小説 小さな日のあたる心 大学編2

社会福祉士か。周りの皆はキラキラ輝いているよな。それは、社会福祉士になりたいというより、学校が遊び場のような空間になっていた。

そりゃあそうだよな。この学校の食堂は狭くて、そこに生徒が集まると、人、人で溢れる。しかしながら、そういう空間があることは、ほっとすると思う。

ほっとするという空間であり、ほっとする顔が並んでいた。

生徒は、タイプや外見関係なく仲良くなっていた。

誰かに会ったらおはよう。誰かが何かしてくれたらありがとう。間違えたらごめんなさいを言う。これは当たり前のことだが、それが妙に感じられるような学校であった。

福祉の学校ということで、福祉のアルバイトやボランティアをしている人もいる。   

そんな人達は、ありがとうやごめんなさい、おはよう以上のことをしようとする。ありがとうやおはようでは物足りないのかもしれない。

それが優しさなのだろうか?

僕は、一緒にいて、一緒に食事を食べてた生徒を見放したことがある。

まさは、動物が好きなやつであった。そして友人はあまりいなかった。そいつと昼飯を食べて、午後の講義を受ける際にまさるは、講義をサボって帰宅することが多かった。

僕は、一緒に講義受けようとか、なんかカッコ悪くて言わなかった。

そんな僕は、講義に遅刻したり、英語の授業をよくサボっていた。福祉の学校についていけなかった。

そんな僕を友人づて聞いたミサという女性はちゃんと講義に出るように言ってきた。

講義をサボって僕が食堂で食事を食べていると、先生が来て、隣に座った。何をするでもなく、食堂のメニューについて話しをした。ここのこのメニューは人気なんやでという話をした。友人と食事を食べないのか聞かれたため、食べないと答えると、そうなんやと笑顔だった。

人に理解してほしいなら、自分が相手を理解する必要がある。

利用者や人が何かで困っている人がいた場合、解決を急いでしまうと思うが、その人にとって、何が問題なのかをまず明らかにしなければならない。

そして、その人の力を信じて関わることが大切だ。その人が良くなると思って関わることが大切だ。

そう信じた時に、利用者の話しの中で雑談やいろいろな話を聞く中で、困っていることを頭で想像して、それを会話の中で組み立てていけば、利用者の姿が浮かび上がってくるんだ。

全てを聞き取る必要はない。少ない情報であっても、その人の人間像はわかるものだ。

それぐらい、他者の少しの言葉からストーリーはわかるものだ。

僕は、おそらく、まさに講義を受けようと言わないで良かったのだと思う。それよりは、僕は講義を受けることやそれをまさに、見せることで、まさが再び講義を受けようと思ったらそれで良い。

それも立派なアプローチだ。先生が食堂で、他者と食事を食べることは、良いものだよと態度で示したように。

ミサは、お節介からおはようやありがとうやごめんなさい以上のことをしようとしただけだ。

優しさを表すがその人の問題で課題であり、学校生活で解決したいと思ったのかもしれない。

偉い先生が、生徒に話を聞かせようと思ったら、偉くないと、馬鹿な部分もあると思わせることが大切だ。

そうすれば生徒は話を聞く。パラドックスだ。

これと同じでミサは、優しいと思わせることで、本当は優しくない部分もある。馬鹿な部分もあると思わせたかったのだろう。

それが優しさだ。

それは、福祉の学校の人にはありがちなこと。