見出し画像

歳をとっても、よく食べる人たち

若い頃、母親や年上の人から「歳をとるとこうなるのよ」と言われながらも、「ほんまかいな?」と思っていたことがいくつかある。
でも、自分がアラフィフと呼ばれる年齢になった頃から、「あれはほんまのことやった」と納得するようになった。

例えば、「歳をとると、病気や健康の話題が多くなる」。
確かに、いつからか友達と会うと「最近、ここが調子悪い」とか「老眼がひどくて……」とか「検査でひっかかった」とか、そういう話題が頻繁に出るようになった。私がガンなんて病気になったものだから、みんな会うと状況を聞いてくるし、余計に病気の話題が長くなる。気がつくと1時間くらい病気の話題で盛り上がっていることもあり、これはあまり良くないことだなぁと反省している。
だからか、私は若い人と話すのが好きだ。特に恋愛の話など大好物で、聞いているだけでうれしくなってしまう。30代の女性カメラマンさんと取材をご一緒した時、移動中に「彼氏と別れようか悩んでて……」みたいな話をされた時は、もう興奮して夢中になって聞いていた。
いやぁ、いいよなぁ、コイバナは!なんだかこちらまで気持ちが若くなる。

話がそれたが、「歳をとると、自分の年齢がわからなくなる」というのもようやく納得できるようになった。
これこそ「嘘やん!」と言いたくなるような話だし、実際私もそう思っていたが、40代後半くらいから「これもほんまやったな」と思うようになった。
と言っても、自分を30代と勘違いするとか、本気で年齢がわからなくなっているわけではない(そうなったらヤバイ)。ただ、急に年齢を聞かれた時に、「あれ?今47?48?」「え?今年51やったっけ?52?」みたいに、微妙にわからなくなることが増えたのは確かだ。これって、45歳くらいまではなかったことだよな、と思う。

それから、「50歳を超えると、親の病気や介護の話題が増える」というのも本当だった。「この間、母が倒れて……」「父が認知症っぽくて……」など、私のまわりではまだ「介護」まではいかないが、「親が弱ってきた」レベルの話がちらほらと出るようになった。これも誰もがいつかは通る道というか、仕方のないことなのだろうと思う。

ただ、これに関しては、うちの両親だけは真逆なのだ。「弱ってきた」どころか、最近は「あんなによく食べる人たち見たことない」という話を友達にして驚かれている。
もともと我が家は超グルメの食いしん坊姉を筆頭に、とにかくよく食べる人たちだった。

▼姉の食への欲望についてはこちらにも書いた。

私と夫は年に2回ほど、うちの両親を連れて、4人で「ちょっといいもの」を食べに行く食事会を開いている。
うちの両親くらいの年齢(父・86歳、母・79歳)だと、子どもにお金を出してもらうことを嫌がる人たちも多いと聞くが、うちの両親はまったく遠慮がなく、「行く!」「欲しい!」「食べる!」と何でもウェルカムの人たちなのだ。食事会の後に来るLINEも「今日はご馳走さま。またよろしく!」である。

しかし、この食事会もコロナのために3年ほど中止になっていた。一度だけコロナ禍でも行くことになり、行きたい店のリクエストを聞いたら、母に京都の「近又」と言われた。
江戸時代創業の老舗である。高級料亭である。
そういうことを遠慮なくリクエストできる人たちなのだ。もちろんうちの優しいスポンサー(夫)が「たまにはいいやん」と、連れていってくれたし、まあ、私も一度は行ってみたかったので、結果的にはよかったのだが……。
やはりこの日も「またよろしく!」のLINEが来た。

そして、昨年秋、久しぶりに食事会をすることになった。「近又」以来だった。どこに行きたいか聞くと、父が「嵐山の廣川」と言う。「廣川」もまた有名な予約必須の鰻の店だ。
うちの両親はいつ聞いてもすぐに「ここに行きたい」と返ってくる。遠慮がないだけでなく、この歳になっても常にそういう欲望を持って生きているんだなと思うと、たくましさを感じる。

またスポンサーに話すと、「いいやん。お義父さんにおいしい鰻を食べさせてあげよう」と、自ら予約までしてくれた。それも「プラス2000円」の個室を!!ありがたいことだ。
当日はスポンサーが車を出してくれて、秋の観光客であふれて走りにくい嵐山を運転してくれた。渡月橋を車で渡ったのは生まれて初めて。見慣れた風景がどこか違って見えるのが不思議だった。

「廣川」に着くと、2階の個室へ案内された。広くて落ち着いた部屋で、両親もなんだか気分良さそうに座っている。
メニューを見ると、「うな重」「上うな重」「特上うな重」とある。「上うな重」でも鰻が1匹分入っているというので、4人とも「上うな重」にした。「特上」は鰻の質が上がるわけではなく、さらに量が増えるとのこと。
いつも家で食べる時は、1匹を半分ずつにしているので、1匹丸々食べられることに軽く興奮した。私は鰻が大好物なのだ。

それぞれ「赤だし」や「お吸い物」も付け、せっかくなので、メニューの一品料理にあった「鯉の洗い」や「きも焼き」「うなぎ湯葉巻き」も1人前ずつ注文し、4人でシェアした。先にそれらが運ばれてきて、少しずつ味見したが、どれもおいしい。これはうな重にも期待が高まる!

うな重が運ばれてきて、蓋を開けると、ふっくら・てりてりの鰻が現れた。食べてみると、やわらかくておいしい!

この日は鹿児島産の鰻


「おいしいねぇ」と互いに言いながら食べ進めていたが、なぜか父だけは黙っている。「あら、期待ほどじゃなかったのかな」と心配になったが、その逆で、あまりのおいしさに、食べるのに夢中になっていたようだ。食べ終えてから「今まで食べた鰻の中で一番おいしかった」と言った。

私もおいしかったのだが、今の私には鰻1匹は量が多く、最後まで食べきるのが大変だった。なんとか食べきったものの、「あー、お腹苦しい……」と、もう何も入らない状態。それなのに、高齢の両親はぺろっとたいらげ、涼しい顔をしている。
この間の姉夫婦を連れて行ったキャンプでも思ったが、同じものを食べると、いかにこの人たちが大食漢かということがわかる。

しかし、両親がよく食べる人たちだということをまざまざと実感したのは、この後だった。今、うな重を食べたばかりだというのに、「この後、中村軒にぜんざい食べに行こうか」と言うのだ。「ぜ、ぜんざい?!」耳を疑った。
中村軒」とは、これまた明治時代創業の老舗和菓子屋だ。桂離宮のそばにあり、名物は「麦代餅(むぎてもち)」。茶店も併設されているので、買うだけでなく、ぜんざいやかき氷などを食べることもできる。
「えー、もうお腹いっぱいよ~」と言うと、「じゃあ、中で食べるのはやめるけど、和菓子だけ買いたい」とのこと。「廣川」からは車で20分程度で、帰る方向なので、まあそれならいいよ、と寄ることになった。

少し離れたところにある駐車場に車を停め、いざ店の前に来てみると、両親はどうやら茶店に入りたい様子。あんたらマジか!と思ったが、私だけお茶にして、食べたい人だけ食べればいいかなと思い、「入ろうか?」と言うと喜んで店の奥へと進んでいった。

メニューを見ると、コーヒーゼリーがあったので、これなら入るかなと思い、私はそれを注文。父もコーヒーゼリーにした。
驚くことに、母は「ぜんざい」を注文。「嘘やろ~、まだ食べれんの?」と言ったが、「うん。やっぱり食べたいわ~」と曲げない。夫まで母の勢いにつられて「俺もぜんざい」と言う。(ちなみに夫も大食いだ)
そして、お餅が2個も入ったぜんざいが運ばれてくると、母はあっという間にそれをたいらげた。苦しいのを無理やり食べている様子はなく、「前はもっと大きなお椀だったような気がする……」とまで言っている。(母はもっと大きいのを食べるつもりだったようだ)

またお腹を抱えてふうふう言っているのは私だけで、みんなけろっとしていた。茶店を出ると、母はさらに「麦代餅」をテイクアウトし、「おやつにどうぞ」と言って私たちにもくれた。
いや、もう何も入らないってば……。

その後は実家まで二人を送り、私たちも家へ帰った。帰ると、父からいつものLINE。鰻がおいしかったこと、感謝の言葉。そして「またよろしく」。
本当によく食べる人たちだということを、久しぶりに実感した日だった。
しかし、両親がこの年齢になってもよく食べて元気だということは、ありがたいことだなぁとも思う。
いつまでこんな状態が続くのかはわからないが、食べたいものがある限り、いろんなところへ連れていってあげたい。
ああそうだ、誰よりスポンサーに感謝!

この記事が参加している募集

おいしいお店

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?