風邪を引いた朝は

(干支の一周以上前、二十歳そこそこの頃にに書いたものを未編集で掲載します)

朝、目が覚めると頭が痛い。節々も痛ければ、鼻も詰まっている。一人つぶやく。 「風邪ひいたな」  

 熱を測ってみると、38度4分。これは仕事には行けない体温だ。会社に電話すると、後輩が出る。 

「風邪ひいたから休むよ。山本さんに伝えておいて」 「わかりました。お大事にしてくださいね」 

普段から比較的真面目に仕事に取り組んでいるので、特に休みたいと言っても変な勘ぐりはされないだろう。  

 前に風邪をひいたとき医者から処方してもらった薬を飲んで、ストーブを全開、布団にくるまる。風邪をひいた時は、とにかく薬を飲んで汗をかくことが一番だと思っている。こうすれば1日、2日で完治するのである。  眠りに着く前に、ふと思い出した。 

「そういえば、小学生の頃って、風邪をひくとなんだか嬉しかったよな」

 朝、目が覚めると頭が痛い。節々も痛ければ、鼻も詰まっている。 

「お母さん!」

  母を呼んで、症状を訴える。仕事に行く準備をしている母は、忙しさと心配と不信感を兼ね備えた顔で、体温計を持ってくる。38度4分、仮病じゃないことが証明された。母の顔から不信感が取り除かれる。 

「学校に電話しておくからね。お母さんが仕事に行くときに一緒に病院に行く?」

  病院にいけば、この辛さが多少和らぐことは確かであるので、痛みをこらえながら、病院に行く。そこで、薬をもらって、仕事に行く母と別れる。近くに住んでいる祖母か祖父が後で家に来てくれる手はずになっているから、俺は暖かくして寝ていればいい。  

 そう、一日目は風邪が本当に辛くて、いつも記憶は曖昧なのだ。とにかく昼間は、祖父母が手厚い看護をしてくれ、夜になると母が仕事帰りにアイスやら寿司やら(これは、俺の風邪が腹に来ていない時に限るのだが)俺の好物を買い込んで来て、薬のお陰で大分楽になっている俺はもこもこと暖かい格好をしてそれを食べた。 

 二日目になると、大体風邪はよくなって、熱も微熱程度、サラリーマンなら確実に仕事に行かされそうな状態に回復しているのだが、そこは、「風邪をひいた小学生」という特権で、もう1日休ませてもらえるのだ。

  朝ごはんも食べたいだけ食べ、母が仕事に行った後は、よくわからないワイドショーなどを見ながら、午前9時を待つ。午前9時からは、教育テレビで小学生向けの番組が始まるのだ。午前中いっぱいは、「さわやか三組」だとか「この街大好き」を見て時間を潰す。午後になるとやることもなくなってしまい「ドラえもん」なんかを読むのだが、風邪をひくたびに読んでいるから飽きてしまう。良くなったと思っても、外に遊びに行けるわけはないので、ひたすら一人遊びに徹することになる。

  風邪も三日目になると、ほとんど完治しているのだが、微妙に熱があったりすると、学校に行かせてもらえない。いや、本当は学校に行くのがそれほど好きな子供ではなかったから、休むことは構わないのだけれども、とにかく家にいなくてはならないのは暇で仕方なかった。

  小学校も卒業間近のある日、俺は風邪をひいて欠席三日目を迎えていた。比較的大人になっていたし、風邪もほとんど治っていたこともあり、祖父母も家には来ておらず、俺は何をしてもいい状態であった。そこで俺は 「暖かい格好なら、ちょっとくらい外に出ても大丈夫だろう」 と、思い立ち、何故か自分が通う学校へ向かった。今、思い返せば、近所の警察署で柔道を習っていた俺は、 「将来、自衛官になって、日本を守りたい!」 と思っていて、普段から、何故か隠密行動の練習をしており、その実地訓練を行うつもりだったのだろう。何故、警察官じゃなくて自衛官になりたかったのかは思い出せないのであるが。  

平日の昼間、という普段なら見ることの出来ない商店街を横目に、一目散に我が母校に向かう。

 「今は、三時間目だから、体育か。丁度いいな」

  何が丁度いいのかは分からないが、裏門から学校に侵入すると、自分の在籍する六年一組へ。体育の授業中だから、生徒は誰もおらず、それぞれの机の上に着替えの山が積んであるだけである。ここへ来るまでは、謎の使命感に燃えていた俺であったが、いざ教室に入ってみると、特にすることもない。自分の机に座ってみたり、クラスのアイドル、というか俺の好きな真子ちゃんの机に座ってみたりしたが、すぐに飽きてしまった。さて、帰ろうか、と立ち上がった時、俺はふと思いついたのだ。当時女子の間で流行っていた交換日記。それには、自分の好きな人を書くのが常識であった。いくら覗き見ようとしても、放課後は女子が持って帰ってしまうため、誰も見ることの出来ない、パンドラの箱。 「今なら見られるじゃないか!」 興奮した俺は、真子ちゃんの机から、お道具箱を引き出し、中を漁り始めた。

  ところが、その瞬間、、

「健ちゃん、何やってるの?」  

突如、教室の後ろのほうから俺を呼ぶ声がした。びっくりして振り返ると、山田くん、通称サンダーが立っていた。 

「え、サンダーこそ何してんの?」

 完全に混乱した俺はサンダーの質問に質問で返す。

 「今日体育見学だから、校庭で見てたんだけど、寒くなったから先生に言ってコートを」

 「あ、そっか。サンダー体弱いもんな!」

 とにかく、俺は誤魔化すしかない。幸いサンダーはどちらかというと大人しい奴で、俺はガキ大将タイプ、押し通せば何とかなる。 

「健ちゃん、今日休みだよね?何でここにいるの?」 

当然の質問である。

 「いやね、ちょっと家で勉強しようとしたら学校に忘れ物していたのに気づいてさ」 

と、真子ちゃんの机をさも自分の机のように見せ、その場を乗り切ろうとしていた。サンダーが馬鹿だったら、それで済んだかもしれない。しかし、サンダーは体が弱い代わりに、中学受験しちゃうくらい勉強は出来たのである。当然、俺が漁っている机の上には、明らかに女の子ものの着替えの山があり、サンダーがそれを見過ごすわけがない。 

「それ、マーコちゃんの机だけど」

 ニヤリとしながら、言った。

  俺は、学校を休んでいるのに、勝手に家から出て、学校に来て真子ちゃんの机を漁っている変態無法者、というレッテルが貼られようとしているのだった。

 「サ、サンダー。これは内緒にしてくれよ。一生のお願い!」

  俺は、小学生特有のお願いの仕方を発揮するも、サンダーは意外にあざとかった。

 「いいよ。でも、その代わり、ドラクエ5頂戴」

 と、当時絶大な人気を誇っていたゲームソフトを交換条件としてきたのだ。  

俺は、脳内で瞬時に 「ゲーム1本で、俺の地位と名誉が守られるなら構わない。お母さんには、友達に貸していることにしよう」 と考え、

 「いいよ。だから内緒にしてね」

 と応じた。サンダーはこの時点で満足すればよかったのだ。ところが、サンダーは 

「あと、健ちゃん、城南中学の入試は、わざと落ちてね」

 と追加条件を出してきたのである。俺も、サンダーも城南中学が第一志望である。俺が落ちれば、自分が受かりやすくなる、という単純な読みなのだろう。

 「え、わざと落ちるの?」 

「うん。そうしてくれないと、全部ばらしちゃうよ」

  普段、ガキ大将キャラの俺に使われている鬱憤もあったのだろうか、サンダーの顔には、嫌な笑いが張り付いていた。

  当然、今日のことをばらされれば、俺のガキ大将の地位がなくなるどころか、母にも先生にも怒られ、真子ちゃんには嫌われ、第二候補の裕美ちゃんにも嫌われ、将来自衛官になる夢も諦めなくてはならず(何故かそう思い込んでいたのである)、上島健一郎の人生は真っ暗になってしまう。しかし、城南中学をわざと落ちる、ということは、これまで期待して援助してくれた母や祖父母を裏切ることになる。

  俺は、どちらも選べなかった。そして、もう1つの選択肢を選んだのだ。  意外に、体すんなりと動いた。ニヤニヤしているサンダーに 「黙っててよ」 と泣きながら抱きつくように見せながら、思い切り大外狩りをかけたのだ。当然受身もまったく知らないサンダーは後頭部から固い床に落ち、一瞬で意識を失った。後は、夢中で、サンダーの今日の記憶がなくなるように、頭を床に何度も何度も打ちつけた。

  気づくと、サンダーの頭の周りは血の海になっており、ピクリとも動かなくなっていた。

  俺は、真子ちゃん、裕美ちゃん、はっと気づいて、わざと不細工な渡辺、楠本のシャツを手に取り、一目散にその場を立ち去った。 

   夜、仕事から帰ってきた母とアイスを食べていると、電話が鳴った。 「山田くん、亡くなったんだって!」 と驚く母に、俺も 「え、サンダーが?なんで?」 と大げさに驚く。その日は、ニュースもサンダーの死で持ちきりであった。 「小学生惨殺。変質者の仕業か」 「小学生殺害事件。教室から女子生徒の衣服が盗まれていたことが発覚」

  夢から覚めた俺は、時計を見る。午後2時40分。よく寝たものだ。今日で仕事を休んで三日目。 体の感じからして、熱は大分下がったようだ。 「サンダーか。懐かしいな」  確かに、小学校の時、サンダーこと山田君が変質者に殺されるという事件があった。その日、ちょうど風邪をひいていた俺は、学校にいなかったのだが、クラスのみんなはサンダーの死体を目の当たりにしたという。

  きっと、みんなから聞いた話と、俺の記憶がごちゃ混ぜになって、変な夢を見たのだろう。 

 電話が鳴る。相手は会社の後輩だ。

 「上島さん、大変ですよ。社員全員が朝礼に行っている間、一人で部屋に戻った桑原さんが殺されたんですよ!」

 「桑原が?なんでだよ」

 「分からないですけど、部屋から金庫もなくっているんで、強盗じゃないかって!」 「わかった。熱も下がってきたから、今から行くよ」

  電話を切って、赤いシャツをスーツに着替えて家を出る。 

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