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街道ポトポト、本屋を嫌う

(前提として述べておきます、本屋は大好きです。
ただこの日は、本屋に寄りたくなかった、そんな体験です。)

日々、色んなところからストレスを感じるけど、
土日に見たくないもののひとつが、文字である。

文字を見た瞬間、それがなんの意味なのか解読しようとする作業。
それを外から押し付けられるのは、コミュニケーションが大切な平日だけでいい。
それか欲しい文字だけを、僕の前に並べてくれ。

一人の時間くらい、文字から隔絶した世界であって欲しい。

そう思いながら本屋を彷徨うのだから、自己矛盾甚だしい。
でもそれがまたいい、好き。

…文字が嫌なら、どこがいいのだろう。
本屋の中で、美術に関する図鑑を探す

…ない。

むしろ別の文字が、まるで誰かの視線のように、注意を散らしてくる。

じゃ美術館に行けばいいじゃないか。
もちろん、それもある。
でも美術は、どこが等身大になれない。

2000円払って行くような、投資のいる美術館ではなく、
フリーで素直に心と向きあえる美術館が欲しい。

大人になると、リスクと対価を考え出すのだから、余計に辛い。
当たり前のことだし、必要な能力である。
否定するつもりは無い。
ただ、休日の中でも、それだけコミュニケーションが成立するような、
20カラットな人間にはなりたくない。

自分の素直にやりたい!!ていう想いに従って、自由に街を漕いでいたい!!

…と、心の中で叫びながら。
ショッピングモールを回ること10分。
なにか作品がないか、いつもより小さい歩幅で探す。

作品…作品…

そうか、店頭に並ぶ作り物たちも、ある意味作品なのか。

(このとき、商品という単語を使いたくなかった。
今日くらい、経済から離れたい。)

靴下とかメガネとか、
文字がないだけ幾分か見やすい。

なにより、作品だと思うと、
何が魅力なのかな、どう言った個性があるのかなと、少し興味が出てくる。

そして作り物から作品…物品ていう同じ意味を並べた漢字を変えるだけて、
これだけニュアンスが違うのだから、面白い。

利便性以外の美しさとかも、探してみてたりする。
自分という偶像、自分の好きな空間に、何が似合うのか。
この広さのお店なら、いくつ商品を置いて、どのくらい余白を作ったらストレスなく回れるかな。

就活や人間関係のように、ガチガチに縛られたレールから、たまには抜け出して想像をふくらませてみる。

もちろん、想像ですら重力の中である。
でも、その限界値に指先が触れる感覚が、なんとも気持ちいい。

ああ、素敵な休日だ。
そしてそれに気づける自分、ありがとう。

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