バンドが解散する時は呆気なかった。というか、正式に「僕達はバンドを解散させました」というアナウンスはメンバーの誰も行ってはいない。ただ、自然と僕達は集まる事が無くなり、結果として音楽を共に作ることをやめた。Twitterのバンドアカウントは、最後に行なったブッキングライブの告知で止まっている。

僕達はバンドで作る楽曲のほぼ全てをギターボーカルの石間に任せていた。石間の生み出す音楽はストレートで、聴き手と、それを演奏する僕達の人生すらを高らかに肯定するような、そんな前向きなモチーフが多かった。
正直に言うと、僕の好みからは彼の作る楽曲の趣向は少し外れてはいたが、その何とも言えない未完成で荒削りな音楽に惹かれるものがあったのは事実だった。血まみれになりながらギターを掻き鳴らし、遠くに向かって叫び続けるアイツは確かにカッコよかったのだ。
バンドとして商業的に成功したいと思っていた訳ではない。ただ、彼の楽曲を演奏している時、今居るステージ上の空間全てに、まるで夏の青空の1番高いところを切り取って敷き詰めたような色彩が広がる事があった。何の紛れもない真っ青だった。ギターを引っ掻き回して転がりながら、焼けるような群青の中踊り続けた時間。心の底から「今」の自分達が最高なんだと、僕は誰を前にしても胸を張って言えたと思う。武道館でライブをする事よりも、自分たちの音源を100万人の人に届けるよりも、よっぽど大切で変え難い経験で、僕がバンドに求めていたそのものがあった。

今考えると、一瞬でも僕は僕の理想の表現に到達していた。到達することができた。それだけで凄く幸せな事で、本当はそれ以上を望むのは過ぎた願いなのだ。

僕達が30代を迎える年だったろうか(バンドメンバー4人中3人が同い年だった。出身学校が全員別の癖に珍しいなと言われたこともある)。ある日を境に、石間の中に明らかな変化が訪れた。とはいえ、それは一般的な社会人としては真っ当な事だと今なら分かる。ほんの少しだけ。
正社員として働く傍らで、彼は別のビジネスに手を出すようになった。所謂、副業というやつだ。
僕も正社員であったが、そこまで高い給料を貰っているわけではなかったし、それは石間も同じだった。彼はずっと長く付き合っていた彼女も居たし、将来を考えて副収入が必要だったのも分かる。

石間は音楽を作らなくなった。表現したい事が無くなったと彼は言った。それに伴いバンドとしての活動ペースはゆっくりと落ちていった。
正直僕は興味がなかったので、石間がどんなビジネスに手を出していたのかは知らない。ただ、石間の中で大事にしたいものが「目に見えないもの」から「目に見えるもの」に変わってしまったのは分かった。

新しい楽曲が産まれないという状況はエンジンを失った自動車とそう変わらない。バンドとしての推進力を失ってからというもの、僕以外のメンバーのやる気は目に見えて落ちていった。

ベースの三木とは趣味の洋服や映画の話はよくしていた。彼がお洒落な人間であったのかは何とも言えないが、量販店での洋服選びのコツなどは参考になることが多かった。
ただ、石間との友達付き合いの延長で楽器を始めた彼は、「音楽を演奏する」という事に元々拘りや愛着をもっているタイプではなかった。曲のフレーズや進行を覚えてこないなど日常茶飯事だった。そして、なにより一向に上達しないその演奏技術には、内心苛立ちを隠せない事も多かった。石間が変わってからというもの、三木のそういった傾向はより加速していき、バンドの後半はスタジオ練習を入れることを渋るようになってきた。
練習や機材にかかるお金を、本当は趣味の外食や洋服に使いたいと彼が言った時は怒りを通り越して哀しくなった。僕が大切にしてきたものは、彼にとっては全くもってどうでもいい事だと思い知らされた。
バンドが止まってからは、1度だけ「いま転職活動中で、映像系の会社の面接をうけている」という連絡が来ただけで、いま彼がどこで何をしているのかは分からない。

最後にドラムのトシ。彼だけは唯一最後まで変化が無かったかもしれない。元々連絡不精でルーズな所があり、連絡してもその日のうちに返事が来ることの方が稀だった。スタジオに1時間遅刻をして来たかと思えば「疲れた」と言い残し煙草を吸いに出てしまう。
スケジュール管理も甘く、彼の都合で何度も練習が当日キャンセルになったりした。
バンドの結果的なラストライブの1つ前、ついにトシはライブを飛ばした。なんとかアコースティックで3曲演奏しタイムテーブルに穴を開けることは無かったが、その日は人生でも指折り数えられる勢いでライブハウスの店長から怒られた。

「お前ら、バンド舐めてるのか?音楽なめてるのか?あのボロボロの演奏はなんだ?やる気あるのか?」

帰り道、僕は心底悔しくて、消えたくなるほど情けなかった。
その隣で、石間と三木はニヤつきながら、店長の怒っている顔が芸人のハリウッドザコシショウに似ていて説教の内容が入ってこなかったと話していた。
こんなバンド、早く無くなればいいとその時思った。

思わなければ良かった。

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「アキミチさん、プロフにバンド好きって書いてましたよね?私も実は学生のころバンドが好きで。flumpoolって知ってますか?…って有名だから流石に知ってますよね。ごめんなさい。よく友達とコンサートにいってたんです。楽しかったなぁ。」

由佳が半分まで減ったビールジョッキを片手に、僕の方を見つめる。薄い唇と白い頬が少し桜色に染まっていた。

「バンド好きですよ。僕も昔バンドやってたんです。今も本当はまたバンドやりたいんだけど、中々この歳になったら一緒に組む人もいなくて。とりあえず好きな音楽を聴いて我慢してるって感じですね。」

僕はもう音楽を自らの意思で聴くことなんて無いのに。色々と無駄な記憶を掘り返してしまった。

「あ、やばい。もうこんな時間だ。アキミチさん、終電そろそろなんでお会計しましょうか?」

由佳が取り出した財布は薄く、やはり無駄な小銭などは入ってなさそうだった。

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