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チケットノルマ制の前の時代

オイラが20代の頃、静岡市でもっとも知名度のあるライブハウスは「モッキンバード」でした。

▼同店を紹介した過去のブログ記事
伝説のライブハウス

同店は、1984~87年の4年間という短い営業期間でありましたが、オイラの音楽人生にとっては超貴重なマイルストーンとなっています。

以下はジジイの昔話としてお聴きください。

当時のメジャー音楽市場は、フォークソング絶滅、ロックバンド全盛時代で、ライブハウスにアコギ弾き語りで出演、などというプログラムはマジで一人(一組)もいない状態でした。

んで、当時の出演ルールといいますか、出演希望者はどのようにしてステージに立っていたかと言うと、店長(もしくはマネージャー)が「ウチの店のレベルに相応しい出演者どうか」を見極める、という一点のみでした。
チケットノルマさえペイできれば、誰でもステージに立てる、という仕組みではありません。
ライブハウスのステージに立ちたいと思ったら、店長が認めるレベルまで上手くなるしか方法がなかった、という時代です。

なので、たとえ知らない出演者の日にふらっと立ち寄っても、お金を払って見る価値のあるステージが「保証」されていました。

ちなみに客が入店時に支払うライブチャージ料は、アマチュアで1000円、プロで2000円程度だったと記憶しています。
また、アマチュアバンドであっても特にチケットノルマは課されていなかったと思います。

さらにちなみに、当時のオイラは某アマチュアバンドでドラム担当しており、辛うじて2~3回ほど、同店のステージに立たせていただいた経験がありますが、もし、当時、ピンのアコギ弾き語り出演枠があったとしたら、とてもオイラ程度のレベルでは店長のお眼鏡に叶うことはなかったはず。

ある意味、オイラは、モッキンバードのステージに立つことが叶わなかったものの、静岡のアマチュアミュージックシーンに関与していたい、という願望から、裏方(=PA手伝い)に回ったという出自といえます。

その後、90年代に入ると、静岡市にもチケットノルマ制を導入し、「誰でも出演可能」なライブハウスが次々と新規オープンしていき、ようやくオイラ程度のレベルでもステージに立つことができるようになったワケです。

・・・が、店長のお眼鏡をスルーして出演することに関しては、あれから約30年経った今でも罪悪感を払拭できていません。

それでも40歳を超えた頃から、何とかひと前で歌唱・演奏しても許容されるレベルに達したかな?との感触を感じるようになり、現在に至ります。

21世紀となった今、インターネットでアマチュアミュージシャンのつぶやき等を見ていると、「気持ちがこもっていれば、ヘタクソでも想いは伝わる」的な表記を散見しますが、オイラ的には、「歌・演奏が上手いことが第一で、気持ち云々は二の次。」という考えです。

ああ、オイラは、モッキンバードが閉店してから33年経過した今なお、モッキンバードの幻影に恐れおののいています。

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▼参考リンク
BLUES和也のSoundCloud
GarageMihoのYouTubeチャンネル旧ブログ「だからPA屋なんですってば」のアーカイヴ
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