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「初任給で買いました!」

私には3つ年上の姉がいる。姉には娘が一人いる。つまり、私にとって唯一血のつながりがある姪っ子ということになる。

この姪のHinaが産まれたとき、私はうれしくて仕方がなかった。可愛くて可愛くて、事あるごとにブランド物の洋服やおもちゃなどをプレゼントした。姉から写真をもらい、写真立てに入れて一人暮らしの家に大切に飾っていたくらいだ。

Hinaは絵や工作などものづくりが好きな子だった。作文も上手だった。
姉は私と正反対で、数学と化学が得意という超理数系の人だったので、文章が上手に書けるHinaが、なんだか自分に似ているようで、それも密かにうれしく思っていた。

私は姉と仲が悪いわけではないが、あまりにも考え方や生き方が違ったため、あえて時間を共に過ごそうとすることはなかった。実家も出ていたので、会うのは実家で年に1、2回。それこそ盆と正月、くらいだった。

当然、Hinaと会う回数もそれくらいだったが、Hinaは私になついていて、小学生の頃はよく遊びに付き合った。姉はHinaの相手を私に任せて自由な時間を持てることに満足しているようだった。
けれど、彼女が小学4年生の時、私は結婚し、今度はHinaの相手を私の夫がするようになった。ラクになったが、それはHinaを取られたようで、少しだけ寂しくもあった。

彼女が小6になる時、姉のダンナさんが転勤になり、3年間ファミリーでシンガポールに行ってしまった。海外で暮らすことを夢見ていた姉は大喜びだったし、子どもの頃から英語を習い、何度か海外旅行も経験して、外国に興味があったHinaも喜んでいるように見えた。
向こうでは日本人がほぼいないスクールで、全教科を英語で授業を受けなければならなかったので、最初はかなり苦労しただろうと想像する。
一度私と夫もシンガポールの家に遊びに行ったが、その時にはもう英語はペラペラで、ある飲食店で私たちを観光客だと思い値段を高くふっかけられそうになった時もHinaが堪能な英語で相手をやり込めてくれ、なんてたくましくなったんだろうかと感動したことを覚えている。

日本に戻ってからも、中高と帰国子女ばかりが通う私立の学校で、卒業するまでずっと英語だけで授業を受けてきた。
そのためIB(国際バカロレア)を活用した大学入試を受け、見事、東京の志望大学へ合格。卒業までの間に1年間、オーストラリアのメルボルン大学へも留学している。
こうやって書いてみると、自分の姪とは思えないほどハイスペックの経歴だ。
会うと「いつまでも子供だなぁ」と思うことのほうが多かったが、それでもいろんな環境で過ごしながら成長していく彼女をたのもしく思っていた。(英語ペラペラも本当に羨ましかった!)

そして彼女は今春、志望していた広告代理店に入社した。
会うことも少ないし、正直に言えば、可愛い姪っ子とはいえ、大人になってからは子どもの頃のように無条件で愛情を注いでいたわけではない。
それでも、今度は「大人同士」として就職活動を応援していたし、心から幸せになってほしいといつも願っていた。
それは私の夫も同じで、夫は広告の制作会社に勤めているため、就職活動の時は何度も相談にのってあげていた。だから、内定をもらったと聞いた時は、2人で大喜びした。

LINEでお祝いを伝えると、思いがけずこんな返信があった。
「ちゃんと2人には伝えたことがなかったかもしれないけど、私にとって2人は憧れの夫婦です。お互いが好きなことを仕事にしてて、趣味を共有したり、お祝い事とかもいつも素敵で。そんな大人になりたいって、実はずっと思ってます。2人みたいにやりがいを持ってお仕事できる社会人になれるようにがんばります!いつもありがとう!」

涙が出た。ああ、本当に大人になったんだなぁと思った。
夫にも見せて、2人でじんわりした。
「憧れの夫婦」
彼女の眼にはそんなふうに映っていたのかと思うと、自分たちの生き方を肯定されたような気持ちになれた。
10歳も年下の夫で、子どももいないし、私は病気まで抱える始末。見る人によっては、決して幸福には見えないだろう。
でも、「憧れの夫婦」という言葉を読んだ時、私たちは私たちでいいのだと、心からそう思えた。元気な子供たちとバタバタ忙しく暮らすような家族を羨ましく思うこともあったけれど。

それから先月のこと、急にHinaから小包が届いた。
なんだろうかと不思議に思い、開けてみると、それは酒器のセットだった。

作:器デザイナー・田中恒子
(どうしても徳利に光が写り込んでしまう……)

一緒に入っていた手紙には、これまでのお礼が書かれてあり、最後に「初任給で買いました」とあった。
夫と2人で涙を浮かべながら、「うれしいねぇ」と手を取り合った。
「初任給でプレゼント」なんて、子どものいない自分には、そんな機会が訪れることなどないと思っていたから。なんだか夢みたいだった。

酒器も素敵だった。一見、黒に見えるけれど、光の加減で、深い青や白、茶色などが現れる。艶やかなのにクールで、飲み口の滑らかな器だった。
お酒好きな私たちのために、デパートかどこかでいろいろ探してくれたんだろうなと思うと、それだけできゅんとなった。
もちろん翌日から大切に使わせてもらっている。私たちの宝物だ。

Hinaと次に会うのは、年末だろうか。社会人一年目としてどんなふうに働いているのか、今度は「社会人同士」としての話を聞けることが楽しみだ。

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ちなみに、Hinaが初孫であり、唯一の孫であるため、私の父(Hinaのじいちゃん)はHinaにベタ惚れだ。赤ちゃんの時から、大人になった今も。
父は今年86歳になるが、まだまだ元気で、「Hinaの結婚を見るまでは死ねない」と言っている。きっと結婚したら今度は「Hinaの子供を抱くまでは死ねない」と言い出すのだろうが。


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