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【治療日記21】病気以外のことを悩むくらい治療は順調だ。

22日は4回目のキイトルーダ点滴の日。
いつものように採血と採尿をして、入院手続きも終えてから1時間ほど結果を待つ。結果が悪ければ入院できない。
でも、最近は体が慣れてきたのか、10mgだと強い副作用がなくなった。高熱も関節痛も高血圧も頭痛もなく、倦怠感とお腹(恥骨)の痛みのみ。比較的元気で食欲もあるので、たぶん大丈夫だろうなと思っていた。

名前を呼ばれて診察室へ入ると、主治医が「どう?」と聞いてくる。
なんだか含みを持った聞き方だったので、何かダメだったのかと不安に思いながら「最近は強い副作用も出ないし、わりと元気なんですよ」と言うと、「そっか、よかった、よかった」と繰り返す。
「え、なんか血液ダメでした?」と聞くと、「ううん。めっちゃいい」と言って、データを見せながら説明してくれた。
「腎臓OK、肝臓OK、炎症もなし、尿もタンパクなし、ヘモグロビンもよし、血小板数は普通減るはずやのに上がってる。好中球数も問題なし」

「わー、よかった~!じゃあ、今日はキイトルーダできますね」
「うん、大丈夫」
喜ぶ私を見て、パソコンをいじったり、書類を整えながら、独り言のように「よかった、よかった、よかった」を10回くらい繰り返す主治医。それを聞くだけで涙が出そうになる。本当にいい先生。
じゃあなんで最初、あんな変な空気だったのかなと不思議に思っていると、
「なんかなぁ~、最初の頃とあまりに違いすぎて、あまりに順調すぎるから、どこかに落とし穴があるんちゃうかと思って、それが心配で」
と冗談ぽく言うので、二人で「あはは」と笑った。
確かに、最初から血圧が190超えたり、高熱が続いたり、食欲不振で寝たきりで、歩くこともできなくなり、つい1か月前は死にかけで緊急入院した人とは思えない。
そのうえ、奇跡のような効果も出ているのだから、先生が不思議がるのも、うまくいきすぎて逆に何か起こるんじゃないかと心配するのもうなずける。
でも、大丈夫だ。何も起こらない。
きっとこのまま順調に治療は続いて、秋ごろには寛解するはずだ。

診察室を出て、そのまま入院病棟へ移動。
毎度の「恐怖の点滴ルートとり」は、今回も研修医に4,5回失敗された。
「もうこの血管しか成功しないんです!」と、最後の砦となっている血管を見せると、「確かにいい血管。ちょっと位置が悪いですけど」と納得してくれて、その血管1本でがんばってくれたのだが、なかなかうまく入らなかった。
結局また「上の者」が来て、なんとか成功。
この最後の砦も今回で穴だらけになってしまったなぁ。手の甲でやることも覚悟しておかないと。

最後の砦の血管
だいぶん刺されました(泣)


毎度のことだが、点滴の前にこのルートとりでぐったりしてしまう。
点滴自体は短いので、1時間もかからず終了。なんということもない。

今回も大部屋だったが、初めて窓側のベッドだったので、空が少し見えたのがうれしかった。「少し」というのは、窓の前は病棟なのでほとんど景色は見えないのだ。それでも明るくて、やっぱり窓があるといいなと思った。
同じ部屋に手術を終えたばかりの人がいて、かなり痛そうだった。何度も看護師さんが出入りしていた。聞こえてきた先生との会話から察するに、卵巣嚢腫かなと思う。
「明日から歩く練習しましょうね」と言われているのを聞き、自分の手術のことを思い出した。当日は痛くて寒くて気が遠くなりそうだったが、1日経つと痛みが楽になって、もうその翌日から歩く練習に入った。
人間の体って不思議。穴開けて、臓器を取り出して、ひどい痛みと闘って、それでも傷は時間と共に癒えていくのだから。

私はいつものようにベッドの上で本を読んで過ごす。
今回は江國香織さんの「去年の雪」。最近またちょこっとだけ江國さんの本を読んでいる。昔(「きらきらひかる」の頃)、何冊か読んだが、どうしてもハマることができない作家さんの一人だった。
でも、友人がとても江國さんが好きで、「そんなに好きな人がいるなら、やっぱり面白いのかな」と思い直し、去年「抱擁、あるいはライスには塩を」を読んだ。これがすごくよかった。
それでまたぽつぽつと読むようになったのだが、「去年の雪」は、なんというのか、説明すら難しい本だ。ほぼ読み終わったが、9割読んでもまだこの本の意図するところがわからない。少なくとも入院中に読むタイプの本ではないなと後悔した。

機械のピコーンピコーンという大きな音や看護師さんの出入りで、夜はあまり眠れなかった。最近はもうリスミー(睡眠導入剤)が効かない。入院中に来てくれた薬剤師さんに聞いたら、「だんだん体がなれてきて、そうなる人もいますね」とのこと。解決策はなさそうだ。

今朝、夫が迎えに来てくれて、退院。
帰りにクリーニング店とスーパーに寄ったら、お腹が痛くてしんどくてたまらなかった。まっすぐ家に帰るべきだった。
帰って横になったが、修正のやりとりがあるWEBの仕事が残っていたので、薬を飲んで午後から少し仕事もした。
なかなか記事を気に入ってもらえず、少し落ち込む。
27年もライターをやっているのに、まだ自分の文章を気に入ってもらえないとこんなに傷つくんだな、と思う。いや、27年もやってるからか?
何年やっても仕事って、ゴールなんてないんだな。逆に、まだ私にも伸びしろはあるってことなのか?

仕事を休業していることもあり、今年に入ってから圧倒的に「文章を書く量」が減った。書きたいのに体が動かないことも多く、そんな日の夜は頭の中でずっと文章を書いている。だから眠れない。
もっと吐き出さないと。もっと、もっとだ。
読むこと、書くことを続けないと、自分の感情と言葉が乖離してしまう。そうなると、いざ書こうと思っても、うまく気持ちを表現できないのだ。

20代の私も50代の私も、元気な時の私も病気の時の私も、結局は同じ。
考えているのはいつも「書くこと」ばかりだ。




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