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BAYCAMPが、すごかった。

2021年05月22日
新木場USEN STUDIO COASTにてBAYCAMPが開催されました。

もちろん感染対策はちゃんとして&されてて、ルールを守って観てきました。

今回は別にライブレポを書きたいわけじゃないんです。

実は今回のBAYCAMP、

照明がすばらしかったんです。

ライブの照明っていうと、盛り上がる曲ではチカチカいろんな色で光って、バラードになると一変してアーティストを一粒の光が照らす。まあそんな感じですよね。

ただ今回のBAYCAMPは違ったんです。
全アーティストの一曲一曲の世界が、イメージが、そのまま色と光になってステージを包んでいて。色のチョイス、輝くリズム、全てがその瞬間の一曲にフィットしていて、鳴ってる音・アーティスト・ステージが溶け込んでひとつの世界を形作っていくような、そんな感覚に観ていてなりました。

「音楽を観る。」って、こういうことなのかもしれないって思いました。


また、特にこの感覚をバシバシ感じさせてくれたのがドミコと羊文学。

私思うんですけど、アーティストによって「この人はライブで聴く方が好き」「この人は音源で聴く方がグッとくる」みたいなのって、少なからずありませんか?
もちろんどっちかが嫌とかじゃなくて、好みとはまた別軸で“自分という人間の心にどっちの方がフィットするか”という違いです。

私的にドミコは、音源で聴くより、ライブで“ドミコの音楽を浴びたい”っていう感覚があります。(色々考え尽くした結果、浴びたいって言葉が一番フィットしました)
ドミコはロックンロールっていう軸から時にサイケに、時にヒップホップに外していくところにクールさを感じるんだけど、その外しって実際に浴びたときにやっと昇華されてくような気がするんです。これがドミコの洗脳力だと思う。
ほら、宗教だって、その思考を文面で読むだけじゃ正直なんとも思わないじゃん?世界として体で実感できたときに、はじめて人間はそのトリコになると思うんです(知らないけど)。それがドミコの音楽を観る感覚。ぐるぐるちかちか。思わず目をつぶりたくなるくらい狂った光に踊らされたドミコの音楽たち、最高でした。

それから羊文学。羊文学は私の中で、音源とライブは全く別のアーティストっていう感覚があります。この感覚は、羊文学で初めて知りました。羊文学は、メロディはもちろん、アートワークや衣装、メンバー自身からも、おとぎ話みたいなイメージが浮かびます。早朝の靄がかかった暗い森林の中で丸太にぽつんと座って聴いてるような、そんな感じ。でも繰り返しよくよく聴いてると、ギターのサウンドや歌詞は、とにかくむき出しで。手ぶらで、裸で、かなうはずない運命ってやつと戦っているような感じがして。音源で聴くと前者が、ライブを観ると後者が、よりビシビシと体に響く気がします。暗いステージで強くて青い光に灯された羊文学の音楽たち、最高でした。

ステージを「作る」とはよく言ったもので
音と光で作る夢と現実の隙間のような、非日常的な日常をBAYCAMPは見せてくれました。

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