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スクロールの魔力

「画面ばかり見て、スクロールするだけの毎日でいいの?」
先日、とある会話ではっとさせられたこと。
スマホと共に生きる現代人、隙間時間があればSNSをスクロールしている。
わたしもそう。夜ご飯を食べて、束の間のお茶時間の片手は大体スクロール。
小さな画面の世界に、気づいたら入り込んでいる。
毎日忙しなく生きているのに、手と目は24時間営業をしているではないか!
この生活が当たり前になってしまっていたけど、冒頭の一言でわたしは目が覚めた。

スマホは本来は「携帯電話」であり、あくまでも持ち歩くためのサブ機である。
なのに、家にいてもこのサブ機の手軽さゆえに、この機械が心臓となり、共に過ごしていた。冒頭の会話の中で、「家にいる時はせめてパソコンを使おうよ」という話になった。
画面を見るという動作はスマホと同じだが、パソコンはキーボードやマウスなどで、スクロールという操作がないこと、また画面が大きい分、現実の世界も視野に入り込むため没頭しにくいのでは?そしてキーボードがあることで、受け身だけでない、何かを生み出したくなる意欲が生まれるのではないか。という解釈であった。

確かに!と思ったと同時に、今までサブ機の世界に気づいたら呑まれていた自分のことが悔しくなった。今や「スクロール」は大人だけでなく小さい子どもでも簡単に覚えて、その操作の中毒になってしまっている。この簡単な操作をすることで、人生のどのくらいの時間を無駄にしたのだろうと反省した。もちろん、スクロールから得られた情報は今の自分に役立っていることもあるけど、貴重な若い世代の時間、もっとできることがあったのかなとか、やはり反省の気持ちの方が大きい。

そんなはっとさせられる会話をした翌日の今日、早速わたしはこの気づきを文章で残して置こうと、部屋の隅に追いやられていたキーボードを引っ張り、この文章を打っている。インスタの投稿の文章を打つことにも億劫になっていた近頃だったが、キーボードを打ってみたらするすると脳内で考えていることが文章化できている。これか!と昨日の話の解釈の理解が深まった。「スクロール」でSNSに対して受け身になっていた自分だが、本来SNSを始めた理由は自分の考えや感性を発信したり記録することだったな、と初心の気持ちが取り戻せた。パソコンは大学時代から買い替えていないけど、これは新しいパソコンを買わなきゃ、現代のスクロール道から逸れなければ!と2024年新たな目標が生まれた。人の近況をスクロールして眺めているだけでは、何も生まれてこない。対象を自分に向けて、生み出していけるような2024年にしたい。この文章を書いていて、スクロールと最近の社会の中で何かリンクするようなことにも気づけたので、それは次の記事として記してみようと思う。

旅行記や音楽中心のブログだったけど、時々はこういう自分の気づきも書いていこうかなと。

lemon

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