あたくしとおぢさま

「おぢさま、おぢさま!!どこにいらっしゃるの??」
「あ、君か。また騒々しいな、私はここだよ。」
「ふぅ、また寝てらしたのね。あら、なにか臭うわね。心気臭い年寄りが寝てばかりでは、ますます気鬱が激しくなるわよ。あたくしまで気が滅入るわ。」
「またそんな来て早々、どうして君はその口で憎まれ口ばかりきくのかな。」
「だっておぢさま…ごめんなさい。でも、だって、おぢさま、疲れちゃったの。」
「嫌味もそうだが、口を開けば君は疲れた疲れたって、まずは服を全部脱いで池でトリートメントしてきなさい。尾びれも塗装がはげかかっているじゃないか。」
「えーでも疲れちゃったし、寝たいのに。でもそうね、せっかくおぢさまのところへ来たんですもの。まずは泳いでこないと、またどうせ池の中はメダカでいっぱいなんでしょう?追い回して突いてくるわ。」
「それがいい、君は金魚なのだから。」

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「おぢさま、あたくし少しだけすっきりしたわ。」
「それはよかった。」
「ねぇ、そちらへいってもいい?」
「もちろんだとも、きなさい。いつもこうしていたじゃないか。」
「しっかり抱きしめてくださる?あたくしがひくひくしたり跳ねて飛び回っても嫌がらない?」
「どうした?君が三歳の金魚の頃から、私の瞼の上を泳いだり、腹の上でピチャピチャ跳ねたりしては私を笑わせてきたじゃないか。」
「ええ、でもおぢさまは一か月五萬円で愛人になってもいいといったあたくしの誘いを断ったのよ。」
「いやだって、君は金魚なのだよ。」

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「しかし、君はお腹周りはだいぶ貫禄がでてきたが、いやらしい身体の金魚だな。」
「もうそればっかりね。おぢさま、それはあたくしの身体がいやらしいのでなくて、おぢさまがやらしい目でみるから、やらしい身体にみえるのよ。」
「君も大人の金魚なんだから、もう少し年寄りに寛大になりなさい。じゃないと握ってあげないよ。」
「えーそれは困るわ。ええ、私は性根も身体もやらしい女なの。」
「違うだろう、どうしてそう何度も言わせたいのかな、君は金魚なのだから。」

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「おぢさま。」
「んむ?寝てたのではないのかい?」
「ううん、おぢさまのあばらの中でおとなしくしていただけ。おぢさま、聞いてくださる?あたくし、しばらく現をぬかしていたの。」
「どうりで最近浮かぬ顔してたわけだな。話すと楽になることもある、おぢさまに話してみなさい。」
「おぢさま、年増の金魚の恋はつらいわ。若い頃の恋は、何もかも輝いて風に揺れるアンジェラの花の片も私の恋に微笑み、密を集める蜂たちも私の恋を祝福してくれたものよ。」
「それは君、少し違うよ。しょせん、恋にうつつをぬかす時は人は誰しも錯乱状態なのだから。誰も微笑まないし誰も祝福はしない、それは君が微笑み祝福していただけの幻想なのだよ。」
「違うわ、それは違うのよ、おぢさま。年増の恋はおいそれと身を焦がすわけにはいかないの。この尾びれの自尊心にかけて、そんな簡単に間男の手管に溺れてはいけないの。だからとてもとてもあたくし憂鬱なの。」
「君も妙なことばかりぬかす金魚だな。だいいち焼き魚のように焦げたり、溺れたりはないだろう。君は金魚なのだから。」

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「そうね、そうね。もういいわ。手練手管なら年の功ゆえ、あたくしのほうが上だわ。この色道の地獄だって、年の功ゆえすべて気持ちよく抱かれてやろうじゃないの。」
「素晴らしいじゃないか、色道の底なしの地獄だなんて。おもっきりその色の水に溺れてきなさい。」
「ええ、そうするわ、おぢさま。でも、おぢさま痩せたわね。この間、ここに来た時は骨と皮だったのに、今は骨にわずかばかりの肉が残っているだけね。」
「そりゃそうさ、三歳だった金魚の君が更年期金魚になるんだから、老人だった私が骨になっているのは当然のことなのだよ。」
「悲しいわ、おぢさま。悲しいわ、でもいいの。次来る時は、あたくしもおぢさまの腰の骨のあたりで眠りにつくわ。もうひれへの塗装も必要のない世界へ泳ぎだす時、本当に自由になれるのね。」
「そうだとも、安心して家路へと急ぎなさい。私はいつまでもその時のを待っているから。」
「本当に?もう一度いってくださる?何度も何度もあたくしがボケて忘れないように。」
「もちろんだとも、君は私の金魚なのだから。」

2014/8/18

またしても恐れ多くも室生犀星『蜜のあはれ』へのオマージュ。だいぶ前にテキストに起こしたもので、それはこっぱずかしいほど文章も稚拙なのですが、とても楽しんで書いた記憶だけは今も色褪せることがございません(笑)




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