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思いついたことを言葉にしてみる #07 萌えるゴミ

先の外科手術を機に、タバコを吸っていないことがひと月以上続いている。振り返れば四十年近くの日常習慣であったが、いつからか本心はタバコをやめるきっかけが欲しかったのではないかと思えてならない。たび重なる価格の上昇と、喫煙者に優しくない方へひた走る社会情勢の変化に密かに厭気を育ちつつあった。

続けていた嗜好の数々。いつしかそのときめきは色褪せ、義務化し、もう好きでもないのに続けていることに気付きもせずに続けている奇妙なループ。喫煙という嗜好にはどうもそんな正体が見えてしまった。好きなことを棚卸してみたら、案外止めれることばかりかも。もしそうならそれは複雑な心持ちになるだろう。

タバコを吸うこと自体が日常でも独立した行為であり、「ながら」の要素がまことに薄いことに気づいた。喫煙ができる場所へ移動して、一服してからまた元の場所へ戻る、この時間が中途半端な長さで、穴埋め的に代替することもなく、ぼんやりした浪費をしている。こんな風に、費やしていた時間やお金が中断することによってそのまま浮く、とはいかないようだ。これは惜しむべきか。いやいや人の命は有限である。欲張りの季節はもう過ぎた。

年齢を重ねて、悪くないと感じることのひとつに運命に従順なフリができること。たとえば「惜しい」と感じる機会を逸しても、それは「ご縁がなかった」と、素直に心持ちも消化している。それはいままで生きてきた中で、自身の能力ではどうすることもできないことを何度も経験したから、心のわずらいを最小限に食い止めるべく本能が勝手に働き出すようになったのかと。

自分にないものを発見して、それを得ようとする努力は、手段にもよるが、尊いことだと思う。ただそれもちょうど良い限度の中でならの話。欲望はある時、際限なく突っ走る傾向が私にはあって、ゼロサムではなく、増殖しては、最後にすべてを失うことでしか終息できないことがあったりして、思い出すだけでもなんか苦しい。

こんなふうに、思いつくことをそのまま言葉にしてみて、なんとも脈絡のない活字の羅列になってしまった。正否を差し置いても、言葉にしなければ消えてしまう私の思いを形にしてみて、推敲している今がすごく楽しい。タバコをやめたことがゴールと思っていたのだが、実は新たな入り口であるかも知れないことの希望のタネ。

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