2020年4月から当分の間、中止とします
会場 コーヒー&ギャラリー やまぼうし   
住所 静岡市葵区辰起町8-17 電話054ー271ー1602
料金 500円 (ワンドリンク付き)
▼参考リンク
BLUES和也のSoundCloud
GarageMihoのYouTubeチャンネル旧ブログ「だからPA屋なんですってば」のアーカイヴ
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