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中学1年後半~中学2年

中1の夏、北海道内のとある地方の公立中学校に転入しました。 中学校2校目で4回目の転校です。 あまりネガティブな事は避けたいので詳しくは書きませんが、この転校は大失敗でした。 札幌の中学校とは校風がかなり異なり自分には全く合いませんでした。 また前の中学校が全力を挙げて支援体制等を検討して頂いた件は、こちらの中学校にも申し送りされたようですが、2校目の中学校がとったのは『不作為』と言うスタイルでした。 公立中学校と言っても玉石混淆だと痛感しました。


ある地方の郊外に引っ越した訳ですが、それまでとは環境が一転しました。 ひたすら学校と家の往復で、週3回学習塾に通う以外はこれと言ってする事もなく、ひたすら無為に過ごすと言うものでした。  人間関係もノリ自体が合わず、次第に性格もネガティブに変化して行きました。


転校した事により、教科によっては教科書が変わったり、理科などは進度が全く違っていた為、以降に重大な支障が出ました。 1校目の中学ではまず生物分野を履修するのですが、2校目の中学でも2学期に全く同じ生物分野を履修する事になりました。 一方で『中1の化学分野は履修出来なかった』と言う重大な弊害が発生したりしました。 その他数学では宿題の答え合わせしかしない等の手抜き授業が行われていたりと、全体的にいい加減な所も多かったと思います。  それだけではないですが、学業面は低空飛行となりました。


中2に進級し、クラス替えとなりました。 前年の担任が致命的なミスをしたようで、本来なら別のクラスにすべき人物を複数同じクラスにしてしまう一方で、相性が良さそうな生徒を誰1人同じクラスにしなかったと言う、どうしようもない事態が発生しました。  中2~中3はクラス持ち上がりだったのですが、これでは適応などできるはずもなく、毎日学校に登校はするものの心理的には不登校同様のような日々となりました。


中学時代は『きちんと高校には行かなければならない』と言う強迫観念的な一心のみで通学していました。  それでも学業面は中の上ぐらいを維持していましたが、それ以外の部分はさっぱりでした。  中2の途中ぐらいからは適応障害的な様相も結構あったかもしれません。  中年になった今振り返ると『学校に行かない』と言う選択肢もあったのではと思えます。  この頃無駄に我慢したのが、発達障害に2次障害的な要素を上乗せする素地を作ってしまった感があります。


あまりの不適応ぶりだった事もあり、中2の終わり頃に学年団の先生方のほうから『不登校と言う選択肢もある』と言う提案が出てきたほどでした。 クラス替えにミスがあった事も認めていましたが、時既に遅しで中3はクラスが持ち上がりと言う状況でした。

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