お相撲さん

去る4月28日に大相撲三段目現役力士の響龍さんが亡くなられたというニュースがありました。

お相撲さんが土俵上の事故で無くなるというのは寡聞にして知らないです。
そも、お相撲さんは厳しい稽古の中で、
「股割り」といって体の柔軟性を十分に身につけ、
「ぶつかり稽古」で先輩力士から土俵に繰り返し転がされることで受け身の修練をし、
また、髷を結うことで頭部を打撲から守るなど、
取り組みで致命的な大けがをしないためいろいろな事をしています。
相撲の取り組みで片方が死んだというのは、
大相撲の起源といわれる野見宿禰(のみのすくね)と當麻蹶速(たいまのけはや)の角力
(宿禰が蹶速の腰を踏み折り、蹶速は死んでしまった)というのがありますが、
日本書紀の時代のものですし、今の相撲とは違ったものだったと思われます。
現役のお相撲さんが亡くなる原因というのは、病気、もしくは土俵の外での事故が多いようです。
最近では、三段目の勝武士さんがコロナ肺炎で亡くなられたというのがありました。
わし個人としてよく覚えているのは、
昭和46年、当時絶頂期にあった横綱玉の海が、盲腸の手術後急死したというのがありました。
大相撲解説でおなじみの北の富士さんが当時横綱で、
強い時はめっぽう強いけど弱い時は脆いムラのある北の富士に対して、
二枚腰といわれた強い足腰で憎たらしい程安定した強さの玉の海、
「北玉時代」といわれて期待されていた中での急死だったので、非常にショックだった記憶です。

江戸期の現役力士の急死には、
急性感冒(おそらくインフルエンザ)とか赤痢とか、医療事情が今ほど良くなかったであろうために亡くなった
というのがよくあります。
ほかにも、ふぐの毒にあたったとか、酒の飲みすぎとか飲食が原因というのも目立つようです。

変わった亡くなり方をした力士としては、
文政時代の幕内力士、武蔵野が、大名の息子が土俵で立ち小便したのを殴打したために、手打ちとなったというのがあります。
また、
文久時代の力士、熊川は、大阪北新地で新選組(当時は壬生浪士)との乱闘の末、芹沢鴨に切られて死んだ、と言われています。

響龍さんのご冥福をお祈りします。

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