見出し画像

同性婚は認めちゃだめだと思っている

岸田総理のニュースを目にしたので、そのへんについて思ったことを書きたい。

    岸田文雄首相は1日の衆院予算委で、同性婚の法制化に関し「極めて慎重に検討すべき課題だ」と述べ、否定的な考えを改めて示した。同性カップルに結婚の自由を認めようとしない理由について「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だ」と強調した。
 首相が指摘する家族観や価値観は、日本社会で圧倒的多数を占める異性愛者の、婚姻に関する固定観念を指すとみられる。結婚の自由を願うLGBTなど性的少数者の求めに応じれば、固定観念を重視する層の反発を招きかねないとの認識が透ける。
 質問した立憲民主党の西村智奈美代表代行は「実現を待っている方々の声を過小評価しないでいただきたい」と批判した。

この記事自体は、なんというか、この総理お得意の「何も言ってないのに等しい」感が出ている。そりゃ、同性婚を認めるとしたら従来の家族観が変わるに決まってるでしょっていう。固定観念を重視する層を招きかねないって、そりゃあないよな、と。一生、何も変わりませんやん。

とはいえ、同性婚を反対することにインセンティブはあると思っていて。

結論から話すと、同性婚を届け出た際、それが本当に性的嗜好によるものなのかを判別する手段がないこと、なんですよね。つまり、これ、悪用されませんかね。たとえば、性的対象は異性だけれど、しかしなんとなく煩わしいので同性との生活で十分だ、と思っている人どうしが、籍を入れることで、様々な恩恵を得られるようになります。税の軽減だったり、入院のときの代理手続きだったり。それ、今の世間の流れからして、少子化と未婚率上昇の格好のエサになりませんか? いまって要は、異性と関わるのってリスクだよね、みたいな考えから独り身を選び始めている時代だと思うので、そういう人を助ける制度になるくらいなら、やめた方がいいと思うんですよね。

とはいえ、ここまでの自分の意見に、キモいなと思うところはあって。

まずひとつめに、「本当にそれは性的嗜好なのか」って何だよって思う。この感情は性的なものなのか、みたいなことって、それを口にした時点でなんかキモいですよね。特にこうやって政治的な文脈で語るほど、個人の癖が、政治的にただしい、ただしくない、という枠組みに回収されるような気がして、それってめちゃくちゃ暴力的なことだと思います。それとふたつめに、別に現在の婚姻制度だって、子どもを産む気のない男女の間では悪用されているわけですよね。それを「悪用」というのはいささか乱暴とも思いますが、結婚を法律的に制度で認めるということは、「各家庭の子育てを含めた生活をより潤滑にできるよう手助けしたい」ということでしょう。Aさんと結婚し家庭を築く、ということに公的なお金がおりても、Aさんと友達でいるということに公的なお金はおりません。あなたたちのお金で勝手にやってね、ということになる。それが男女なら認められるのに同性だと認められないのは、間違いなく、歪なことだ、とは思います。

しかし、それでも、ですね。新たに「子孫繁栄に協力的ではない人の抜け道を作ってしまう法律」をつくることは、まだ待った方がいいんじゃないかな、と。もちろん、同性愛者たちが、自分たちにもあたりまえの婚姻制度を認めてほしいと訴えるのはわかりますが、しかし、それはもう、そのような特徴を持ってしまった業として受け取るより他になくないですか?

自分はこのような特徴を持っている。それは自ら選択したものではなく、先天的に与えられていたものだ。どうしようもなかった。だから国からの援助のもと、他人と平等な生活が送れるまでボトムアップされるべきだ。こうした理論は一見すると正しいように見えるのだけれど、でも、それを全員が主張したら地獄になるよ。僕たちは決して、同性が愛するままに一緒にいることに反対したいのではなく、同性が一緒にいるために公的な金を使用することに反対しているんですよね。公的な金を使うからには、全体に何らかの還元があることが前提となるはずじゃないですか。僕にはその還元が見えない。むしろ、ますます「今の代で資産を食いつぶす思想軌範」が蔓延するように思えてならないのですが……。

先人から受け取ってきた資産をどう子孫に還元しようか、といったことベースで話している人が、なんか見つからなくなっちゃったんですよね。Twitterを漁ってたら、たまたま見つかった人がいて、僕はこの人に意見が近いです。

「ポリコレおままごと」というのは、きつい表現ではありながら、蓋し言い得て妙だと思う。同性婚を認めろという人、「僕はどうしても性的な感情に体を動かされてしまって痴漢してしまう」と言う人の刑期、短くできますか? 痴漢しちゃうの生まれつきですって言われて、優しくなれます? 僕が同性婚を認めちゃだめだろうと思う感覚は、それができない感覚に近いんですよ。

もちろん、生まれつきの性質で痴漢しちゃうならどうしようもないし、かわいそうだなって思うけれど、でも、だからと言って痴漢を合法にしちゃだめでしょ。合法ならいいやって思う人が出てくるのは当たり前なんだから。つまり、「痴漢は違法」という決まりは、「それでも痴漢しちゃうやつ」を選別できるふるいの役割を果たしているんですよね。同性婚もこれと同じで、合法化すると、「それでも同性と暮らしたい人々」を選別できなくなる。それって同性愛者が望むことなのでしょうか。僕が生まれつき痴漢しちゃう人だったら、我慢できるくせに女の子のお尻触るやつ、くそウザいですけどね。お前らのせいで俺の苦しみが矮小化されてるんやぞって思う。痴漢が「変態」という枠組みの中で語られる世界に終わりが来なくなる。

もし同性婚が合法化されたら、さすがに政府のことが信用できなくなっちゃいますね。少子化とそれは、どちらかをとるしかないトレードオフの関係ででしょう。もう誰かの機嫌を取ってばかりじゃそのうち破綻するんだから、早いうちにどっちか選ばなきゃだめじゃないの、と思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?