セクシャリティとラーメンの好みはよく似ている

最後の最期で「設計はいいのに惜しい」と残念な結果になった文を加筆訂正して、公開します。

ラーメンと言えば、なんですか?

ラーメンは誰もが知っている麺料理だ。
元々は、中華料理だけれども、もはや日本料理と呼んでもおかしくない域だと思う。街を歩けば、数メートルおきにラーメン屋が立ち並ぶことも多いし、ラーメンスタジアムやラーメン横丁という、ラーメンに特化した集合施設だってある。それほどまでに、ラーメンは、私たち日本人が誰しも一度は口にしたことが有る国民的料理になっている。
さて、ここまで読んでいただいた上で、お聞きしたい。
あなたにとって、ラーメンとはどんな料理だろうか? 
あなたが「ラーメン」と耳にして、思い浮かべるラーメンは、一体、どの種類だろうか? しょうゆ、みそ、塩、とんこつ。激辛にトマトやカレーなど、ここに書き出しただけでもスープだけで7種類もバリエーションが有る。もし、ラーメンについて誰かと話したとき、麺の形状や茹で加減、具材まで全て好みが一致するなら、その相手とはきっと全ての食の趣味が合う運命の相手に違いない。

私にとってのラーメンは、鶏ガラスープの澄んだ塩ラーメンだ。麺は細めでやや硬めの茹で上がりが良い。具材は、白髪ねぎに鶏胸肉のスライス、メンマ、もやし。時々、煮卵。実は、自宅の近所に、私の好みズバリな塩ラーメンを提供してくれるお店が有る。勿論、他のラーメンも時には食べるのだが、「あのラーメンが食べたいな」と思って通うのは、理想の塩ラーメンを出してくれるその店だけなのだ。

何故、セクシャリティとラーメンが似ているのか?

ラーメンには、自分の好きな味や具材を選べるバリエーションの多さが一つの魅力だと思う。ラーメン屋を始める人たちは皆、「自分にとって世界で一番美味いラーメン」を作りたくて開業するはずだ。だから、全国津々浦々、どの町にもラーメン屋は存在する。そして、ラーメンが国民的料理だと裏付けるのは、インスタントラーメンと言う存在である。期間限定販売の有名店監修カップラーメンから、誰もが見たことが有るであろう何十年と販売され続けている袋入りインスタントラーメンまで、どこのスーパーに行っても何種類も棚に並べられている。つまり、ラーメンとは、スープと麺の組み合わせ次第で、無限に商品開発が出来る実に奥の深い料理で嗜好品なのだ。

私は、よくセクシャリティについて説明をする時に、ラーメンを例に使う。セクシャリティとは、性的な好みである。先ず、大分類として、異性愛なのか同性愛なのかという2つと、異性同性どちらでもOKという両性愛、そして、異性にも同性にも性的な興味を持てない無性愛、この2つもふくめ、ざっくりと4つのグループに分けることが出来る。
性的なことを考える時に一番重要なのは、「性的なことに興味が薄い人」の存在を忘れてはならないということだ。これは、ラーメンの好みと同じで、どれだけ多くの日本人が「ラーメンは美味しい」と感じていても、世の中には「ラーメンに興味が無い」「ラーメンを好んで食べようと思わない」という人もいるのと同じだ。
友人や会社の同僚などに「ここのラーメンがうまいから!」と連れて行かれたラーメン屋で、「正直、微妙」「悪くは無いけど、自分一人では食べに来ないな」という好みの不一致を経験したことはきっとあるだろう。特に、多くの男性が付き合い始めたときに踏んでしまう、「デートでラーメン屋に連れて行って、喧嘩」と言う現象は、「俺の好きなモノは、相手も喜ぶはず」という自分主体な選択が招く初歩的で致命的なミスだ。世の多くの女性は、付き合い始めのデートには、ラーメンよりもこじゃれたカフェでランチに誘われるほうを喜ぶ。「お姫様扱い」とまでは言わないが、「特別扱いをされたい」と内心、期待しているのだ。だから、「自分イチ押しの美味しいラーメン」を喜んでくれるはずが、「私はラーメンよりパスタの方が好きなのに!」「せっかくオシャレしたのに!」と不機嫌になる場合が多いのだ。

食の好みと性的な好みは、実は関係が有る。
例えば、肉が好きか、野菜が好きかという視点で考えれば、もっと分かり易いと思う。野菜が好きな恋人や友人を焼肉食べ放題に誘う人はあまりいないと思う。同様に、辛い物が苦手な人と一緒に、激辛カレーを食べに行く計画をする人も居ないと思う。なのに、いざ恋愛を始めようとなった時に、食事の好み以上に重要な相手の恋愛に対する考え方や性的な好みと言う部分を、私たちはつい見過ごしてしまいがちではないか?
片思いと言う状態は、妄想が膨らみ相手の反応にいちいち、一喜一憂する物だ。そして、相手も自分と同じだろうと過信してしまうが、世の中そうとも限らないのだ。

自分のセクシャリティを一度、確認してみよう

恋愛経験を踏んだうえで、性的なことに苦手意識を持つ女性が少なくないのは、ラーメンの好みが合わないことと似ている。
はっきり断言する。デートコースを自分主体、つまり「自分が好きだから、相手も喜ぶ」という感覚で選ぶ人は、間違いなく「性器の出し入れしかできない人」だ。自分の苦手なラーメンを相手に合わせて、ガマンして嫌々食べることは優しさでもなんでもない。その結果、「ラーメンは苦手」「美味しいと思えない」という感情が膨れ上がり、ラーメン自体にネガティブな印象を持つことになってしまう。これが、恋愛関係での性行為で起きている残念なすれ違いと同じだと私は思う。

セクシャリティには、ラーメンのように様々なタイプが有る。
ただ、手を握っているだけでも満たされるタイプの人も居れば、自分が主導権を握って、相手を気持ちよくさせたい人、相手に全て委ねて気持ちよくなりたい人。体臭に興奮する人、相手の身体を眺めていたい人。恥ずかしがる姿を見たい人、見られたい人。卑猥な言葉を言いたい人、聞きたい人。SMのように、痛みや苦しい思いをすることが興奮に繋がる人。
私は恋愛経験を重ねるたびに、自分の性的な好みが他人と違うことを気づいていった。自分のセクシャリティを全て曝け出し「それ良いよね」と認め合える相手には、おそらくこの先、出逢えないであろうとも思っている。
だからこそ、多くの人に言いたい。
自分がどんな事をされると嬉しいのか。自分は相手に何を求めているのか。
そこから、逆算してみれば、自分にしっくりくる恋愛対象や性に対する捉え方が見えてくるはずだ。

自分を観察すれば、セクシャリティはみえてくる

人間にしか、感情と肉体とを連動させた生殖活動は出来ない。性行為の事を「目合う」「まぐわい」と言うのは、相手の事を思いやり今どう感じているのかを理解しながら行うからだと、いろんな性の好みを見聞きしてきて実感する。空腹に急かれるままの自分都合な「性器の出し入れ」では、相手の身体を使ったただの自慰行為だ。だからこそ、セクシャリティという、自分がどんなものに性的な興奮をしたり、好きだと感じるかと言う好みは、ラーメンの好み以上に複雑で、皆微妙に違うもので、とても大事なことなのだ。
一生にたった一回でも、他人と深く交じり合いたいと思うなら、自分の性的な好みや願望を今一度、再確認してみて欲しい。
自分にとって美味しいラーメンは、雑誌や誰かの感想で決まるものでは無い。それと同じだ。あなたが何を「好き」だと感じるかは、あなたにしか決められないことなのだから。そして、それに気が付くことが出来るのも、身体と心両方で「コレ、好き!」だと反応しているあなた自身なのだから。


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