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とりあえず「やってみること」で見えてきた

昨日はここ数ヶ月の中で特別な日だった。
前日に休薬したこともあり、朝から体調がよかったので、「今日を逃してはならぬ」と思い、パソコンに向かって創作大賞の記事を書き始めた。
途中で何度か休憩を挟んだが、午前中から夜9時過ぎるまで集中して書くことができた。
夫が「めっちゃ集中してたなー。昔のかおりみたい。俺がドア開けて見てたのも気づいてなかった?」と聞いてきた。
私は書くことに集中すると、まわりの音や動きが一切入ってこないほど自分の世界に入り込む。集中が切れると、しばらくぼんやりする。夢うつつ、という感じで、別の世界に迷い込んだような気持ちになるのだ。書いている世界から、現実に引き戻されるまで時間が少しかかる。

30歳前後の全盛期は、信じられないかもしれないが、こんなことが36時間くらいできた。時々うたたねして、時々何か物を口に入れて。ずっとパソコンの前から離れなかったこともあった。
もちろん今はもうあんなことはできないが、副作用の痛みやしんどさに心を乱されることなく長時間集中できたことが久しぶりで、懐かしい感覚を楽しんでいた。とても幸せな日で、夫もそんな私を見て喜んでいた。

今年は創作大賞にエッセイを出してみようと考え、少し前にnoteにもその決意を書いておいた。(そうしないと口だけで終わりそうだったので)
その時も書いたが、まったくゼロから新しいものを書くのではなく、過去の記事を2、3本ベースにして追記・編集し直して、一つの作品にするというやり方をとることにした。

昨日書いたのも、2つの記事をベースにして、一つの大きなテーマでくくり、追記しながら編集していった。
普段は3000文字前後で書くことが多いのだが、エッセイ部門は「1万字まで」という規定があるので、膨らませて1万字に近づけたほうがいいのかなと思っていた。結果的に9千字超の長いエッセイができあがった。

やってみて思ったのだが、「9千字は長いっ!」
書くのも大変だったが、それ以上に「こんな長い文章を誰が読むんだろう」と冷静に思った。おそらくだが、いつもは私の記事を楽しみに読んでくださっていても、今回は途中でやめてしまった人もいるのではないだろうか。
小説と違って、長いエッセイを最後まで読んでもらうというのは、とてもハードルの高いことだと気づいた。
それでも、コメントをいくつかいただき、最後まで頑張って読んでくださった人も数人はいるのだなとわかり、頭が下がる。(本当にありがとうございます!)

頑張って書いたし、書く時間はとても楽しく幸せだったが、こんなものでは応募してもひっかかりもしないな、というのは自分でわかった。
長さのことだけでなく、いろいろと反省点が見つかった。でもそれもやってみないことにはわからなかったことだから、書いてみて本当によかったと思う。何事も経験。「やってみること」は大事だ。

あと数本、締切まで時間がある限り、創作大賞用の記事を書きたいと思っているが、次からはちょっと書き方を変えてみようと思う。
自分で「これ好きだなー」と思っている過去記事が何本かあるので、それは生かしたい。でも、昨日みたいに2、3本の記事をベースにするのではなく、1本の記事を膨らましたり、新しく書いた記事の中に過去の記事の要素を取り入れたりする形で、5千字くらいに仕上げたい。
こうやって反省点が見つかったこと、次に生かせそうなことは、大きな収穫だ。

「プロなのに?」と思う人もいるかもしれないが、情けないことに、私は今でも「もっと上手く書けるようになりたい」と思っている。
端的に言えば、才能がほしい。
上手い人の文章を読むと、心からうらやましく思う。
はー、私もこんなふうに書けたらいいのになぁと思う。
これまで何度も「書く才能を与えてくれるなら、悪魔に魂を売り渡してもいい」と思ったこともある。

でも、文章力はここらへんが天井だとしても、心や感性はまだ果てがわからない。だから、ちゃんといろんなものを見て感じたい。考えたい。楽しいでもうれしいでも、悲しいでも辛いでもいい。それを感じることを怠けてはいけない。いちいちしっかりと自分の中で噛みしめる。
そうしていれば、私の中の「書きたい」という情熱が、感じたことをカタチにしてくれるような気がするのだ。

とりあえず、次の作品もがんばって書こう。
いつかまた小説も書ける日が来ればいいけれど、まずはエッセイから。

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