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「結末を先に知りたい」派、である。

昨夜はドラマ「ハヤブサ消防団」の続きが気になって、2時間近く寝付けなかった。

私は小説でもドラマでも映画でも、とにかく「早く結末を知りたい」人間である。なんならネタバレOK。むしろ教えて!という感じだ。
きっとこれは変わっているというか、少数派ではないかと思っているのだが、どうだろう。

たとえばドラマでいえば、10年近く前になるが、湊かなえさん原作の「Nのために」や「夜行観覧車」などを見ていたときも、第1回目を見ただけで先が気になってどうしても我慢ができなくなり、翌日には原作本を購入して一気に読んでしまった。
結末はもうわかったのだが、じゃあそれでもうドラマはいいや、となるかといえば、そうではない。結末がわかったうえでホッとしてドラマは見続けるのだ。
恋愛やヒューマンドラマなら特に結末を知る必要はないのでそんなことはしないが、ミステリーや推理要素があるものはダメ。結末を知らないと安心して眠ることもできなくなる。

「結末知っちゃったら面白くないやん!」と言われるし、そこに反論の余地はない。ごもっとも!としか言いようがない。それでも感情移入力(そんな力があるとしたら)が人一倍強く、ドキドキ・ハラハラに耐えられない自分にとっては、そのほうが楽なのだ。年齢を重ねるごとにこの傾向は強くなっていて、最近はもうドキドキ・ハラハラがしんどくて仕方がない。大げさでなく、寿命が縮まるし!と思う。

ドキドキ・ハラハラものに関わらず、昔からとにかく何でも一気読みしなければ気が済まない性質だった。夫にも「かおりって、途中でおいておくって、できへんよな~」と言われる。小説でも漫画でもできる限り一気読みしたい。だから長編の場合は本当に大変だ。「続きを我慢する」ということができないのである。もちろん、終始穏やか~な日常で、特別なことが起こらないような小説なら、少しずつ読むということもできるのだが。

こんな私なので非常に韓国ドラマを恐れている。
2、3年前に「愛の不時着」や「梨泰院クラス」などが大流行りしたとき、夫が最初にNetflixで「愛の不時着」を見始めた。寝る直前まで見ていて、朝起きるとほんの少しの隙間時間にもまだ見ようとする。
「そんなに面白いの?」と聞くと、「めっちゃ面白い。やめられん」と言う。「かおりも一緒に見てほしい」と頼まれたが、その時はちょうど冬場で酒造りシーズン。取材の仕事が立て込んでいたので、これは一度見るとエライことになるに違いないと判断し、「春になったらね」と言って1話も決して見ないようにしていた。
春になって少し時間ができ、ようやく1話を見て、あの時の判断は正しかったと知る。それから寝ても覚めても「愛の不時着」の生活になったからだ。例の性質ゆえ、とにかく詰めて詰めて、1日に何時間も見るはめになった。
その後、「梨泰院クラス」や「トッケビ」「ロマンスは別冊付録」などを見たが、やはり続きを我慢することができない。どんどん仕事が遅れていく。ああ、もう私には韓国ドラマは無理だと悟った。
今は他に何もできなくなるのが恐ろしいので、まったく見ないようにしている。1話見たら終わりだ。手を出してはいけないと言い聞かせている。

さて、冒頭に書いた「ハヤブサ消防団」。
ドラマ用に書かれた脚本で原作がないなら1話ずつ見ていくしか仕方がないが、これ、原作あるんだよなぁ……。それもあの池井戸潤さん。「半沢直樹」や「下町ロケット」「陸王」など、ドラマ化されたものははずれなし。そりゃ、今回も面白いわけだ。
続きが知りたい。結末を読みたい!
昨晩からずっとこの想いに支配されている。
でも、今回は我慢して、せっかく6話まで見たのだ。今更、原作に手を出すのもどうなのよ?と制止する冷静な自分もいる。

は~、気になる。
今にもAmazonでポチっとやってしまいそうな自分と闘っている。

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