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思いついたことを言葉にしてみる#03 記憶のゆくえ
物忘れが多くなったと思う。日常生活で、いきなり気付いてしまう忘れ物に焦ったり、会話している相手の名前が出てこない、なんてしばしば。
ただ、ここでいう「物忘れ」してしまう記憶のたぐいは、私の経験上、たいしたものでない。その時、そこになくても、思い出せなくても、なんとかなっているものばかり。私の「物忘れ」が原因で、重大な結果を招いたことは記憶にない。もしかして、重大な結果自体も忘れているのかも。これも「物忘れ」の部類か?。なんとももどかしい心持ちになる。
脳内の記憶というのは、記録や消去が自在でないこと、これももどかしい。すっかり忘れてしまったり、いきなり思い出したり、忘れたいのに忘れられなかったり、素人考えでは、記憶のメカニズムに法則性はないとしか考えられない。
ただ、考えを深めていると、これは生きていく上で遭遇する情報量は膨大なものであるから、五感を通じて得た記憶は印象深いことから順次記憶され、それ以外はほとんどスルーされているのかしら。記憶されなかった事象はもう存在しないのか。そうではないだろう、と思いつく。
印象深いことのみ記憶されて、あとはスルーしているのであれば、年齢を重ねても、人格的に薄っぺらい感じがしてならない。記憶にもならず、気にも留めなかったことですら、その中のいくつかは意思に関係なく自分の身体で骨肉化している、と考えた方が自然だ。赤ん坊が成長とともに言葉を話すようなものかしら。乳児の頃の記憶なんてないもの。
たまたま仕事先の休憩で見かけたマルボロカラーのマクラーレンホンダ、そしてセナの笑顔。一瞥でこのクルマのヒストリーが、長い年月の間、一度も思い出すことはなくてもまこと鮮やかに浮かび上がる。偶然にも記憶のメカニズムを垣間見た感じ。手放しでうれしい。
安心して忘れなさい。記憶のゆくえは頭のどこかにあるから(笑)。
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