今日も青はブルー(1015)

 FESTA松本も大詰め。明日に迫った縄手イベントに向け、準備に追われながら、四柱神社で晴天祈願。雨が降ると色々面倒なので、どうか晴れてほしい、と念入りにお願いしてきました。

 FESTA松本のはじまりのはじまり、を語る上で、おそらく串田さんも強く意識しているであろう、シビウ国際演劇祭のことが、今になってまた頭に浮かんだ。
 改めてWikipediaで調べると、始まりは1993年3月、独裁体制が崩壊した約4年後に、現在でも総合ディレクターを務めるコンスタンティン・キリアックが、「国際学生演劇フェスティバル」という形で始めたのが最初らしい。とはいえ、初回の参加国はルーマニアとお隣モルドバからの2国のみで、大学の演劇関係者などに運営を頼っての開催だったらしい。
 その後4年間で参加国を少しずつ増やして、徐々に若者とプロが混ざり合うような形態になり、僕の生まれた1997年、ようやく我々が知る形になったようだ。
 
 2017年、当時大学2年生、役者志望だった僕は、シビウに行って、ガラッと人生が変わってしまった。街中が演劇で溢れて、皆が楽しそうにしている、そんな光景に憧れた。
 シビウ国際演劇祭がまだ学生演劇祭だった時代、他国の参加者がルーマニアに対してあまりに謎めいた印象を持っていたことから、ニンニクを持って入国した、という逸話がある。それにあやかって、舞台装置コースの友人にニンニクのレプリカを作ってもらい、それをお守りにして参加したのも良い思い出だ。

 あの頃、まさか4年後にこんなことに巻き込まれている、というか、当事者になっているとは思っても見なかったな。そういえば、串田さんと初めて出会ったのも、4年前のシビウだった。
 毎日、ゼーハーしながら、ふと松本の街を見渡すと、あの頃夢見た光景に、たしかに繋がっている景色がリアルにある。街中にポスターが貼られ、音楽が聴こえ、皆がお芝居の話をしている。今日は、赤ちゃんを連れたお母さんが、一緒に人形劇を見ていたのが驚きだった!
 ここから4年経ったら、FESTA松本はどうなるのかな。FESTA Matsumoto International Theatrical Festival、略してFMITFとかになってるのだろうか。前の4年間も予測できなかったのだから、当然、さっぱりわからないけど、今あるこの景色が、本当にすごいことなんだよな、というのは理解している。

 と、言いつつヘトヘトで菊の湯にはいったら、お腹が空いてきて、無性にニンニクが食べたくなったぞ。前にインタビューさせて貰った、福島県いわき市に住む同志、久保田貴大くんに教えてもらったラーメン藤でニンニクラーメンとニンニクマシマシ餃子を食べました。

 今、今、今この瞬間を、歩く。歩く。 

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